1 はじめに
この記事は、2022年6月8日に行った、東京女子大学 現代教養学部 国際社会学科の竹内久顕先生へのインタビューを記事化したものです。「平和教育とは何か」をテーマに、平和教育の必要性や実践のヒントなどを伺いました。
また、本インタビューは2部構成になっています。ぜひ子どもたちと平和を考える〈後編〉~教室で戦争をどう扱うか~もあわせてお読みください。
◎こんな先生におすすめ!
- なぜ平和教育をするのか疑問に思っている方
- 平和教育によって子どもが「トラウマ」を負わないか不安な方
- 平和教育の何から始めればよいか悩んでいる方
2 平和教育はいらない?
戦争もなく平和に思える現代日本において、なぜ平和教育が必要なのでしょうか。
平和でないと平和教育はできない
平和教育について考える際の大前提として、平和な社会でなくては平和教育はできません。戦争が起きている社会では、平和教育に限らず平和の主張もできなくなります。つまり、「今の日本だからこそ平和教育ができる」といえます。
また、確かに戦争はありませんが、子どもたちが戦争以外の暴力によって苦しめられている状況はないのでしょうか。たとえば貧困な家庭に暮らしている子どもは、今の日本が平和だとは到底思っていないでしょう。この問題を踏まえると、「戦争は起こっていないけれども、今の日本は本当に平和なのだろうか」という問いを考えていくことは、現代日本における重要な課題です。
世界の戦争・紛争に目を向けて
これからの子どもたちは日本国内のことだけではなく世界に目を向けていく必要があります。中央教育審議会は「社会に開かれた教育課程」を実現するために次の3点が重要になると述べています。
1 社会や世界の状況を幅広く視野に入れ、よりよい学校教育を通じてよりよい社会を創るという目標を持ち、教育課程を介してその目標を社会と共有していくこと。
2 これからの社会を創り出していく子供たちが、社会や世界に向き合い関わり合い、自らの人生を切り拓いていくために求められる資質・能力とは何かを、教育課程において明確化し育んでいくこと。
3 教育課程の実施に当たって、地域の人的・物的資源を活用したり、放課後や土曜日等を活用した社会教育との連携を図ったりし、学校教育を学校内に閉じずに、その目指すところを社会と共有・連携しながら実現させること。
出典:「幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学修指導要領等の改善及び必要な方策等について」(中央審議会、最終閲覧日:2022年6月28日)
1と2に注目すると、教育現場では社会と世界に関わっていく子どもを育てることが求められていると分かります。また、教育基本法(第1条)では教育の目的として「平和で民主的な国家及び社会の形成者」を育てることが掲げられており、能動的な資質の育成が求められています。
日本では幸い戦争が起こっていません。しかし世界のどこかで起こっている場合には、「日本に住む私たちに何ができるのか」と考えられる人を育てる教育が必要だということです。これからは、世界の戦争・紛争にも目を向けることが求められています。
3 平和教育と「トラウマ」
発達段階を踏まえる
子どもたちが「トラウマ」を負わないような平和教育を行うには、子どもの発達段階に留意する必要があります。かつては「戦争や原爆は大人も子どもも区別しないのだから、子どもにも戦争の実態をきちんと伝えるべきだ」という考えのもと、残酷な写真や映像などを子どもたちに直視させるような実践も行われていました。
しかし、小学校低学年の子どもに写真や動画などで戦争の悲惨な実態を直視させても、怖くておびえさせるだけに終わるのではないでしょうか。そうした体験をした子どもは、二度と平和や戦争の問題を考えたいと思わなくなるかもしれません。
まずは「平和のすばらしさ」から
発達段階が低い子ども向けの平和教育では、戦争の悲惨さを教える前に平和のすばらしさを伝えることが重要です。平和がどれほどすばらしいか分かるという下地があって、初めて戦争の悲惨さを理解することができます。戦争の悲惨さを無理に伝える必要はないのです。
たとえば「お友だち同士が仲良く遊べる状態、それが平和なんだよ」ということを伝えるだけでも十分です。学年が上がって戦争の歴史や憲法学習をした際に、そこで初めて子どもたちが「1年生のときに先生が教えてくれた戦争はこういうものなんだ」と理解することができる状態を作ることが大切です。
4 何から始めればよいのか
子どもたちの「日常」を平和に
平和教育について教員がまずやれることは、子どもの日常を立て直すことです。平和教育においては、「戦争は当たり前の日常を破壊するものだ。だから戦争は怖いもので、当たり前の日常が送れていることはすばらしいことだ。」という学習をすることができます。では、今の子どもたちにとって、「日常」は本当に大切にしたいと思えるものなのでしょうか。たとえばいじめられている子どもにとっては、「日常」は守りたいものではなくなんとしてでも変わってほしいものかもしれません。
このような状況に置かれている子どもに、日常のすばらしさによって戦争の悲惨さを説いても説得力がありません。子どもたち一人一人の日常が本当に楽しくて満足できるものでなければ、戦争の悲惨さを伝えようとしても伝わりません。まずは家庭や学校といった子どもたちの「日常」を平和なものに立て直すことが、平和教育として教員が行うべき最初の一歩なのではないでしょうか。
教科学習と関連づけて
平和教育を行う際には様々な難しさもありますが、ためらわずに取り組んで試行錯誤していくことが大切です。平和教育は「平和科」のような特定の領域が設定されることなく、国語や社会といった教科学習や修学旅行のような教科外学習の中で行われる場合が多いです。普段の教科学習の中でも平和や戦争の問題と関わりそうな単元があれば、積極的に平和教育と関連づけて取り組むのがよいと思います。
5 プロフィール
竹内 久顕(たけうち・ひさあき)
東京大学法学部卒業、東京大学大学院教育学研究科博士課程中退。現在は、東京女子大学准教授で、教職課程(主に教育課程論、教育方法論)を担当。専門は平和教育学。教科教育や総合的な学習といった教育課程の全体を通じた平和教育の構築のほか、芸術と平和教育、GIGAスクール時代の平和教育、平和博物館と平和教育などの研究に取り組んでいる。
6 関連記事
◎本記事の後編
◎平和・戦争に関連する記事
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- 「ちいちゃんのかげおくり」国語・物語文 授業案~人物の思いを想像し、考えを交流し、自分の読みを作る~
7 著書紹介
『平和教育を問い直す—次世代への批判的継承—』編著/竹内久顕(法律文化社)
8 編集後記
「平和教育」についてインターネット上で調べると、「平和教育はいらない」「平和教育によってトラウマを負った」といった言葉をよく目にします。確かに今の日本には戦争がなく、平和教育は短期的にみて役立つものではないのかもしれません。また、平和教育が子どもの心に傷を残す危険性を孕んでいることも事実でしょう。しかし学校で平和や戦争について学ぶことがなくなったら、数十年後、数百年後の社会はどうなるのでしょうか。
私は今回のインタビューで、上記の葛藤に対する一つの答えを得ることができました。また「子どもたちの日常が平和でなければ、戦争の悲惨さを伝えることはできない」という考え方にも、はっとさせられました。この記事によって、平和教育に対する新たな見方を得てくれた方が一人でもいれば嬉しく思います。
(取材・編集・文責:EDUPEDIA編集部 柳川 悠月)
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