「立派な先生」なんて作る必要ない。等身大で子どもも先生も楽しい学校に。

1 はじめに

本記事は、2021年10月13日にオンラインで行った、山本健慈先生へのインタビューを記事にしたものです。

今回は先生の専門である生涯学習や、和歌山大学学長任期時のご経験、またコロナ禍での学びなど様々なことについて伺いました。

2 インタビュー

生涯学習とは

私は元々、教育学分野の社会教育が専門です。社会教育というのは日本特有の使い方ですが、広くヨーロッパなどでは、子どもや学校中心ではない大人の成人教育という意味で用いられます。日本でいうと子どもも含めますが、図書館や公民館などはある意味地域で大人が学ぶ仕組みとして作られています。

もともと、社会は大人が主体になって動かしていくので、その大人たちが時代や社会をしっかり学んで、社会の主人公になっていくという学びは、独自に保障をする必要があります。単に生活の経験のなかだけではなくて、広く学んで、その中で自分の判断を作っていくというような学びが必要なのではないでしょうか。それが社会教育です。

日本の場合、社会教育というのは学校外の子どもの教育も含んだ使われ方をしています。例えば皆さんも経験されたであろう子ども会、少年団などの活動も社会教育という領域に入っているので、そういう意味で社会教育は子どもから大人までを含んだ概念としても使われています。こうしたイメージと重ね合わせて、社会教育を生涯学習と言い換える、あるいは同じように使う、ということが日本では行われてきたわけです。

生涯学習を歴史的に見ると、これまで学校を中心にして考えられていた学び、既成の知識を獲得していくというプロセスから、広く社会で起こっている諸問題のなかから、新しく学んでいくというような教育へ大転換しなけらばならない、ということは50年くらい前から言われ始め、そのなかで生涯学習という考え方が生まれたというわけです。

生涯学習に携わるきっかけ

50数年前、教育学のなかには学校教育があり、それ以外の教育もあり、というような捉え方だったと思います。私は学校教育のなかでの学びに窮屈さを感じていたので、それをさらに研究する学問よりも、教育そのものを社会の中で捉え直すような、教育の探求がいいなと思っていました。だから、学校という制度に対する批判的意識をかなり持って、それ以外の教育学を追求するというプロセスの中で、社会教育と生涯学習という考え方をより専門にしたといえます。

みなさんが学校に対してどういう意識を持っているかわかりませんが、私が生まれたのは戦後、教育の平等性がかなり叫ばれた時代で、今のように、たくさんの私立学校があって、教育における格差があってみたいなことがなかった時代ではあります。しかし、子どもの貧困は今よりもたくさんあって、貧困のなかにある同級生たちが非常につらい目に遭っていることに対して、憤りを感じていました。そして教育の平等も社会の平等も一緒に追求しなくてはいけないだろうみたいな問題意識があったため、狭い意味で、学校教育のなかでよくできる子はいい子だねみたいな話に私はついていけず、非常に批判的に、その当時の自分が受けた教育を考えてましたよ。これを何とかしなければならないと思いました。

だからあらゆるところに学ぶ場があって、そこで様々な情報を得て判断する、という日本社会にならないといけないのではないでしょうか。

和歌山大学学長任期時のご経験

私が生涯学習の専門家だからこう考えるという発想ではなくて、目の前に解決しなくてはならないどういう問題があるのか、ということがまず目にとまるんですよね。

和歌山大学もまず、学長になる前に何を思ったかというと、大学には色々なものがあり、全て知っているわけではないということです。学内のいろんな問題を知らなくてはいけないので、副学長の時代に色々なセクターの職員に集まってもらって聞き取りをしました。すると、図書館の職員が図書館は今大変なことになっていますと。何が問題かというと、例えば様々な精神的な問題を抱えていて、教室に行けない学生がストレスを抱えて図書館を居場所にしていることなどです。職員が何か注意をすると、反撃されることなどもありました。もちろん、自分が利用者として見ているときには気づかないことでしたし、学生がたくさん使っているような風景でもない。非常に大きな図書館でたくさん本があるのに全然機能していないなと感じました。

しかしながら大学で、学部や図書館という一つの部局を動かすことはなかなか大変で、それを変えるにはどうしたらいいかなというときに、図書館の専門家に手伝ってもらったら、大学図書館も何とかできるんじゃないかなと思いまして。先生の面倒をみるくらいしか余力のない図書館から、とにかく学生にサービスする図書館にしたいと思いました。

そして、70万冊の蔵書がある大きな図書館を、その目の前の学生に役に立てる施設にするためにどうしたらいいかっていうふうに考えました。学長としての私の仕事の仕方の一端です。

和歌山大学で掲げたキャッチコピー

これも生涯学習の専門家だから考えたわけではありません。広報の人とともに考えたものです。まず、とにかく大学で何が起こっているかって見えにくいから気づかないかもしれませんが、大学に入った途端に挫折して、引きこもりになったりしている人が数パーセント必ずいるわけです。

和歌山大学には精神科医の教授がいて、彼はその専門家として治療するというのを超え、立ち直った人のOB組織やピアサポート組織を作って、引きこもりから脱出したOB・OGが、そのまた後輩たちを引きこもりから脱出させるというプログラムを行っていました。私は彼を尊敬していましたから、学長になったとき、世の中にはあなたのプログラムを知らない人がたくさんいるから、学生を受け止めて、育て直して社会に出すということをもうちょっと広く知らせるようにしようよと、彼に言ったわけです。そうしたら、彼はありがとうございますと言ったと思いますか。私はそこまで考えなかったのですが、大学のあるメンバーは、そのプログラムがあることで、引きこもりそうな学生がどんどんうちの大学に受験して入ってくるんじゃないかと言われているというのです。

