はじめに
当記事は、2023年5月14日に東京大学本郷キャンパスで実施されたNPO法人ROJE主催五月祭教育フォーラム2023「『個別最適な学び』の核心に迫る〜ひとりひとりに向き合う教育のこれから〜」後に行われた、奈須正裕先生へのインタビューの内容を記事化したものです。
当記事では、子どもたちが自分らしく学び、自分の力を発揮していくために学校現場で実践できることについて扱っています。
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フォーラムの感想
——フォーラムの感想をお聞かせください。
まず、安居先生と僕は元々の立場も今やっていることも近く、2人とも教育畑の出身なので、本当に共通点は多いと思います。環境の整備が大事だという話や環境の多様性が大事であるという話は共通性があり、戦略も似ているといえるでしょう。
一方で、浅野さん、山口さんの関心は経済面ですから、方法や戦略の考え方が僕とは少し違うところがあります。今日改めてお話を聞いて、経産省や新しい企業から出てくるものの中で、僕たちが見逃しているところをしっかり教えてくれると感じました。デジタルをどの程度活用するかなどはそれぞれの考え方に若干の相違点こそありますが、僕は関心が異なる方々とも「個別最適な学び」の実現に向けて協力していくつもりです。
繰り返される個別最適化の契機とデジタルの役割
個別最適化の歴史
——奈須様にとって「個別最適な学び」とはどのようなものでしょうか。
「個別最適な学び」という言葉は、最近文部科学省や経済産業省が使っている行政用語です。人間には、個性、個人差があります。それらに応じ、一人一人の発達可能性を良い形で実現するための教育環境を準備するということを意味します。
日本の近代学校制度は、およそ150年前にできました。その時、一斉画一的な方法をアメリカから輸入したのです。19世紀に国民国家ができてから、近代国民国家統一と富国強兵・殖産興業推進のために民衆の教育が必要になりました。そこで、安価に大量に教育をするために発明されたのが学級ごとに行う一斉指導の方法です。
しかし、日本の寺子屋や、家庭教師による個別の学習指導を論じるルソーやロックなどの古典的名著にみられるように、本来子どもの教育は個別での指導が中心でした。また、近代学校批判の流れから生まれたデューイらの新教育運動などでは、もっと一人一人の主体性、個性、多様性を尊重し、個別的な学習の機会を保障しようという動きが生まれてきます。特に、しんどい子のために何とかしようというのが個別最適の出発点です。
学校環境の歴史と周期的な変化
——都市部だけでなく地方でも学校環境は変えられるのでしょうか。
学校環境の話題は、実は1980年代から90年頃に一度ピークがあったのです。1980年代には、箱を造るのではなくて、環境をきちんとつくろうという話が出てきました。その頃にオープンスペースをはじめ、建築の改革が進みました。1985年前後には全国各地に新しい建築が増えていきました。勘違いがあるかもしれませんが、東京が進んでいる訳ではありません。進んでいるのは、むしろ地方なのです。教育改革は今も昔も大体地方から起こっています。なぜなら、地方では町に1校しかないこともあり、その1校をよくするにはいくらでも頑張るからです。こうした理由で意外にも地方に面白い学校が出てくるのです。
やはり面白い学校の建築というのは、特に建築学の人も頑張ります。当時、病院建築や図書館建築という公共建築をやっていた人が「学校だけは何でいつまでも箱物なのか。学校をもっといいものにしよう」とか「学校独自の機能を踏まえていこう」などと考えました。そして今、もう1度建築や家具、環境などを見直していこうという動きが出てきています。しかし、問題はそうしたものを造っても上手に使えないことにあります。それは安居先生が言っていたように理念や発想の問題です。
手段としてのデジタル
——現在、学校環境が変わりつつある理由は何ですか。
オープンスペースや個別最適化は過去にもあって、新しいどころかむしろ古いという話をしました。ただ今回教育が変わるきっかけとして重要なのは、やはり圧倒的にデジタルです。僕がこれまでずっと使ってきたアナログと比べると、作業量が5分の1くらいになります。だからデジタルは必須ではありませんが圧倒的に強力で、最大の問題だったイニシャルコストが下がるので「これならできる」となるのです。それに伴い、学校の建物や教材・教具、それから子どもの動き方とかが変わってきます。
——これからは、デジタルというツールを目的に応じて使っていくということでしょうか。
実はデジタルも何度目かの話です。それこそ僕らが学生時代の40年前にもコンピューターを利用して何ができるかをずっと考えていました。当時、コンピューターは今ほど多くのことができませんでした。そのため、「コンピューターでできることを使ってどんな教育をするか」という発想だったのです。教育の目的と手段が逆転していました。ですから僕はあまりデジタルに関心がありませんでした。
