平和のとりでを築く②(光村図書国語6年)~筆者が伝えたい事・市民の思い

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目次

はじめに

こちらの記事は、静岡県で30年間以上続く教員サークル、シリウスのホームページに掲載されている教育実践法の一つをご紹介しています。

シリウスのホームページはこちら→ 静岡教育サークル/シリウス

筆者が伝えたいこと

さて、子どもたちが学習してみたいことの中で、筆者の伝えたいことは何だろう? という疑問を持った。そこで筆者の考えがあらわれている部分を探すことにした。

文章の中で、事実を述べている文には青線、筆者の考えや思いを述べている文には、赤線を引こう。

このように文章を〈事実〉と〈考え〉に分けていった。すると文章のほとんどに青線が引かれることになった。作者の思いや考えが述べられているところが、わずかであることがわかった。これ以外の文章のほとんどが事実であることがわかった。

すると筆者が伝えたいことは、この文の中にあることになる。

【1段落】
 この原爆ドームが、平和を築き、戦争をいましめるための建造物として、ユネスコの世界遺産への仲間入りを果たしたとき、わたしは、建築されてからこの日まで、この傷だらけの建物がたどってきた年月を思わずにはいられなかった。

【11段落】
 原爆ドームが世界遺産の候補として、世界の国々の審査を受けることになったとき、わたしは、ちょっぴり不安を覚えた。それは、原爆ドームが、戦争の被害を強調する遺跡であること、そして、規模が小さいうえ、歴史も浅い遺跡であることから、果たして世界の国々によって認められるだろうかと思ったからであった。しかし、心配は無用だった。決定の知らせが届いたとき、わたしは、世界の人々の、平和を求める気持ちの強方を改めて感じたのだった。

【12段落】
 痛ましい姿の原爆ドームは、原子爆弾が人間や都市にどんな惨害をもたらすかをわたしたちに無言で告げている。未来の世界で核兵器を二度と使ってはいけない、いや、核兵器はむしろ不必要だと、せ界の人々に警告する記念碑なのである。

【13段落】
 原爆ドームは、それを見る人の心に平和のとりでを築くための世界の遺産なのだ。

原爆ドームと呼ばれるようになったわけ

子どもたちの疑問の中に〈建物について〉という疑問があった。原爆ドームは、もともと「物産陳列館」として建てられ、その後「産業奨励館」→「原爆ドーム」→「世界遺産」とその呼び名を変えている。この建物がたどった様子を読みとった。まずは、

原爆ドームは、名前の呼び方がどのように変わっていったのか、ワークシートにまとめてみよう。 

教科書を見ながらその名前の呼び方の移り変わりをまとめた。

いつ どうした

【1915年】
大正四年 物産陳列館として完成
広島を取り巻く時代の流れをじっと見守ってきた
 絵や書の作品展の会場としても、多くの市民に親しまれてきた

【1945年】
昭和二十年 原子爆弾が投下
市民は一瞬のうちに生命を奪われ、川は死者でうまる
戦後間もないころ 原爆ドームを保存するか、取りこわしてしまうかの議論

【1960年】
昭和三十五年 一少女の日記がもとになり「原爆ドーム永久保存」へ
表のようにまとめることがわかった。発表の中で、

● 戦後間もないころ「原爆ドーム」と呼ばれる。

という発表があった。本文中にはいつから「原爆ドーム」という呼び方をするようになったのかがはっきりと書いていない。そこで、

どうして原爆ドームという名前で呼ばれるようになっただろう。誰かが、この名前を決めたのだろうか?

