「ほんになんにも…」は誰の言葉か(『かさこじぞう』)

じいさまとばあさまが会話をする場面がある。会話の中に、じいさまが言ったのかばあさまが言ったのか、はっきりと分からない文があるので、これについて考えてみることにした。

”ほんになんにもありゃせんのう”と言ったのは、誰だろう?おじいさんだろうか? おばあさんだろうか?

最初の考えは じいさま 4人 ばあさま 29人だった。文中に決定的な証拠になる文がないのだが、いろいろな考えが出た。

じいさま  4人

  • 座敷を見回したあとに、”ほんになんにもありゃせんのう”と言っているから
  • ばあさまは、土間を見てすげを見つけたものだから、何もないというのはおかしい。
  • ばあさまが土間を見つけたのは、”ほんになんにもありゃせんのう”のあとなので、この”ほんになんにもありゃせんのう”はじいさまの言葉。

ばあさま  29人

  • じいさまとばあさまは、交替交替で話をしている。じいさま→ばあさま→じいさまと続いているから、次はばあさまの言葉になる。
  • ”じいさまはざしきを見回したけど、何にもありません””「ほんになんにもありゃせんのう」”と文が。で区切られている。だから、前の文とあとの文は別々なので、ばあさまの言葉になる。

参観日であったので、家の人にも相談に乗ってもらうことにした。家の人たちも子どもと真剣に相談している。

最終的には、 < じいさま >12人 < ばあさま >22人となった。合計数が増えているのは、家の人も予想して手をあげてくれたからである。

授業のまとめの段階になり、どちらが正しいのか十分な根拠を示せぬまま終わってしまった。授業後このことについて、出版社に尋ねてみると、この問いに対する考えを教えてくれた。

編集部としての考え(概要)

ほんになんにもありゃせんのう”はじいさまの言葉と考えます。理由は教科書の編集上の理由で、その後にすぐ続く”ばあさまは、土間の方を見ました”の文は段落がつけられています。普通、話者(話をする人)が同じ場合、会話文では、一字下げないことが原則になっています。しかしこの文は、一字下げられ、段落がつけられています。このことは、じいさまからばあさまへと話者が変わったことを意味します。もし”ほんになんにもありゃせんのう”がばあさまの言葉だったら、次の”ばあさまは土間の方を見ました”の文は、一字下げないで書かれているでしょう。だから、この会話はじいさまの言葉として考えられます。

{編集部が語る岩崎京子さんの考え}

普通、物語の作者は、その作品が授業の中でどのように使われるかまで意識して物語を書きません。その物語を、一人一人が味わってくれればよいからです。このような分析的な授業を想定しているわけではないのです。この文はじいさまとも考えられるし、ばあさまとも考えられます。そのどちらかを決めることよりも、自分なりに思ったことや感じたことを大切にしてほしいと思います。

出典:シリウス/静岡教育サークル http://homepage1.nifty.com/moritake/index.htm

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