中学歴史〜建武の新政と室町幕府〜(自主学習用教材「こころの窓」第16回)

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目次

1 はじめに

本記事は、東近江市の元中学校校長で現在は小学校講師を務める雁瀬徳彦さんが作成した「こころの窓」の内容を引用・加筆させていただいたものです。「こころの窓」は中学生向けの日本史教材で、不登校の生徒や、学校に登校できても教室に居られず別室で過ごす生徒が一人で勉強できるように作られています。雁瀬さんの取り組みに関しては、こちらの記事もご参照ください。

本記事では、第16回「建武の新政と室町幕府」の内容について紹介しています(教材の本文は編集せずに掲載しております)。ほかの単元の記事をご覧になりたい方はこちら

2 「こころの窓」について

教材の一枚目を見ていただくと分かりますが、教材の文章を読むと歴史の流れがよく分かります。現在使用されている学校の教科書は写真も多くとても見やすいように思いますが、初めて歴史を学ぶ子どもたちにとって、とても難しい写真や資料です。また、教科書の文章には事実が羅列されているだけなので、歴史の事象がドラマティックであることや、当時の武将がどんな思いで戦いや政治を行っていたかという感動が伝わってきません。だから、不登校の子どもたちが学校の教科書だけを使って一人で勉強しようと思ってもなかなか続かないのです。

そこで、子どもたちが一人で楽しく歴史の勉強ができるようにプリントを作成しました。また、次のページには復習問題があります。ほかの教材だと、「794年に何がありましたか」という語句を答えさせる問題が主流です。このプリントには語句を答えさせる問題ではなく、「なぜ、都を奈良から京都に移したのですか」という問題が載っており、起こった事実に対して、その原因や結果について子どもたちに考えさせる問いになっています。

解説編

今日の調子はどーですか。

では、今日も一緒に勉強しましょう!

今日のお題は、「建武の新政(けんむのしんせい)と室町幕府(むろまちばくふ)」です。

元寇のあと、御家人の不満は高まっていきました。すると、かねてから政治の実権を武士から取り戻そうと考えていた後醍醐天皇(ごだいごてんのう)は、鎌倉幕府に不満を持つ御家人である足利尊氏(あしかがたかうじ)や楠木正成(くすのきまさしげ)、新田義貞(にったよしさだ)らを味につけ幕府をたおす戦いに立ち上がり、幕府を滅ぼしてしまったのです(1333年のことです)。

そして、天皇を中心とする政治が始まりました。これを建武の新政(けんむのしんせい)といいます。しかし、天皇の政治は、武士をないがしろにするものだったので、怒った足利尊氏は、後醍醐天皇を攻撃しました。敗れた天皇は奈良の吉野(よしの)に逃れ、ここで政治を続けたのです。しかし、足利尊氏は京都に別の天皇(光明天皇・・こうみょうてんのう)を立て政治を始めたのです。そのため、京都を北朝(ほくちょう)といい、奈良を南朝(なんちょう)とよんで、日本は二つの朝廷に別れたのです。この時代を南北朝時代(なんぼくちょうじだい)といいます。およそ60年間南北朝時代は続きますが、この間に二つの朝廷は、戦いを繰り返していきます。

さて、それから60年、3代将軍になった足利義満(あしかがよしみつ)は、長い間対立を続けてきた南朝を滅ぼし、南北朝を統一したのです。よかったですね。そして、義満は、京都の室町(むろまち)に幕府を開きます。この幕府を室町幕府(むろまちばくふ)といいます。また、この時代を室町時代といいます。下の絵が足利義満さんです。

下の図が室町幕府のしくみです。鎌倉幕府とほとんど一緒ですね。ただ、鎌倉の幕府の時は、執権であった役が、室町では管領(かんれい)というものに変わりました。それから、この義満さんはすごい将軍で、父が早く亡くなったので、11歳で3代将軍になります。さらに、しばらくしてから、将軍の位を子の義持(よしもち)に譲り、自分は太政大臣になったのです。これによって、完全に天皇の力を押さえて、地方の守護や地頭を取り仕切り、室町時代で一番、平和で安定した時代となるのですよ。

今日の勉強はどうでしたか。では、いつもの復習問題に挑戦してみてください!

復習問題

1.後醍醐天皇は、どのようにして鎌倉幕府を倒しましたか。

かねてから政治の実権を武士から取り戻そうと考えていた後醍醐天皇は、鎌倉幕府に不満を持つ御家人である足利尊氏や楠木正成や新田義貞らを味方につけ、幕府をたおす戦いに立ち上がり、幕府を滅ぼしてしまったのです。

2.なぜ、日本に二人の天皇が存在し、北朝と南朝に別れてしまったのですか。 

後醍醐天皇の政治は、武士をないがしろにするものだったので、怒った足利尊氏は、後醍醐天皇を攻撃しました。敗れた天皇は奈良の吉野に逃れ、ここで政治を続けたのです。しかし、足利尊氏は京都に別の天皇(光明天皇)を立て、政治を始めました。そのため、京都を北朝といい奈良を南朝とよんで、日本は二つの朝廷に別れたのです。この時代を南北朝時代といいます。

3.二つに分かれた北朝と南朝は、どのようにして統一されたのですか。

3代将軍になった足利義満は、長い間対立を続けてきた南朝を滅ぼし、南北朝を統一しました。そして、義満は、京都の室町に幕府を開きます。この幕府を室町幕府といいます。

あとで出てきますが、京都の金閣寺や銀閣寺は知っていますか。有名ですね。このお寺が建てられたのが室町時代で、義満さんは外国との貿易でお金儲けをして、あの金閣寺を建てたのですよ。8代将軍の義政(よしまさ)さんは、お金がなかったからなのか銀閣寺という名ですが、銀は貼ってないのですね。こんなこと言ったら義政さんに怒られるかもしれませんね。

3 ダウンロードはこちらから

こころの窓 第16回「建武の新政と室町幕府」

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4 おわりに

不登校の子どもたちにとって一番大切なことは、何が何でも学校に登校させることではなく、家であろうが別室であろうが自立の力をつけてあげることだと考えます。誰かに言われて取り組む学習を重ねるのではなく、自分で考えて自分で学習できる力をつけることが大切です。その上で、学力をつけていくことが「生きる力」につながっていくと思います。

この「こころの窓」は、一人で勉強するために作ったプリントです。閉ざした『こころの窓』を開けて、社会に出て行くための勉強をがんばってほしいと考えてこの題名をつけました。

不登校に悩む子ども達の力になることを祈っております。

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