初めての特別支援学級担任 【特別支援コーディネーターものがたり 第三話】

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目次

1 【特別支援学級担任への配置変え】

ヨツバ特別支援学校があるヨツバ市のとなり、スミレ市の新興住宅地にあるスミレの丘小学校のサトウ校長先生からカゲウラ先生に電話が入りました。校長先生からじかに相談の電話を受けることは珍しく、さすがのカゲウラ先生も緊張し、相手には見えていないのにもかかわらず姿勢を正しながら受話器をとりました。

「ノムラというベテラン女性教員がコーディネーターと特別支援学級の担任を兼ねているのですが、発達障害のあるお子さんの保護者ともめていて、本人がまいってしまっています。どうか相談に乗ってもらえませんか」。校長先生の声にも張りがありません。かなり思い悩んでいる様子です。カゲウラ先生は、詳しい事情は直接小学校を訪問してから聞くことにし、さっそく出かける準備を始めました。

車で20分ほど走るとスミレの丘小学校の校舎が見えてきました。その名の通り小高い丘の上にあり、校門の脇の花壇には小さな三色スミレやパンジーが咲き乱れていました。その横には大きなポールの先に小さなこいのぼりが3匹泳いでいます。

下校する子どもたちが車中のカゲウラ先生にも「さようなら!」と元気に挨拶をして出て行きます。「気をつけて帰るんだよ!」。カゲウラ先生は車の中から手を振って笑顔を返し、ゆっくりと車を校内に入れました。そして来客用のスペースに駐車すると、職員用通用口で事務室に声をかけ、校長室に案内されました。

サトウ校長先生はあと数年で定年を迎える、ということですが、若々しいジャージ姿で、校長室のベランダから下校する子どもたちに大きな声で「さようなら!また明日な!」と呼びかけていました。そして、カゲウラ先生に気がつくと慌てて応接ソファーに案内し、いっしょに腰を下ろしました。「いやあ、こんな格好で申し訳ない。ちょっと前まで子どもたちと校庭で遊んでいたもので」。行動派の校長先生のようです。「詳しいお話を聞かせていただけますか?」。こう投げかけると、校長先生の表情が曇り、カゲウラ先生の目をまっすぐ見つめながら話し始めました。

スミレの丘小学校の「フラワー学級」(自閉症および情緒障害児を対象とした特別支援学級・通称「自情学級」)には3人の子どもが在籍し、最年長は6年生のミホさんでした。ミホさんは病院でアスペルガー障害と診断され、4,5年生だったときには男性の担任が受け持ちだったのですが、対人関係に不安を感じやすく、どちらかといえば体育会系のその先生と相性が合わずに不登校気味でした。
そこで、校長先生は通常学級の担任として長い実績があり、生徒指導の経験も豊富だったノムラ先生をこの4月から特別支援学級の担任に配置しました。しかし、ミホさんのお母さんは娘が学校へ行けないのは担任の責任だ、と兼ねてからクレームを重ねていて、ノムラ先生が新しい担任になっても「先生なんかみんな同じだ。親の気持ちなどわかってくれない!」と非協力的な姿勢を変えませんでした。

ノムラ先生は長い教員経験の中で初めてコーディネーターに指名され、また特別支援学級の担任でもあるので、右も左もわからないまま、それでも一生懸命努力していました。学級運営だけではなく学校全体の特別支援教育を推進していかなければならないので、その仕事量は膨大でしたが、与えられた仕事はやりぬくタイプだったので、決して手を抜かず、毎日朝早くから夜遅くまで仕事をしていました。
そんなノムラ先生にミホさんのお母さんは、発達障害についての専門知識がないとわからないような質問をぶつけたり、毎日夜遅くに先生をなじるような長電話を続けたりするなど、容赦のないことばや行動でノムラ先生を悩ませました。いくらベテランといえどもこれでは心や身体は疲弊してしまい、休暇をとって休むことが多くなってしまったそうです。「私の校内人事が間違っていたのかもしれません・・・」。校長先生は両手で頭を抱えました。

2 【特別支援学級の担任、そして先生の立場】

「ノムラ先生と直接話してもよいですか?」。カゲウラ先生がそうお願いすると、校長先生は放課後のフラワー学級に案内してくれました。教室はとても清潔で、壁の掲示物もきちんと整理されています。間仕切りや色違いのカーペットなどを効果的に使い、複数で勉強するスペース、一人ずつ勉強するスペース、遊ぶスペース、休憩するスペース(兼・食事場所)の4箇所に室内は区分けされています。発達障害傾向がある子どもたちは、この空間であれば安心感を高めながら生活できるでしょう。ノムラ先生、だいぶ勉強しているようです。

