教師の語り(見えない壁ver)

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失敗談も

教師の語りは、成功体験や武勇伝ばかりでなく、失敗談や恥ずかしい体験をしたことなどさまざまなケースがあると思います。同じ一人の人間として心をこめて話をするのです。そこに子どもたちは、教師とのつながりを見い出すのではないでしょうか。

私は小学生の時、水泳がとても苦手でした。25Mを泳いだのは小学校6年生の時です。学校の授業で何度泳いでも20Mの手前で立ってしまうことが続きました。息継ぎがきちんとできていないから息が続く限界なのでしょう。何回泳いでも20Mの壁が立ちはだかっていました。「おしい。あと少しなのに・・・」と励まされながらもその壁はなかなかこえられませんでした。

壁をこえたその日の水泳は、急遽5,6年合同の授業となりました。とてもドキドキしました。実は、5年生の中に好きな子がいたからでした。25Mも泳げないようなみっともない姿はみせられないと思うと体がこわばりました。
いよいよ自分の番になりました。5年生の好きな子がちょうど20Mあたりのプールサイドに座って見ていました。心臓はバクバクです。用意、ピー。私はがむしゃらに泳ぎました。とにかく、息の続く限りめいっぱい水をかき前へと進みました。ほとんど自分がどの辺りを泳いでいるかわからない状態でした。
次の瞬間、バシッ、痛!気がつくと25M泳ぎ切り、手がゴールに当たっていました。「やったー。25M泳げた」と心の中で叫びました。嬉しさが体の中から湧き上がってきました。でも、好きな子の目の前です。プールから出る時は平静を装いました。
その日以来、25M泳ぐことは当たり前になりました。それどころか、50M、100Mと記録はどんどん伸びていきました。子どもの頃の淡い思い出です。

壁をこえる瞬間は、いつどこでどのような形であらわれるのかわかりません。この場合は、好きな子の前で格好悪い姿を見せられないという、ある意味追い込まれた状態でしたが・・・。
壁をこえることができたのは、好きな子の存在もありますが、その日まで、何度も悔しい思いをしながらも練習をしてきたことで、この瞬間に息継ぎのタイミングやコツをつかんだのだと思われます。

見えない部分の過程に価値や意識を持たせる

何でも頑張ればやっただけの成果や結果が出るとは限りません。ある一定の段階まで来るとこのような見えない壁にぶつかります。しかしながら、そこであきらめずに続けることで体の中にエネルギーがたまっていくのです。それが、ある時、ふっとはじけ、壁をこえる瞬間がきます。(見えないだけに、突然のような気がしますが・・・)

見える部分での成長が、停滞しているときこそ、教師は見えない部分の過程にどれだけ価値や意識をもたせることができるのか、そこが重要ではないかと思います。担任をしていた時、この水泳の話を笑いをとりながらよくしていました。

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