塾講師として子どもたちを最後まで見守りたい【第16回EDUCAREERイベント Youはなぜ塾講師に?〜教員以外のキャリア〜】(前編)

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目次

はじめに

 この記事は2023年11月24日にNPO法人ROJE EDUCAREER(旧:教育と仕事フェス)が主催した第16回EDUCAREERイベント「Youはなぜ塾講師に?〜教員以外のキャリア〜」を記事化したものです。

 登壇者に山崎智樹さんをお招きしました。山崎さんは個別指導+集団指導の「SoRa」やcafeを併設した日本初の学習塾を設立し、「Sora」を運営するSoRaStar株式会社の代表取締役を務めておられます。

 この記事は前後編に分かれています。前編(本記事)では山崎さんのキャリア選択について、また山崎さんご自身が大切にされていることをご紹介します。後編では「塾講師」という職業について紹介しておりますので、ぜひ合わせてご覧ください。

キャリア選択について

中学生~教員以外のキャリア~

 私は公務員の一家で育ちました。しかし、当初は自分が公務員の職に就く想像ができず、公務員や教員になりたいとは思っていませんでした。また、これといった将来の夢があったわけではなかったので、「なぜ決めなければいけないのだろう」と悩んでいました。学校では将来の夢をもつことを求められるうえ、「将来の夢をもっている人の方が優れている」という空気感があったため私には辛かったです。進路希望に、安易に「公務員」と書くのは嫌でしたが、自分が知っている職業は公務員しかありませんでした。しかし、実際に公務員が何をする職業なのかはわかりませんでした。

 そこで、自分のことを友人に聞いたら、「子どもが好き」「教えるのが上手い」「説明したりまとめたりするのが上手」という長所を教えてくれました。そのとき、子どもを相手にする教育の仕事が自分に向いているのかもしれないと思いはじめました。

教員にならなかったわけ

 教員の道に進まなかった理由は2つあります。

 1つは、中学1年生のときに担任の先生が転勤したことでした。離任式で涙ながらに「最後まで見てあげたかった」と話す担任の先生の姿を見て、私は「転勤」というシステムが納得できませんでした。小学校の先生は6年間、中学校や高校の先生は3年間と、教員という立場ではひとりの生徒に向き合える期間が限られています。そのとき、「先生はずっとその子の人生を見ていたいのではないか」と思いました。大学教授や私立校の教員を考えなかったのは、地方出身で地元に大学や私立校がなかったからということのほかに、私立校であってもひとりの生徒と関われるのは3年間だけだからという理由もありました。

 もう1つは、母校の小学校へお世話になった先生に会いに行ったことでした。その先生は私たちの成長を喜んでくれましたが、その翌年に先生が転勤してしまったため、それ以降は行っていません。そこで、知っている先生が誰もいない学校にはもう二度と行かなくなるという母校の概念に疑問を感じて、「教員は自分の目指す形ではないかもしれない」と思い、学習塾という選択肢を考えはじめました。学習塾はずっとその地域にあるので、もしかしたら教え子が大人になって、自分の子どもを通わせることもできるかもしれないのではないかと思いました。加えて、そこで生徒と元教え子の話ができる場所は素敵だと思いました。しかし、既存の学習塾は「勉強を教える場所」というイメージが強かったので、既存の学習塾に就職するのではなく、そのイメージを払拭するような学習塾を自分で作ろうと思いました。そのため、「○○塾」という名前ではなく、一見すると学習塾とはイメージできない「SoRa」という名前に決めました。

大学生~挫折と再起の物語~

 私は中学生のとき、学習塾をつくるためにどのような勉強をして、どのような大学に行くかといったライフプランを全て考えました。しかし、大学入試に失敗したことで、ライフプランが崩れてしまいました。入学した大学は、担任の先生などに「行かない方がいい」「浪人した方がいい」と言われていたところで、入学後最初の授業は英語のbe動詞と一般動詞の違いについてでした。大学は高校まででは学べなかったことが学べる場所だと思っていたので、衝撃を受けました。私は塾講師という勉強を教える立場を目指していたため、他のことに挑戦して自分のレベルを高めようと思いました。そんなとき、別の大学から出向して授業をされていた先生が、その大学で授業を受けることを提案してくださいました。それからは、卒論を大学2年生までに書き終えて、半年間その先生の大学で学び、その後は別の大学でも学びました。この経験は私にとってとても価値のあるものでした。

 「Education」という単語は、ドイツ語の「Erziehung」(エルツィーウング)が語源です。この言葉には「引き出すこと」という意味があります。つまり、教育とは上から教え込むのではなく、いかに引き出すかなのです。そこで、引き出し方の可能性について考えるために心理学を活用したコーチングを学びたいと思い、大学では教育心理を専攻しました。

 そういった、勉強が上手くいかなかったり挫折を味わったりした以外にも、海外に行くなどさまざまなことを経験しました。そのうえで自分に一番合っているのは教育現場だと思い、大学生だった当時、30歳で独立することを決めました。それまでの期間は視野を広げるための勉強をして、2012年の3月9日に学習塾をつくりました。

31歳~SoRa開業~

 私は、本来は2011年3月に学習塾を作るつもりでした。しかし、東日本大震災が起きて私の地元も被災したため、その年の開業は断念しました。そのときは、「何もできなかった」という無力感を抱きました。私は瓦礫撤去ができるような力のあるタイプではないので、代わりに沿岸から少し離れたところで復興支援に送り込めるような人材を育成するため、震災の1年後にSoRaを作ることにしました。しかしその際、開業資金がないという困難に直面しました。震災が起こったとき、私にできることはお金を寄付することしかないと思ったので、貯めていた開業資金を寄付しました。そのため、開業資金が0になり、資金繰りに苦労しましたが、1年間でなんとかテナントを借りることができる状態にしました。