その休憩スペースのカーペット上に小さなテーブルがあり、ノムラ先生はテーブルの横に座りその日の記録を日誌につけていました。小柄な彼女は無造作に紺色のパーカーを羽織り、髪も乱れ、その表情は疲れきっていました。そして、校長先生に気がつくと急いで立ち上がり会釈をしました。「いいよ、そのままで。今日は私の知人であるヨツバ特別支援学校のカゲウラ先生が、ぜひ特別支援学級を見学したい、というからお連れしただけなんだよ」。校長先生はカゲウラ先生との事前の打合せどおりノムラ先生にそう伝えました。

「先生、お仕事中に申し訳ありません。良かったら少しご一緒させていただいて学級運営のお話など参考までに教えていただけませんか?」。ノムラ先生は遠慮がちに「私の話など何の参考にもなりませんよ。それでもよろしければ」と静かに答え、カーペットの上にカゲウラ先生を招き入れました。校長先生が笑顔を残し、校長室へ戻って行きました。

二人だけになった教室で、ノムラ先生は校長先生の優しいたくらみ(?)を見通していたかのように訥々と話し始めました。「私はダメな教師です。同僚にも子どもたちにも、そして保護者の皆さんにも迷惑をかけてしまって」。窓からそっと流れ込んだそよ風が、テーブルの上の日誌のページをふわっとめくろうとしています。

「それでも通常学級の学級運営には自信を持っていたんです。なのに校長先生の信頼を得られていなかったから、特別支援学級の担任にさせられた。コーディネーターなんておまけまでついて。だから校長先生を見返してやろうと、寝る間を惜しんで基礎知識も何もない特別支援教育を勉強してきました。だけど、そんな一夜漬けではどうしようもありません。教師はパーフェクトでなければならないのに、ミホさんのお母さんの質問に何も答えられなかった・・・」。テーブルに頬杖をつきながら、まるで自分自信に言い聞かせるかのように話していたノムラ先生は、やがて両目を手のひらでふさぎました。小さなすすり泣きが聞こえてきました。

こんなとき、いつもなら優しく慰めるカゲウラ先生が、しかし、このときばかりは厳しい口調をノムラ先生にぶつけたのです。「とんでもない誤解ですよ!」。驚いて泣きはらした顔を上げたノムラ先生に、カゲウラ先生は畳み掛けました。「あなたは力のない教員は特別支援学級に配置される、と思っているのですか。とんでもありません。特別支援教育は優れた教師力がなければできない仕事ですよ」。そう詰め寄るカゲウラ先生の目を、ノムラ先生はキッと見返しました。「ではなぜ校長先生は私をフラワー学級の担任にしたんですか!」。「それはね、先生。先生がこの学校でもっとも優秀な教員だったからです」。その言葉に、ノムラ先生は驚いて目を見張りました。

「校長先生はおっしゃってました。特別支援学級の担任は教師として特別な力を持つものでしか担当できない、自分はそう考えていると。そして、必要なのは障害児教育に対する専門性や指導力以前に、一人一人の子どもを真実の目で理解し、支えることができる教師力なんだと。それがあなた、ノムラ先生だったんですよ」。カゲウラ先生は表情を和らげ、野村先生を包み込むかのようにそっと語り掛けました。

「この学校でそんな力にあふれた先生はノムラ先生以外にいない。彼女ならフラワー学級を立て直し、学校全体の特別支援教育をも盛り上げてくれるに違いない。専門知識なんて彼女のモチベーションさえ高ければすぐに身につくはず。そうお考えになったそうです」。「ではなぜそういってくれなかったのですか」。ノムラ先生は訴えかけるような視線でカゲウラ先生を見つめました。

「校長先生はね・・・」。カゲウラ先生は大きく深呼吸をして続けました。「あなたなら黙っていても、いつか必ず気づいてくれるだろう、とおっしゃってました。でもさきほど、それを直接伝えなかったご自分を責めてもいました。ノムラ先生に心労を与えてしまった、と」。「校長先生・・・」。ノムラ先生の目から大粒の涙がとめどなくあふれ落ちました。