しかし、これからは違います。「僕らがやりたい教育をコンピューターでどうやるか」という発想がようやくできるようになったのです。だからこそ、コンピューターをいい意味で手段にして、どんな教育をしたいかということを考えながらデジタルを活用していきます。
個別最適な学びの実践~天童中部小学校の事例から
以下では、奈須先生のご著書『個別最適な学びと協働的な学び』(東洋館出版社, 2021)より、個別最適な学びと協働的な学びの一体的な充実を実現するカリキュラムとして、山形県天童市立天童中部小学校の事例をご紹介します。天童中部小学校では、「仲間と教師で創る授業」に加え、「自学・自習」「マイプラン学習」「フリースタイルプロジェクト」という3種類の学習に取り組んでいます。
自学・自習
「自学・自習」とは、子どもが教師の役割を務める授業です。進行から板書、まとめまで子どもたち自身が主導します。子どもたちは、自分たちだけで学び合える有能感や満足感を味わうことができます。また、子どもたちがロイロノートを介して提出するノートの写真により、教師は遠隔地からも学習状況の把握が可能です。教師側の準備としては、扱う単元の指定、前提となる知識の指導、教師の意図の伝達などが求められます。
マイプラン学習
「自学・自習」は協働的な学びですが、「マイプラン学習」は個別最適な学びです。一般に「単元内自由進度学習」と言われるもので、一単元分の学習時間内で各自が自分に最適だと思う学習計画を考え、実行していきます。教師は学習の要点を押さえた「学習のてびき」を作成するほか、学びの素材を子どもの周囲に用意するなど学習環境の整備を行います。「学習のてびき」をつくる作業は、単元内自由進度学習のコース設計に該当します。設計の過程においては、教科書と学習指導要領との対応や、それらの内容がどのような資質・能力の実現に寄与するのかなどを確認する必要があります。マイプラン学習の中で、子どもたちは、整えられた環境のもとで自ら学び方を選びながら、自分にとって最適な学びを見出し、いつしか自信をもって自力で学び進んでいきます。
フリースタイルプロジェクト
「マイプラン学習」においては、どのように学ぶかという学習方法が子どもに委ねられています。それに加え、何を学ぶかという学習内容までも子どもに委ねる取り組みが「フリースタイルプロジェクト」です。この実践では、ねらいとして「自分の興味・関心を生かして、学ぶ内容や学び方、学びの計画を自分で決めて学ぶことができる」ことと、「実践する中で学習の面白さを感じ、結果として達成感・成就感を味わい、自分の『得意』を見つけること」が掲げられています。子どもたちは、自分なりにテーマを決め、学習内容・学習方法・学習場所等を自分で選んで計画を立てます。教師主導であった要素を「すべて子どもに返す子ども主体の学習」です。個々が探究課題を設定して取り組む「個人総合」や高校の探究学習も、この学習に近い要素を持っています。なお、教師自身も子どもの学習環境を構成する一員として自分の課題に取り組み、「41人目の追究者」(注)を体現することが求められています。
(注)子どもが40人いる場合に、41人目の追究者となって子どもたちとともに課題に向き合い、学びを深めようとする教師の姿を指します。
教師に求められること
これからの教師の役割
——教員養成課程で教師の教える役割を基本的に少なくしていくと、これからの教師には、子どもを見極める力や子どもを見守っていく力が必要になると思います。子どもを適切に見守る力は、どうやって育てるのでしょうか。
教えるのに比べて見極めるとか、支えるのは高度なことだとみんな誤解していますが特に難しいわけではありません。幼児教育では、原則教えないで、環境を整えます。あとは子どもを見て、子どもだけでやれることと子どもだけではやれないことを見据えます。そして、子どもだけでできないことに関して、子どもだけでできるような後押しをするのです。幼児教育あるいは特別支援教育というのは、環境を整えて、一人一人を丁寧に見て、その子が本当に必要なところだけを支える教育です。要するに、個別最適な学びの原理や目指す姿はそういったところにあると思うのです。
教科の専門性
——子どもが自ら学び、考えるための知識を体系的に身に付けていくためには、教師自身も「この学びは何のためにあるのか」といった知識全体の見取り図を持つ必要があるということでしょうか。
教師は小学校ですら、子どもの面倒を見るためだけにいるわけではないのです。やはり教科が一番大事で、教科をしっかり教えられることを求められます。だから教師に必要なのは、教える技術に加えて、教科の専門性ということになるのです。授業を1時間1時間ではなく、単元や系統のつながりで作るためには、教科内容に関する専門性が不可欠なのです。教育は授業やカリキュラム、学級もすべて、作るものでこなすものではないからです。
評価の主体は子どもと教師
個別最適になっているかの判断は子どもだと思います。今回の学びが自分にとって最適な、自分らしい納得のできる学びだったかどうかは、まず自分でやらないと分かりません。ただ最初は子どもだけでは判断できないので、「この子がこの内容に対していい学びができているか」ということを教師が見て判断する必要があります。そして声掛けや助言をして、子どもたち自身がうまくやれているかどうかをモニターしてあげればいいのです。
