中学地理〜オーストラリアの移民と文化〜(自主学習用教材「こころの窓」第29回)

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目次

1 はじめに

本記事は、東近江市の元中学校校長で現在は小学校講師を務める雁瀬徳彦さんが作成した「こころの窓」の内容を引用・加筆させていただいたものです。「こころの窓」は中学生向けの地理教材で、不登校の生徒や、学校に登校できても教室に居られず別室で過ごす生徒が一人で勉強できるように作られています。雁瀬さんの取り組みに関しては、こちらの記事もご参照ください。

本記事では、第29回「オーストラリアの移民と自然」の内容について紹介しています(教材の本文は編集せずに掲載しております)。ほかの単元の記事をご覧になりたい方はこちら

2 「こころの窓」について

教材の一枚目を見ていただくと分かりますが、教材の文章を読むと歴史の流れがよく分かります。現在使用されている学校の教科書は写真も多くとても見やすいように思いますが、初めて歴史を学ぶ子どもたちにとって、とても難しい写真や資料です。また、教科書の文章には事実が羅列されているだけなので、歴史の事象がドラマティックであることや、当時の武将がどんな思いで戦いや政治を行っていたかという感動が伝わってきません。だから、不登校の子どもたちが学校の教科書だけを使って一人で勉強しようと思ってもなかなか続かないのです。

そこで、子どもたちが一人で楽しく歴史の勉強ができるようにプリントを作成しました。また、次のページには復習問題があります。ほかの教材だと、「794年に何がありましたか」という語句を答えさせる問題が主流です。このプリントには語句を答えさせる問題ではなく、「なぜ、都を奈良から京都に移したのですか」という問題が載っており、起こった事実に対して、その原因や結果について子どもたちに考えさせる問いになっています。

解説編

こんにちは。気分はどうですか。

今日もこころの窓を開けてくれてありがとう。ではボチボチはじめましょう。

今日のお題は「オーストラリアの移民と文化」です。

オーストラリアは18世紀の後半にイギリスの植民地になりました。その後オーストラリアで金が採れることが分かり、たくさんのイギリス人が移住して来たのです。しかし、安い賃金で働く中国人もたくさん移住してきたので、仕事がなくなると困るという理由から、イギリスの白人達は白豪主義(はくごうしゅぎ)と呼ばれる政策を行いました。この白豪主義というのは、ヨーロッパからの移民以外を制限したのです。つまり白人以外は移住できなくしたのです。この政策は1970年頃まで続きました。

しかし、この政策は世界中から人種差別だとして非難され、また、アジアの国々とオーストラリアとの貿易が盛んになったことから、1979年にこの政策は廃止されました。その後、中国や東南アジアからの移住が進み、オーストラリアにはたくさんの民族が住むようになりました。このようにいろんな民族が一緒に住む社会を多文化社会(たぶんかしゃかい)といいます。

また、オーストラリアには、もともとアボリジニと呼ばれる先住民(せんじゅうみん)が住んでいました。しかし、この人達は移住してきたイギリス人によって殺されたり、土地を奪われて内陸の砂漠地帯へと追いやられたのです。長い間苦しめられてきたアボリジニですが、1993年にようやく先住権(せんじゅうけん)が認められ、もともと住んでいたところに戻ることができたのです。さらに、現在ではオーストラリア政府がアボリジニを保護したため、生活水準も向上し、白人と同じような生活が保障されはじめたのです。

下の絵はオーストラリアの中央にある岩山で「エアーズロック」といいます。アボリジニの聖地(聖なる土地)です。

同じように、ニュージーランドにも、もともとマオリという先住民が住んでいました。そこへイギリス人が移住してきたため、アボリジニと同じような迫害(はくがい)を受けました。しかし、イギリスで大人気のスポーツであるラグビーが、マオリとイギリス人の関係の改善に役だったのです。ニュージーランドで、世界最強といわれるラグビーチームであるオールブラックスに、マオリの若者が参加し活躍しはじめたのです。そして、その選手達が、チームの試合が始まる前に、マオリの踊り「ハカ」を取り入れたことで、オールブラックスの人気がさらに高まりました。こうしてラグビーというスポーツを通して、人種差別はなくなったそうです。ニュージーランドもすばらしい国ですが、ラグビーというスポーツもすばらしいですね。

お疲れ様。では復習問題へ!

復習問題

1.イギリス人がなぜ白豪主義を行ったのか、その理由をまとめてください。

オーストラリアは18世紀の後半にイギリスの植民地になりました。その後オーストラリアで金が採れることが分かり、たくさんのイギリス人が移住して来たのです。しかし、安い賃金で働く中国人もたくさん移住してきたので、仕事がなくなると困るという理由から、イギリスの白人達は白豪主義(はくごうしゅぎ)と呼ばれる政策を行いました。この白豪主義というのは、ヨーロッパからの移民以外を制限したのです。つまり白人以外は移住できなくしたのです。この政策は1970年頃まで続きました。しかし、この政策は世界中から人種差別だとして非難され、また、アジアの国々とオーストラリアとの貿易が盛んになったことから、1979年にこの政策は廃止されました。

2.先住民アボリジニについてまとめてください。

オーストラリアには、もともとアボリジニと呼ばれる先住民が住んでいました。しかし、この人達は移住してきたイギリス人によって殺されたり、土地を奪われて内陸の砂漠地帯へと追いやられたのです。長い間苦しめられてきたアボリジニですが、1993年にようやく先住権が認められ、もともと住んでいたところに戻ることができたのです。さらに、現在ではオーストラリア政府がアボリジニを保護したため、生活水準も向上し、白人と同じような生活が保障されはじめたのです。

3.先住民マオリについてまとめてください。

ニュージーランドには、もともとマオリという先住民が住んでいました。そこへイギリス人が移住してきたため、アボリジニと同じような迫害を受けました。しかし、ニュージーランドで、世界最強といわれるラグビーチームであるオールブラックスに、マオリの若者が参加し活躍しはじめたのです。そして、その選手達が、チームの試合が始まる前に、マオリの踊り「ハカ」を取り入れたことで、さらに人気が高まり、ラグビーを通して人種差別はなくなったそうです。

3 ダウンロードはこちらから

こころの窓 第29回「オーストラリアの移民と自然」

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4 おわりに

不登校の子どもたちにとって一番大切なことは、何が何でも学校に登校させることではなく、家であろうが別室であろうが自立の力をつけてあげることだと考えます。誰かに言われて取り組む学習を重ねるのではなく、自分で考えて自分で学習できる力をつけることが大切です。その上で、学力をつけていくことが「生きる力」につながっていくと思います。

この「こころの窓」は、一人で勉強するために作ったプリントです。閉ざした『こころの窓』を開けて、社会に出て行くための勉強をがんばってほしいと考えてこの題名をつけました。

不登校に悩む子ども達の力になることを祈っております。

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