授業が成立するベース:教師たちが大事にする【子どもへの心の寄せ方→ケアの心が行き渡る授業運営】

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目次

はじめに

「教室がざわざわした時の、魔法の言葉は?」
ワアワアなった時、静かにできる武器(手段)は?」
「授業が脱線した時、立て直す方法は?」
「授業中、注目(集中)させる手法は?」

これらの、学生たちからの質問に対して、私は明快に答えてあげることができませんでした。そういうマニュアルとか、ノウハウは、存在しないことを伝えたかったのですが・・。現場の若い教師たちの間でも、そういうスキルを求める傾向が、近年増えてきました。

それらを、ありきたりですが「指導力」と言うならば、教師の指導力(授業力)とは、決してカリスマ的なものでもないし、特別なオーラを放つというものでもないし、ましてや、力技大声怒鳴り声)で静かにさせ、強引に話を聞かせることでもありません。

むしろ、穏やかな表情と、ゆったりとした口調で、子どもの目を見て受け答えをする・・・そんな担任の先生の、しなやかな姿勢が、柔らかな教室(授業)の空気を醸し出していると言ったほうがいいでしょう。
ここ2年間、注目していた6校(小中高2校ずつ)の全クラス公開授業を、愛知県・三重県・滋賀県で参観する中で、そういう教室(教師と子どもたち)を、たくさん観ることができました。

その6校の教師たちに共通していた「形として見えない働き」を、私も再度イメージしてみましょう。これが、学生たちへの返答になるのかなと思ったりしています。

1 担任たちが大事にする「心の寄せ方」「ケアする心の持ち方」

まず、子どもの顔(目)を見ながら}発言を聴く、
子どものつぶやきや表情の変化}を見逃さない、
子どもの発言をコーディネイト(子どもと子どもをつなぐ役割を)する、
といった教師自身の「聴き方」そのものの包容力・集中力(耳をすまし、耳を傾けて、キャッチすること、そして、発言する子どもから視線をはずさないこと)でした。
さらに、その子の気持ちに心から共感して受けとめる(うなずく)、
スモールステップを与えて子どもの変容をほめることをいとわない、
子どもの気づきを待とうとする、
子どもたち以上にその学習内容を楽しんでいる、
先にも述べた、子どもの顔(目)を見てゆったりと穏やかに語りかける、
指導案どおりにいかなくても笑顔でどっしりとかまえている、
といった「ふところの深さ」(技術でも、天性のものでもない、磨かれた謙虚な人柄でした。

先生方の年令・性別もさまざまでしたが、子どもたちとの向き合い方には、どの先生も豊かな人間性(それまでの生き方で培われる)と、それぞれ魅力的な人柄(個性)がにじみ出ていました。

2 形としては見えない働き(これがポイント)

ですから、「形としては見えない働き」を教師がしていると、子どもたちも、
そういう姿勢の先生の話だから聴きたい
クラスの仲間の意見も聴きたい
先生やクラスの仲間にも意見を聴いてほしい
お互いの違いも認め合える
といった学び合うことに対する意欲に満ちあふれている教室の雰囲気(クラスの空気)でした。そのポイントは、あとで述べます。

こういった、参観者である私の目に「形として見える」クラスの姿(ペア学習、グループ学習、机のコの字型などなど)の「裏側」では、教師は子ども1人ひとりとの信頼関係を太くする努力を絶えずしておられ、常に子ども同士が尊重し合えるように心を配っておられるのでしょう。

具体的には、共に遊び、共に掃除をし、共に給食を食べ、どの子にも声をかけ、日記の返事を書き、子どもが「ボク・私の気持ちはわかってくれる先生」だと心を開いてくれるためにできる、あらゆることを地道に、こつこつと、あきらめず、実践されている姿が浮かびます。

しかも、あわてず、さわがず、度量のある態度は、一貫して、ぶれないので、子どもたちにも安心感を与えるのでしょうね。例えるなら、ステキな花を育てるために、土を耕し、肥料をやり、水やりも日光にあててやることも毎日けっして欠かさない・・・こんな働きに似ています。

日々、メッチャ地味(決してスキルなんかじゃない)ですけど、これら「形としては見えない働き」の積み重ねがあって、初めて、授業(聴き合う学び)が成り立つのでしょう。それを、あえて「ひと言」で表すなら、「信頼関係の構築で生まれる相互作用』」ということになるのでしょうか。子どもとの間に「相互作用」が生まれてきたら授業が成り立つようになります。それでも、子どもが本題から離れそうになったら、教科書を音読することを何度も入れたりして、教材に戻ることを大事にしておられる先生方でした。以下は、以前にも紹介したことです。

スモールステップをあたえて、ほめること(できて当然のことを)

私たち教師は、よく「しっかりしなさい」「ちゃんとしなさい」と言いますが、子どもには、イメージしにくい、どうしていいかわからない、あいまいな言葉だと言えます。ですから、大声で
しっかりして」「ちゃんとして」「うるさい」「まだか」と、どなるより、
みんな、すわろうね・・おっ、早くすわれたね。すごいなぁ」(笑顔で)
A君、先生の方を向いて」→「うれしいな。向いててね」(ほめながら)
Bさん、本とノート出して」→「すばやいな。えら~い」(ほめながら)
C君、感想を書くんやで」→「できてるやん。さすがは△年やね」(ほめながら)
シーッ!お話するのをやめようね・・だんだん静かになったね。うれしいな」(笑顔で)
先生のお話を聞いてね・・聞いてくれてありがとうね」(笑顔で)
と、場面に応じた、子どもがイメージしやすい具体的な声かけを、根負けせずに3ヶ月続けられたら、クラスは落ち着きます