どこに着目して振り返りをするのか、どこに価値付けをすればいいのかを最初は教えてあげないといけない。そして最終的には子どもが自分で準備して、自分で計画して、自分で評価できるようにしたいです。
子どもへの文脈最適化
——奈須先生のご著書(『個別最適な学びと協働的な学び』東洋館出版社)に、「子どもは有能な学び手」であるとのお言葉がありました。学校現場において、教師の方から学ぶ姿勢が見られない子どもがいる場合については、どのように考えればよろしいでしょうか。
何も学ぶ気がない子どもはいません。子どもにそのような様子が見られた場合、まず、子どもにとって「教師のやってほしいこと」がつまらない、あるいは「教師のやってほしい方法」では学べないという可能性があります。
また、上手くいかないことをバカにされたり、叱られたり、競争して負けたりといった経験に傷ついて、学びそのものから耳を塞いでいる可能性があります。それは、子どもの防御反応なのです。この場合、教師が少し面白いものを出したからといって、簡単に「やろうかな」とはなりません。「また傷つくのではないか」と防衛しているからです。
そもそも、私たち心理学者は、乳幼児期を子どもの本来の姿と考えます。乳幼児の時に学ぶ意欲の無い子どもはいません。乳幼児期の子どもは自ら色々なものを面白がり、不思議がり、母親に「なぜ?」と聞くでしょう。
子どもがだめだとは決して考えないことです。目の前の状態の背後には理由があると考えてください。教師の文脈で考えるのではなく、その子どもの文脈でやらせてあげればできるのです。したがって、教師による授業の文脈を子どもに最適化することが重要になります。子どもに色々問題があると思っていても、それは元々子どもにある問題ではなく、何らかの理由でこじれてしまっているのです。その理由を見出し、それを復元できるような方法を考えてください。
個別最適な学びに向き合うすべての方々へのメッセージ
——最後に、教師の方々を含め、個別最適な学びに向き合うすべての人へメッセージをお願いします。
今、皆が本気で考えているのは、生まれてきたすべての子どもは幸せになる権利を持つということです。鈴木先生がおっしゃった「公正」が重要です。すべての子どもに幸せになる権利があり、その中には自分らしく学ぶ権利も含まれています。今の文部科学省は、自分の能力を発現させる発達権と、自分らしく自分の学びたいことを学べる学習権を全面的に保障することを本気で考え始めています。これはすごいことです。日本だけではなく、世界的なトレンドになっています。これからの時代の教師は大変ですが、やりがいもあるので頑張ってください。
プロフィール
奈須正裕先生
上智大学総合人間科学部教育学科 教授(2023年6月現在)
徳島大学教育学部卒業。その後、東京大学大学院 教育学研究科 教育心理学専攻 博士課程単位取得退学。博士(教育学)、専門は、教育心理学、教育方法学。神奈川大学助教授、国立教育研究所室長、立教大学教授などを経て、現在は、上智大学総合人間科学部教育学科教授として、学校を基盤としたカリキュラムと授業に関する実践開発的な研究を、長野県、山形県、静岡県などをフィールドに展開している。著書に『「資質・能力」と学びのメカニズム』(東洋館出版社)、『個別最適な学びの足場を組む』(教育開発研究所)など。
編集後記
奈須先生は教育理論と実践のどちらにも携わり、教育の周期的な変化を多様な視点で柔軟に捉えていらっしゃいます。さまざまな変化の中でも、先生は一貫して子どもを一番に考えることを大切にされています。教育界は利潤追求を第一の目的としていません。そのため、何かしらの変化を起こそうとするとそれなりの時間やコストがかかり、リスクも伴います。それでも、学び方の選択肢を増やしていくことでこれからの子どもたちが自分に合った方法を見つけることができればと思います。(知野)
奈須先生が学ぶ気がない子どもはいないと言い切られた時、どこか救われたような気持ちになりました。ただがむしゃらに勉強し続けた中高生時代、費やした努力量に見合わない成績に何度も追い詰められました。学びに躓いた時、いつも最初に責めるのは、自分自身の学び手としての素質でした。全ての子どもたちが、どんな時も自分を信じ、安心して学び続けられる環境を目指して、まずは自分自身が精進していきたいと思います。(土井)
学校現場に内在して授業研究・カリキュラム開発を行い、昨今の政策論議にも参加しておられる奈須先生ならではの、学校現場と教育政策、そして教育学研究における知見を織り交ぜた貴重なお話を伺うことができました。個々の子どもが所与の学びを自ら超えていく未来のために、学校現場でできることは何か。個別最適な学びに向き合うすべての方々にご一読いただきたい記事です。(近藤)
(取材・編集・文責:EDUPEDIA編集部 知野皆弥・土井凜・近藤真鈴)
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