子どもたちと平和を考える〈後編〉~教室で戦争をどう扱うか~(東京女子大・竹内久顕先生)

1 はじめに

 この記事は、2022年6月8日に行った、東京女子大学 現代教養学部 国際社会学科の竹内久顕先生へのインタビューを記事化したものです。「平和教育とは何か」をテーマに、平和教育の必要性や実践のヒントなどを伺いました。

 また、本インタビューは2部構成になっています。ぜひ子どもたちと平和を考える〈前編〉~平和教育はなぜ必要か~もあわせてお読みください。

◎こんな先生におすすめ!

  • 平和教育を行うときの基本となる考え方を知りたい方
  • 自分が体験していない「戦争」をどう扱えばよいか迷っている方
  • 現代の政治的な問題を扱うことの難しさを感じている方

2 「過去の戦争」をどう扱うか

 子どもたちはもちろん、教員自身も戦争を直接体験していない状況で、過去の戦争をどのように学んでいけばよいのでしょうか。

これからの戦争体験継承

 戦争を直接体験した人に話を聞くことは年々難しくなっています。この現状を受けて、最近ではオンラインで戦争体験の学習をする取り組みが増えています。いち早く戦争体験の継承に困難を感じ始めた平和博物館は、20年ほど前に戦争体験者の語りをアーカイブ化して残す活動を始めました。学校現場も平和博物館が提供するアーカイブを活用すれば、戦争体験を後世に継承するための学習を続けていくことができると考えます。

 遺品や慰霊碑といった「モノ」から学ぶ学習は、半永久的に行うことができます。特に慰霊碑は日本中のあらゆるところにあるため、授業実践例も多く存在します。戦争体験者から直接話を聞く以外にも、当時を間接的に体験する方法はたくさんあります。

教員と子どもが一緒に学ぶ

 確かに教員自身も戦争を体験していないため、教室でどのように扱えばよいか困ることもあるかもしれません。それならば、教員も子どもたちと一緒に学べばよいのです。教員が「戦争とはこういうものだ」「戦争を体験するとこういう感じになるんだよ」と一方的に伝えるのではなく、一緒に学んだり、子どもたちに調べさせたりすればよいのではないでしょうか。

 子どもたちにとって戦争は単なる歴史上の出来事にすぎず、今の生活とあまりに離れすぎています。そのため、インプットとアウトプットを繰り返し、戦争の問題を自分事として捉えられるように工夫する必要があります。たとえば、子どもたちが戦争についての劇を通して、戦争の体験を身体で表現するという方法があります。戦争に関する知識をインプットすることと、役になりきって体を動かしたり台詞を声に出したりするアウトプットを繰り返すことによって、子どもたち自身の中で戦争体験がリアリティを持つようになるのではないでしょうか。

 戦争体験者がいなくなれば、これまでのように戦争体験を直接的に継承することはできなくなります。教員が子どもに学習の手立てを提案し、子どもたちとともに学びを進めていくという平和教育が求められます。

3 「現代の戦争」をどう扱うか

政治的中立性の確保

 特に現代の戦争を扱う際に、教員の政治的中立性が問われる場面が想定されます。このとき重要なのは、学問的な根拠をもって平和教育を行うことです。

 たとえば、今日のインターネット上には、ウクライナ問題に関する真偽が定かでない情報や、それに基づく論評、特定の立場性の強い見解などが溢れています。そのため授業でウクライナ問題を扱う際は、まず定評ある研究者・専門家や学会の議論に着目することが大切です。『物語 ウクライナの歴史』(中公新書)や『現代思想 ウクライナから問う』(青土社)といった文献は、多くの研究者らによって引用・紹介されています。こうした文献を手掛かりに、学問的根拠が明確な授業を作ることが重要です。

 また学習指導要領は「社会に開かれた教育課程」の実現を目指しており、そこでは日本の社会のみならず世界の問題へも目を向けることが求められています。このことは、現代の戦争を教育現場で取り上げる必要性を証明する根拠になるでしょう。