『失敗は成功のもと』1人の体験をみんなで共有させること

立ち直りへの支援が、子どもの自立を促すことになります。挙手した意欲を「えらいね」と認め、言えなかったことは「緊張するもんなぁ」と支え、「なあ、みんな」と周囲のみんなにも共有させ、気を取り直して、挙手したA君を再度指名し、自立を促してあげましょう。そんな教師の姿(どの子に対しても)を、周囲の子どもたちもしっかりと見ている(存在感のある先生だと感じる)ので、教室全体に安心感が広がります

トラブルはその子とつながるチャンス

つらかったんやね」「そら、ムカつくわなぁ」「くやしかったんやもんなぁ」と代弁してあげましょう。その子なりの理由を、その子にも、周囲の子らにも気づかせます(自分らの言動がどうだったか、見て見ぬふりをしていなかったか)。それは、教室に悪者(レッテル貼り)を1人もつくらないためなのです
「△△君、あなたが大切だから、ていねいに言うし、最後まで聞いててね
△△君1人に言ってるのとちがう。クラスのみんなに言っているんだよ
と見回して、他人事という雰囲気(1人だけしかられているという空気)を絶対につくりません

「今するべきこと」をわかりやすく、そして時には強い意志で

・指示することばは短めに。(だらだら長い話は、お説教になります
・その子の拒否の叫びや行動に、教師が動じない。(売り言葉に買い言葉は×
・断固たる決意で、その子と真正面から向き合う感覚で、決してゆずらない。
・そして、少しでも、しようとしたら、ほめる。教師自身も心から喜ぶ。
・その子が本当にしたら、おもいっきりほめて、共に喜びを分かち合う。
子どもが受けとめてくれたら、必ず具体的にほめることも忘れないことです。
この5つを、ねばり強くくり返していると、じょじょにではありますが、しかる(注意する)回数が減ってきます(不思議なくらい)

教師集団が組織的に動くこと

例えば、子どもたちに対して、例えば、学校に持って来てはいけない物など、特に生徒指導面では、
どの先生も、同じ思いで、同じこと、言わはる
と思わせるように、毎日のミーティングを短時間でも必ずとります。また、
どの先生も、チャイムが鳴った時には、教室に来てやはる
と思わせるように、授業始まりのチャイムを教室で聞く教師集団になります。こうした先生方の連動したうごきは、雰囲気をかえます。

空気を伝えること・つくること

先生が笑顔でいると『楽しい空気』が伝わり、子どもの心にも響きます。また、
ダメ!」「やめい!」「またか!」「何してんの!」「さっき言ったやろ」などと言う否定的な指示語も、緊急時(イジメ・ケガ・危険)以外は、やさしく、ゆったり、
どうしたの?」→会話(事情を聞く)→「どうしたい?」→支援
こういう時は、△△すると、うまくいくよ」「今度は、先に△△してみようね
というふうに、言いぶんも聞いてあげて、ダメの中身を、具体的に伝えることで、子どもも、気持ちをわかってくれた教師の言葉は素直に受け入れられます

できたら減らしたい言葉、増やしたい言葉

△できるだけ減らしたい先生の言葉(大声、どなり声、早口で命令する声
こらっ!」「静かに!」「わかった人?」「できた人?」「他にない?」
◎できるだけ増やしたい先生の言葉(柔らかく、大きくないゆっくりした声
絵本が見えてない子はいないかな?」(読み聞かせを始める時は必ず)
困っていることはないか?」(こう言われると、子どもはうれしいのです)
先生にも聴かせてほしいな」(子どもが発言しやすい聞き方です)
みんなに聴いてほしいこと、ないか?」(子どもも言いたくなる聞き方です)
隣の人としゃべってみて、気づいたこと、聴かせて」(つぶやきも聞く)
わからない所があったら、言ってね」(「教えて」と言える子に育てたい)
わかりにくかったら、隣の人に聞いてみて」(親切に教えてあげる空気も)
「○○さんの言いたいのは、こうかなと言える人?」(うまく言えないモゴモゴ発言に)
○○君の言いたいことの続きがうかんだ人、いるかな?」(声の小さいボソボソ発言に)
子どものどんな発言も切り捨てず、子どもと子どもの発言をつなげていくことを大事にしていると、自己チューの「ハイハイ発言」や、「ちぇっ、先に言われた」「言おうと思ってたのに」と言う「しらけた発言」が減っていきます。これらは、いくつもの学校で確かめられたことなのです。

おわりに(始めの1歩)

以上、マニュアル・ノウハウ・スキルなんかじゃないし、手法・手立てでもない、子ども1人ひとりへの、お世話じゃない「ケアの心」(個々に応じた支援、温かさが伝わる支援、安心と自信をはぐくむ支援)を、片時も忘れないであろう先生方(6校30クラス)から、ひしひしと感じた、形としては見えない教師の「心の寄せ方」「教師のありよう」「授業における居方」など、イメージできたことを列挙してみました。

なんだか、「花咲かじいさん」が、花を咲かせるまでの、幾多の困難な過程においても、めげないで、隣のじいさまにも、殿様にも「心と心のやりとりがある対話」を大切にしていた姿とも重なります。「花咲かじいさん」がまいていた「灰」=「花を咲かせる種」だとすれば、子どもたちの中にある「種」を見つけ、その「種」に光をあてるのが、教師の仕事ということになります。

伝え合う」ということは、教え込むことでも、言いたい放題でもありません。大事なのは、必ず子どもの顔を見て声を聴くこと、それをあったかい言葉でつなげることの積み重ねです。これこそ授業運営の「始めの1歩」だと言えるのではないでしょうか。

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