「ノムラ先生、教師はパーフェクトである必要はないと思います。教師も人間です。わからないこともあるしできないこともある。でもね、むしろそれを隠して知ったかぶりするよりも、できないことをできない、とはっきり子どもや保護者に伝え、だからこそいまからがんばります、一緒に歩いて行きましょう、支えてくださいと心からお願いしてみてはどうでしょうか。わからないことは素直にお母さんに聞いてもよいでしょう。それは決して恥ずかしいことではありません。必要のないプライドは捨て、子どもや保護者と正面から向き合って見ませんか」。ノムラ先生は顔を伏せたまま、かすかにうなづきました。カゲウラ先生は少しずつ夕闇を受けて暗くなっていくフラワー学級に天井の灯を入れ、扉で室内に向かって一礼をし、教室を後にしました。

3 【特別支援学級というチーム】

7月にヨツバ特別支援学校の「学校公開」がありました。地域の皆さんに特別支援学校の教育の様子を一般公開し、さらに理解を広げようとする催しです。学校玄関の受付係になったカゲウラ先生はいつになくしゃれた水色のシャツに身を包んだクールビズ姿でお客様を迎えていました。

そこに「カゲウラ先生、お久しぶり!」と大きな声で玄関から入ってきたのは、スミレの丘小学校のサトウ校長先生でした。この学校公開には地域の教育関係者にも案内が配布され、特別支援教育に関心を高く持つサトウ校長先生自らが見学にやってきたようです。
少しして受付の仕事も終わり、カゲウラ先生が校内を巡回していると、遠くからサトウ校長先生が駆け寄り、うれしそうにひそひそ声で話し出しました。

「あのあとね、そうそう、ノムラ先生の話だよ。彼女ね、自分からミホさんのお母さんに電話して、近くの大学で企画された発達障害の研修会に一緒に行きませんか、ってさそったんだよ!」。カゲウラ先生は授業中の廊下なので声をひそめながら驚きました。「そりゃあすごい!」。

「そしてさ、お母さんと一緒に勉強会を始めてさ、そこにミホさん以外の子どもお母さんやほかの学年の先生方も参加し始めて、いまやうちの学校は特別支援教育ブームだよ。ミホさんのお母さんもすっかり変わっちゃって、校長先生、うちの学校は最高ですねだなんて言っちゃってさあ。きっとお母さんもお子さんのことでどうしていいかわからず、不安な気持ちを受け止めてくれる人もなくて、学校にストレスをぶつけるしかなかったんだろうね。ノムラ先生はその思いをしっかり受け止めて、先生も保護者も、一人の子どもを支える同じチームの一員なんですよ、ってな感じで話し合ってから大きく変わっていったんだなあ。いやあ、やっぱりノムラ先生を担任にして、コーディネーターにして本当によかった!」。校長先生は暑い廊下でだらだら汗を流しながら一息にしゃべり続け、ようやくふーっとため息を吐き、ことばを止めました。

「それでミホさんの不登校はどうなりました?」。「それがさあ、不思議なんだよ」。校長先生はハンカチで汗をぬぐいながらまたうれしそうに小声で話し始めました。「ミホさん、学校に来られるようになってね。まだ慣れない先生と廊下ですれ違うと隠れちゃうこともあるんだけど、わたしには小さな声で『おはようございます』なんて言えるようになってね。やっぱりさ、専門性とか技術とかはもちろんあったほうがいいんだろうけど、教育はさあ、心だよね。どれだけその子のことを思っていて、この子どもの得意なことを伸ばしてやりたい、素敵な人生を送らせたい、生まれてきたよかったと思って欲しいなんていう心がさ、結果的にはその先生の専門性を高めることになるし、指導力を上げることにもなるんじゃないのかな。ノムラ先生も生き生きとしてるよ。毎日楽しそうだよ。うんうん」と校長先生は自分で言った言葉に感じ入っていました。

でもそのとおりですよ、とカゲウラ先生は心の中でつぶやきました。この校長先生あってこそのフラワー学級だし、ノムラ先生あってこその特別支援教育だし。スミレの丘小学校の子どもたちはきっと幸せなんだろう。日本中すべての学校がそうありますように。カゲウラ先生はそっと胸の奥で願いを唱えた瞬間、チャイムが鳴りました。そしてそれは、まるでカゲウラ先生の願いを「わかりましたよ!」と宣言するかのごとく、清らかに鳴り響いていました。