と、尋ねてみた。

まずは、班ごとに相談したのであるが、全部の班が〈誰かが決めた〉のではなく〈自然とそう呼んだ〉と考えた。

〈自然と「原爆ドーム」と呼ぶようになった〉

原爆で破壊されたけれど、丸屋根(ドーム)が残ったから。
原爆が、ドームの上で爆発したから。
誰かが決めたわけではない。広島の人たちがそう呼んでいた。
議論が続いていて「原爆が落ちた物産陳列館は…」と言うのが面倒になって、少しずつ省略されて、自然と「原爆ドーム」と呼ばれるようにかった。
この物産陳列館が爆心地に近いし、原爆の恐ろしさが中でもよくわかりそうだからそう呼んだ。
生き残った人たちが思いついて広まった。
別に誰かが決めたわけではないと思うけれど、町の生き残った人たちが建物として一番被害を伝えやすかったのが、原爆ドームだったからそう呼ばれるようになったと思う。
みんなが、そう思っていたから。

このように、自然と「原爆ドーム」と呼ばれるようになっていったことを考えた。平和を求める市民の素朴な思いがそう呼ばせたのかもしれない。

保存や世界遺産の登録について

原爆ドームを保存することや、世界遺産に登録することについてはさまざまな議論があったようだ。筆者も世界遺産の登録については「私はちょっぴり不安を覚えた」と述べている。そこで、当時の原爆ドーム保存への議論について考えてみた。子どもたちに「その当時、もし自分だったら…」と、当時の議論を再現した。

その当時、もし自分だったら、原爆ドームや世界遺産登録に賛成したでしょうか、反対したでしょうか。 

子どもたちの考えは〈賛成〉12人、〈反対〉14人と、まっ二つに分かれた。

〈賛成〉12人
 ・広島市をあんなにした原爆なんて思い出したくないけれど、未来のために残す。
 ・平和を知らせるもの、外国へアピールするものだから必要。
 ・原爆のことを忘れたら、後世でも核兵器を作って戦うから。
 ・実際の物を見た方が効果があるから、ドームがあれば、心に「ずきっ」と来る。

〈反対〉14人
 ・8月6日の出来事を思い出して恐くなる。そのときのこと思い出してパニックになる。
 ・ただビデオを見ているだけで恐くなるから、本物はもっと恐いと思う。
 ・原爆のむごたらしさを思い出してしまうから、
 ・写真とかにとっておけばいいと思うし、ドームを見るとトラウマみたいになる。

のように、賛成反対の両方の考えを子どもたちはもった。そこで、

いろんな人と自由に意見交換をする友だちタイムをとってから、全員で話し合ってみることにした。

〈反対〉
 ・原爆ドームがあると、その時の恐ろしさを思い出してしまう。
 ・恐怖が、頭の中に残ってしまう。
 ・町の中心に残しておくと、土地がもったいなくて無駄になってしまう。

〈賛成〉
 ・世界の人たちは、平和な世の中がいいに決まっているから残した方がいい。
 ・多くの人に知ってもらうことが大切。
 ・外国へのアピールになる。

このように両者の考えがされたのだが、この討論の中で光ったのが「もし自分の家族だったら…」と、自分の身に置き換えて発言した子がいた。これによって、みながよく深く考えた。

きっと当時の広島でもこうした議論が繰り返されたことだろう。こうした自然な気持ち、平和を願う素朴な気持ちが、やがて平和を求める強い気持ちに高まっていったのだと感じた。

プロフィール

静岡県教育サークル シリウス

1984年創立。
「理論より実践を語る」「子どもの事実で語る」「小さな事実から大きな結論を導かない」これがサークルの主な柱です。
最近では、技術だけではない理論の大切さも感じています。それは「子どもをよくみる」という誰もがしている当たり前のことでした。思想、信条関係なし。「子どもにとってより価値ある教師になりたい」という願いだけを共有しています。
(2015年1月時点のものです)

書籍のご紹介

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編集後記

平和について考えさせられる文章を扱う授業の実践でした。いかがでしたでしょうか。
「自分がもっと学習してみたい文章を自分で選ばせる」という方法は、子どもが自主的に学ぶためにはもってこいの実践ですね。

私事ですが映像や写真など目で視覚的に学んだものは記憶に残っているなという実感があります。平和学習に限らず、他の分野の授業でも映像・画像を効果的に使いたいですね。

(編集・文責:EDUPEDIA編集部 横山尚人)

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