 「ボイテルスバッハ・コンセンサス」の考え方を踏まえることも大切です。「ボイテルスバッハ・コンセンサス」とは、1976年にドイツのボイテルスバッハにおいて、政治教育の基本原則として研究者らが合意したもので、下記の3点が挙げられています。これらは、教育において政治的中立性が問われる場面全般に応用可能です。

1 圧倒の禁止:教員は生徒を期待される見解をもって圧倒し、生徒が自らの判断を獲得するのを妨げてはならない。

2  論争性:学問と政治の世界において議論があることは、授業においても議論があることとして扱わなければならない。

3 生徒志向:生徒が自らの関心・利害に基づいて効果的に政治に参加できるよう、必要な能力の獲得が促されなければならない。

出典:「今後の主権者教育の推進に向けて」(主権者教育推進会議、最終閲覧日:2022年6月28日)

4 未来の平和を創造するための教育

 教育は、平和を創造することも破壊することもできます。

 本来、教育は平和を創造するためのものであるはずです。コメニウスやルソーのような優れた教育思想家たちは、教育を通して平和を実現することや人権を実現することを常に掲げていました。しかし歴史の中には、「教育」名のもとで平和を破壊するものも存在しました。

 教員は、自分が行っている教育が平和創造に貢献できるようなものであるかを常に問い直さねばなりません。なぜなら、この問い直しがなければ、気づかぬうちに平和とは逆の方向に力を貸すことになりかねないからです。過去には、「教育」の名のもとで平和が破壊されたこともありました。教員は、「本来の教育とは何か」という教育哲学を学び、教育の原点を考え、教育の名のもとで平和が破壊される可能性を常に警戒する必要があるでしょう。

5 プロフィール

竹内 久顕(たけうち・ひさあき)

 東京大学法学部卒業、東京大学大学院教育学研究科博士課程中退。現在は、東京女子大学准教授で、教職課程(主に教育課程論、教育方法論)を担当。専門は平和教育学。教科教育や総合的な学習といった教育課程の全体を通じた平和教育の構築のほか、芸術と平和教育、GIGAスクール時代の平和教育、平和博物館と平和教育などの研究に取り組んでいる。

6 関連記事

◎本記事の前編

◎平和・戦争に関連する記事

7 著書紹介

『平和教育を問い直す―次世代への批判的継承―』編著/竹内久顕(法律文化社)

8 編集後記

 私はこれまで、平和や戦争に関する話題を教室で扱うことはとても怖いことだと思っていました。教員の言葉ひとつで子どもの価値観に影響を与えてしまう恐れもあり、どのように伝えるのが適当なのか分からないと考えていたためです。しかし「教員が子どもに伝える」のではなく「教員と子どもが一緒に学ぶ」というお話を伺い、もっと他の人と平和や戦争についての考えを共有し、深めたいと思いました。

 教室で平和や戦争について扱うことには難しさもありますが、避けられることではありません。様々な難しさに向き合いながら、平和創造のための教育とは何かを考え続けたいと思いました。


(取材・編集・文責:EDUPEDIA編集部 柳川 悠月)

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柳川悠月

興味がある分野は、平和教育・国語教育・日本語教育です。2か月に1記事を目標に頑張ります。ねこを飼っています。
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1 個のコメント

  • いろいろ、考えさせられる記事です。太平洋戦争開戦から80年がたっており、今の小学6年生に太平洋戦争当時を想像することは非常に難しくなっていると思います。当時の物資の不足、食料の不足、寒さ・暑さへの無防備、人権侵害の激しさなど、戦後生まれの私には想像が難しいです。陸上戦や爆撃、戦地に置き去りにされるなどの恐怖は、実際の映像や映画で見てやっと理解ができるレベルです。
    本文中に「平和教育によってトラウマを負う」ことについて、記述がありますが、トラウマを負うことが必ずしも悪いことではないような気がします(程度によるのでしょうが)。開戦80年来、日本が戦争を回避してこれたのは、戦時派のトラウマに由来するエネルギーだったのではないかと思うのですが・・・。

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