もこもこと盛り上がっていく遠くの空の入道雲が、猛烈に輝く太陽から少しだけ日陰を作り、その瞬間、やっぱり廊下の窓から涼やかなそよ風が流れ込み、カゲウラ先生の手にある学校公開のしおりをそっとめくろうとしていました・・・。

4 【作者から】

小中学校や高校で、青天の霹靂のように特別支援教育コーディネーターに指名されたり、特別支援学級の担任に指名されたりした先生方は少なくないでしょう。そしてそういう世界に知識も経験もないから自分にはできません、と校長先生に再考を願った方もいるのではないでしょうか。

しかし、通常学校の管理職の先生方と話をしていると、多くの場合「その人にしかできない仕事だから」と崇高な決意を持って指名する場合が多いようです。ありていに言えば「あなたならできる!」という信頼の証かもしれません。

多忙な職務の中でさらに新たな領域について仕事をして欲しい、といわれれば、誰だって驚き、不安に思います。教員養成の課程で特別支援教育など学んだこともなかったのに特別支援学級の担任だなんて、と途方にくれることもあります。
でも、ここまで何度か書いてきましたが、これからの学校教育に特別支援教育の知識は必要不可欠です。ご存知のように学校教育法施行令が平成25年8月に改正され、日本は通常学校でのインクルーシブ教育をよりいっそう推進していく方向性が示されました。そんないま、特別支援教育を学べる機会が訪れたのは、むしろチャンスと捉えてはどうでしょう。そしてそんなチャンスを用意してくれた校長先生は、あなたに大きな将来性を期待しているのかもしれません。

また、保護者の中には一見して、巷で言われる「モンスター」的な行動や言動に出る方も確かにいます。しかし、過去の経験からして保護者自身の置かれている生活環境を理解し、苦しみや悩み、不安に共感して話を聞くと、ほとんどの保護者が安心感を高め、むしろ学校に協力的になるケースが往々にしてあります。そう「モンスター」なんていない、それが私の結論です。

わたしたちだって、あなただって、心に闇を抱えれば人にそれをぶつけたくなるのではないですか?悩みや不安があれば、日頃おいしいと感じている料理も苦く感じてしまいます。保護者の不安をいかに軽減し、その心に寄り添って対応できるか。それが保護者対応の核心です。

私は大学で学生に特別支援教育を教える際、ときに研究対象(?)としているウルトラマンの話題を例に出すことがあります。2001年にTBS系列で放映されたウルトラマンコスモスには、心(?)を「悪」(番組では「カオスヘッダー」と呼んでいます)に乗っ取られた怪獣たちが登場します。そして怪獣が市街地で大暴れしているとウルトラマンコスモスが現れ、「悪」を鎮め、追い払います。すると怪獣たちはおとなしくなり、ねぐらにかえって行きます。

それと同じだよ、とは言いませんが、誰のどんな行為にも必ず理由や背景があります。なのに目に見える部分だけで判断してしまうと、悩んでいる保護者が「モンスター」的に思えてしまうのかも。文中でも触れたように教師はパーフェクトである必要はなく、ましてやウルトラマンになる必要もありません。しかし、相手が子どもでも保護者でも、あるいは同僚であっても、その人々の悩みや苦しみに寄り添いあい、支えあう存在になれれば、いつかお互いの気持ちが通じ合うときがやってくるのではないか、と信じています。

5 講師プロフィール

松浦俊弥  現職:東京福祉大学 社会福祉学部 准教授(教員養成課程)

松浦先生の著作の近刊をご紹介致します。
『エピソードで学ぶ 知的障害教育』北樹出版社
http://www.hokuju.jp/books/view.cgi?cmd=dp&num=925&Tfile=Data

記事のような松浦先生の特別支援教育のエピソードを本にまとめられています。ですが記事とは内容はすべて違うエピソードが書かれており、学校や地域、教員に求められていることなど様々な見方で特別支援の様子が載っています。

(主な経歴)
・浦安市中学校教諭(進路指導主任ほか)
・県立知的障害特別支援学校教諭(生徒指導主任・特別支援教育コーディネーターほか)
・県立病弱特別支援学校教諭(特別支援教育コーディネーター・教務主任ほか)
・県立知的障害特別支援学校教頭

・元 NPO法人あかとんぼ福祉会理事長(障害児放課後クラブ)
・元 四街道市特別支援教育連携協議会専門家チーム座長
・元 四街道市障害区分判定審査委員
・元 富里市・八街市特別支援連携協議会専門家チーム委員
・現在、八街市子ども・子育て会議座長