今の教育システム上、私立の幼稚園や小学校に行ってしごかれて、中高一貫校に行って東京大学に行きましたみたいな話はよくあります。人間形成上の問題からすれば、それでうまくいった人もいますが、うまくいかない人もいっぱいいるわけです。東京大学や和歌山大学に入ってそこでもう精一杯っていう人もたくさんいるのです。つまり、その18年間、どのように人間が育つかという全プロセスを考えないと、あるいは大学に入ってもそういうことを考え、受け止めて大学教育をしないといけない、と思います。一定水準で入学試験で通ったからみんな同じ、だからこういう工夫をすればいいみたいなのでは、大学は機能を果たせないんじゃないかなと思っています。

大学には、18年間の人生のプラスマイナスを抱えた一つの人格が入ってくるわけだから、そこでもちろんいろんな問題が起こるわけですが、それを踏まえた4年間の教育をするのです。

大学というのは社会に開かれており、卒業後もいろんな問題に直面するかもしれません。そのときに、自分の故郷である大学にまた戻ってきて学び直して、というようにそれまでの18年間の人生とその後の人生を結ぶ、その施設として機能しなければならないと思います。

コロナ禍での学び

大学の授業でもそうかもしれませんが、例えば形式的な情報だったら、こんな論文読んでおきなさいという話の方が早く進むわけです。一方、それに対してリアクションを確かめることができないので、プラスマイナスはどちらにしてもあると思うんですね。
例えば、今の4年生が経験した大学生活を、今の1年2年は経験していない。しかしやはり状況から学ぶと言いますか、“ない”から学べることもいっぱいあって、つまり今の時代はどういう時代だろうかみたいなことを考える情報がたくさんあるわけです。

だからかつての人が得ていた情報と同じものを得るために、比較してよいとか悪いとかいうのではなくて、新しい時代を作っていくために、今の状況をたっぷり考えることに時間を費やすべきではないでしょうか。あるいはそういうことに価値があるともっとメッセージとして伝えるべきじゃないかなと思うんですよね。

私の孫もオンライン授業や、学校を行ったり来たりしているので、コロナ禍前の子どもたちの算数より大変だとかいろいろ話はありますが、算数なんて取り戻そうと思ったらすぐ取り戻せるわけですよ。何か試験のためにここまでしないとクリアできないみたいな話になると、そうは言ってられませんが。そんなことは意味がないから、困難な今の状況をどういうふうに生きたらいいんだろうかとか、世界は今どういうふうに生きてるんだろうかとか、そういうことを考える時間はたっぷりあります。少しスタンスを変えてこういう状況に直面してるっていうことは、人にとってとても意味のあることなんだっていうふうに考えるべきだと思います。

未来の先生へメッセージ

色々な人に言っていることなのですが、立派な人だから立派な教育ができるっていう追求の仕方はやめた方がいいと思います。普通の人が普通に行って楽しくできる学校にしてほしい。人間というのは肩の力を抜いて普通にしているときが一番本領を発揮できると思っているからです。
ないものをあるように装ったり、生半可なものを自分が知っているようにふるまったりすると、非常にストレスがかかります。
素直に自分が等身大で持っているものを、みんながそれぞれ突き合わせることで、子どもも先生も楽しい学校にしてほしいなと。「立派な先生」なんて作る必要はないです。

私は今、二つの保育園を経営していますが、働いてる先生のキャリアはそんなに立派でもないし、学校ですごく素晴らしくできた人なんて1人もいません。むしろ人生の過程で傷つき、マイナスの経験をいっぱいしている人が、5歳までの子どもの人生を心底思って、働いてくれています。

こんな素晴らしいことをできているんだ、と言えるのはみんなが無理をしていないからです。私たちの保育園には自分の人生をその場所で生きて楽しいと思えるシステムがあり、職場の関係もそうしてできているんだと思います。立派な人を装う必要はない。「未熟な人間」のままでいいんじゃないかと思いますね。

3 プロフィール

山本健慈(やまもと・けんじ)

京都大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。
専門は、社会教育・生涯学習論、大学経営論。
1977年和歌山大学着任、教育学部教授。生涯学習教育研究センター長、副学長をへて2009年8月和歌山大学長(2015年3月退任)。2011年~2021年中央教育審議会臨時委員(生涯学習分科会)
2015年5月一般社団法人国立大学協会専務理事(2020年3月退任、現在参与)。
2020年10月学校法人明浄学院顧問に就任。他に和歌山大学顧問、独立行政法人大学改革・学位授与機構大学機関別認証評価委員会委員、一般社団法人大学教育質保証・評価センター理事。
大阪府熊取町では図書館協議会(委員長)、社会福祉法人アトム共同福祉会理事(会長)
(2022年2月時点)

4 関連書籍

5 編集後記

 山本先生には様々なことについてお聞きしました。特に印象的だったのが、大学で人生のプラスマイナスを抱えた18年間の人生を踏まえた教育をする必要がある、とおっしゃていたことです。大学に入っての4年間の教育だけを重視するのではなく、学生のそれまでの人生を受け止める姿勢に温かさを感じました。また、「立派な先生なんて作る必要はない。」という言葉にも感動しました。先生も子どもも等身大で、楽しく過ごせる学校づくりというのは考えたことがなかったからです。(編集・文責:EDUPEDIA編集部 中村)

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