開業後の苦労

 開業してから苦労したのは認知の少なさです。Soraは従来の塾とは違った塾の形にしたため、「この学習塾はこのような場所だ」という草の根を張ることに時間がかかりました。また、「学習塾の先生は見た目からきっちりしている真面目な人だ」という世間のイメージと比べられて、「チャラチャラしている」と言われたり、同業者から叩かれたりしたこともありました。

 加えて、従来の塾の形をどのくらい残すかという点も悩みました。自分自身にも「学習塾はこういうものでなければいけない」という固定観念があり、オープン当初は生徒の合格実績を並べていた時期もありましたが、全く効果がありませんでした。そこで、自分が本来やりたかったことを振り返り、今のような形に転換した結果上手くいきました。

そして議員へ

知らないことを経験する

 子どもたちの将来について話している中で、「政治は身近なものだ」ということを伝える場面が何回かありました。その一環として、2016年に選挙権が18歳に引き下げられたタイミングで、高校生と一緒に10代の投票率を上げるための活動をしました。その経験から、知らない世界に飛び込んでみることで自分の言葉に価値が出てくることを知りました。また、私自身も政治のことをよくわかっていなかったと感じたので、議員になることを決意しました。

【注文をまちがえるカフェ】
認知症当事者にとっての活躍の場と周知につながること、そして寛容性を伝える高校生の活動
【光る絵本展in三陸鉄道】
東日本大震災10年のタイミングで被災した沿岸の高校生と直接の被災ではなかった内陸の高校生が繋がり共に取り組んだ活動

「失敗」を経験する

 議員になろうと思ったもう1つの理由として、私が今までにイメージしたことは全て実現できているからこそ、「もう少し失敗したほうがいい」と言われたから、ということもあります。選挙や議員職は自分の得意な領域ではないのでやってみようと思い議員に立候補しました。

選挙活動を通じた新たなアプローチ

 私は選挙について何も経験はありませんでしたが、まずは自分がイメージする選挙活動をしました。特に、私は従来の街頭演説の形式に疑問を抱いていたので、人々の声を聞きながら街の課題に共に取り組む姿勢を示すため、人々との「対話」を大切にし、座談会のような形で街頭演説を行いました。また、公約よりも過去の実績や経験を伝えることを重視しました。

 最大の目的は子どもたちに政治や選挙を身近に感じてもらうことでした。子どもたちも地域に必要な存在なので、選挙権の有無にかかわらず、一緒に活動することができると信じています。そのため、街頭演説に駆けつけてくれたり、一緒に選挙カーに乗ってくれたりする教え子もいたことで、この目的が達成できたと感じました。

大切にしていること

子どもたちとともに学び続ける

 私は「教育は水と同じ」という言葉を教わったことがあります。これは、教育が高いところから低いところに落ちるものであることを表しています。受け止める器がないと流れ出てしまうので、水がちゃんと降りて行くことが最も重要です。それができれば子どもたちは成長します。つまり、その分教える立場である自らも伸び続けなければならないのです。特に、私が目指している「子どもたちをずっと見ていく」ことの実現のためには、自分自身が学び続けることが不可欠です。視野を広げ、新たな知識を取り入れることで、子どもたちの成長をサポートし続けることができます。例えば、高齢者福祉に関する知識が不足していると感じたときには、「注文を間違える料理店」という認知症の方が接客している飲食店で高校生と一緒に学んで、そのような場を作る方法について考えました。

 さらに、さまざまな教育に関わる人から学ぶことも一つの勉強と捉え、常に向上心を持ち続けています。子どもたちとともに成長し、学び続ける姿勢を大切にしています。

登壇者プロフィール

山崎智樹さん

SoRaStars株式会社、学習塾「個別指導・集団授業SoRa」、「ドリーム・シード・プロジェクト」代表

山崎さんInstagram:https://www.instagram.com/tomokisorastars

主催団体

NPO法人ROJE EDUCAREERプロジェクト(旧:教育と仕事フェスプロジェクト)

「一人一人が納得して自身のキャリアを決められる」ことを目標に、大学生向けイベントの企画・運営を行っている、大学生によるプロジェクトです。私たちは教育業界のキャリアの面白さを広く発信し、多様な教育キャリアと出会う機会を創出することで、教育業界でのキャリアを歩みたいと思う学生を増やし、納得のいくファーストキャリアを選択してもらうことを理念に掲げています。

詳細はこちら▷EDUCAREER(旧:教育と仕事フェス) | NPO法人日本教育再興連盟(ROJE) (kyouikusaikou.jp)

関連記事

 こちらの記事でも塾講師というキャリアについて紹介しているので、ぜひご一読ください。

編集後記

 私自身、小学校から高校まで公立校に通っていたので、多くの先生との別れを経験しました。そのため、学習塾に通うことで山崎さんのような素敵な先生に出会えたら生涯の財産になると思いました。塾講師に限らず、教育キャリアを志す方にこの記事が届けば幸いです。

(編集・文責 EDUPEDIA編集部 丸山和音)

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この記事を書いた人

先生を目指す学生の方に向けた情報を中心に発信していきます。

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