(資格)
・臨床発達心理士
・自閉症スペクトラム支援士エキスパート

(主な受賞歴)
・読売教育賞最優秀賞(平成16年)
・NHK障害福祉賞(平成21年)

(所属学会)
・日本特殊教育学会
・自閉症スペクトラム学会
・日本育療学会

(主な著作・執筆)
・「病気の子どもの理解のために」(国立特別支援教育総合研究所・全国特別支援学校病弱教育校長会編)

・「自閉症スペクトラム児・者の理解と支援」(教育出版)

・「自閉症スペクトラム辞典」(教育出版)

・「生きる力と福祉教育・ボランティア学習」(万葉舎)

(今後の出版予定)
・「特別支援学校の日常をエピソードで綴る知的障害教育の理解(仮題)」(北樹出版)本年9月

1985年、浦安市の中学校に英語科教諭として着任。生徒の英語への関心を高めるため、屋上で「英単語巨大カルタ大会」を開催したり英語劇を演じさせたりするなど授業に工夫を凝らしていた。生徒指導副主任、進路指導主任、学年主任などを歴任。
 生徒指導にも追われる中、社会性は高くても学習に課題がある生徒の存在に気づき、その背景を探ろうと特殊教育(現在の特別支援教育)を学び始める。1990年、知的障害教育の養護学校(現在の特別支援学校)に異動、自閉症児やダウン症児、重複障害児たちと出会い、その教育の奥深さに惹かれる。生徒指導主事などを歴任。
 97年、担任する子どもたちの保護者の悩みから障害児の家庭生活、地域生活の貧しさに課題を感じ、志を同じくする同僚、保護者とともに障害児が通う養護学校のための学童保育(障害児学童保育)設置運動を開始。98年に千葉県初の障害児放課後クラブ(現行の放課後等デイサービス事業)「あかとんぼ」を開設。その後も教員業の傍ら、ボランティアで運営を支える。99年にNPO法人化し初代理事長に就任。
 99年、多数のメディアで「あかとんぼ」の活動が紹介されたことに影響を受け、県内にその後続々と作られた障害児放課後クラブのネットワークとして千葉県障害児の放課後休日活動を保障する連絡協議会(千葉放課後連)を設立。事務局長として千葉県知事などと面談を重ね、自治体からの補助制度が実現する。その後、2003年には全国の有志と同活動の全国団体、障害児の放課後休日活動を保障する全国連絡会(全国放課後連)を設立、事務局次長として厚生労働省と話し合い、現行の放課後等デイサービス事業の礎を作る。
 現職の教育公務員としてボランティアで携わり続けた障害児放課後クラブ推進に関する一連の活動に対しては、読売教育賞最優秀賞、NHK障害福祉賞、ワンバイワンアワードなど多数の受賞を通じて社会的に高く評価される。
 2002年、病弱教育の養護学校に異動。2004年から特別支援教育コーディネーターとして地域全体の特別支援教育推進に尽力。小中学校、高校等の依頼に応じ、主に発達障害児、病弱児等に関する相談支援を行なう。2006年から4年間、教務主任を兼任、教育課程の編纂などを担当。
 また病弱教育特別支援学校全国校長会(全病長)、国立特別支援教育総合研究所(特総研)が企画した通常学校教員向けガイドブック「病気の子どもの理解のために」(全編を特総研ウエブサイトから無料ダウンロード可)の編集に参加、「心の病編」など執筆も担当する。
 2010年、知的障害特別支援学校へ異動、教務副主任、特別支援教育コーディネーターとして地域の特別支援教育推進に尽力。
 2012年、千葉県立特別支援学校の教頭職に就く。しかし教頭になっても地域からの相談依頼が重なり、幼稚園・保育園、小中学校や高校などではまだまだ特別支援教育の普及が進んでいないことを実感。また特別支援学校についても社会的な理解が不足している現状を憂い、2013年、大学教員に転身。現在に至る。
 現在は大学での教員養成の傍ら、主に千葉県内を中心として小中学校、高校や市町村教育委員会等の依頼に応じて年間50箇所以上で研修会の講師などを務める。また要請があれば個別相談、保護者面談、校内委員会への参加などもいとわない。
 特別支援教育の社会的な理解推進のためメディアでの発信を続け、9月には初の単行本(「エピソードで綴る知的障害教育」 北樹出版)を出版の予定。臨床発達心理士、自閉症スペクトラム支援士の資格を有する。

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