均等より平等を~ギフティッドの正しい理解~(上越教育大学・角谷詩織先生)

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目次

 はじめに

 この記事は、2022年6月30日、7月5日に行った、上越教育大学の角谷詩織先生へのインタビューを記事化したものです。

 近年話題に上がることの多いギフティッドについて、その特性があると思われる子どもたちと関わるときに心に留めておきたいことを伺いました。

 ギフティッドについて基本的なことから詳しく知りたい方におすすめの記事です。

 ギフティッド児の特徴

 ギフティッド児とは、生まれつき突出した才能がある子どものことです。知的能力全般、特定の学問領域、創造性、リーダーシップ、スポーツ、芸術等の領域での才能があり、その上位3〜10%の人を指すとされています。この才能は、傍から見て明らかに発揮されている場合だけでなく、潜在的に秘めている素質も含まれるという点が重要になります。

 ギフティッド児の具体的な特性は様々ですが、以下のような、多くのギフティッド児に共通してみられる傾向もあります。ただし、必ずしもすべてのギフティッド児に以下のすべての特性がみられるというわけではありません。

 社会・情緒的な特性

 ギフティッドというと、才能がある、頭がよい、というイメージを持たれますが、知的能力の高さだけでなく、激しさや繊細さなどの社会・情緒的な特性を理解しておく必要があります。例えば、正義感が非常に強かったり、権威を振りかざしているような対応の仕方に断固として抵抗したり、完璧主義の傾向が強かったします。また、独創性にもつながりますが、自分のやり方を貫きたい思いが強いため、指示に従うことを拒むことがあります。こういった、一見、知的能力の高さとは関係なさそうな特性が、多くのギフティッド児にみられます。先生の指示に従うことを強要せず、その子の言い分に耳を傾けることは、ギフティッド児に限らず大切なことです。しかし、標準的な子どもの場合は「仕方ないか」と従ってくれて丸く収まるような場面でも、ギフティッド児の場合は納得できず大問題に発展することがあります。

 発達障害と誤解されることも

 授業中座っていられない、ぼーっとしているように見える、先生が話している途中で口をはさむ、休み時間に友達と遊ばずに1人で本を読んでいる、などという行動が見られると、すぐにADHD等の発達障害だと考えられてしまうことがあります。発達障害は脳の機能障害であるため、大抵どのような状況でも同じように不具合が起きます。しかし、例えばギフティッド児が授業中に座っていられないといった行動を示す場合、その理由の多くは、授業の内容が知っていることばかりで目新しい情報がないからです。要するに、知的な欲求が満たされていないという環境が原因で、授業中に座っていられないなどの行動を示すのがギフティッド児です。ギフティッド児の場合は、場面によって不適切な行動が消えたり現れたりします。図書館では集中して本を読み、博物館では自分の興味のあることについて集中して学ぶことができるのにもかかわらず、学校の授業では集中できないというように、場面によって行動が大きく異なります。

 ギフティッド児が抱える困りごと

  困りごとは多様で、ギフティッドだから必ずこれに困るといったものはありません。性格や学校の環境など抱えているものは様々です。担任の先生による理解の深さや柔軟さ、学校のシステムや理念が柔軟であるか否かによって、困り感はかなり異なります。ここでは、そのようななかでも比較的よく見られるギフティッド児の困りごとを紹介します。

①分かりきった内容の反復や授業

 飲み込みや習得が早い子どもたちなので、学校で分かりきっていることを朝から夕方まで強制的に聞かされる状態はかなり辛いです。大人の講習会であれば、このような状況のとき、途中で退室したり居眠りしたりしてもあまり問題にはなりません。しかし、子どもの場合、教室を出ると必ず問題視されます。そのため、ギフティッド児にとって、学校生活は修行のようなものです。時には、習っていないことは使ってはいけない、教科書の先を読んではいけないと言われることもあります。そうするとせっかくの知識を得たいという意欲がそがれてしまいます。これが多くの問題の根本だと考えられます。また、分かりきった内容の宿題だと、新しいことを知ることができて楽しいという思いを得られません。表面的に不適応と見なされてしまう行動の多くは、分かりきっていることを押し付けられることの辛さの現れだと思います。

②正義感の強さや繊細さが引き起こす人間関係の悪化

 ギフティッド児には激しさや不当への関心や繊細さ、納得できる理由を求めるといった特徴も多く見られます。そのため、先生が「先生だから」という理由で何かを強要したときに衝突が起きることがあります。さらに、先生の説明より詳しい説明をしたり、訂正をしたりすることもあります。先生にとっても、何度もそのようなことが重なると心象が悪くなっていき、その結果、子どもとの関係が悪くなってしまいます。何かを「やってはいけない」「やりなさい」と理由なく指示や注意をされると、たとえそれが優しい口調のときでも、ギフティッド児はかなり反発することがあります。 

 また、理不尽な場面を見ると、自分には直接関係のないことでも、不当な状況に対して非常に敏感に反応し、憤慨することもあります。このようにギフティッド児は純粋な気持ちで行動していても、関係の悪化を引き起こしてしまうことがあるのです。一方で、先生も悩みながら頑張っているという姿を見せると、ギフティッド児も大きく変わり、とても協力的になったり、進んで行動したりして、その子どものよさが発揮されるようになります。難しい反面、関わり方を少し変えると、ギフティッド児はよい変化を見せてくれます。声かけ1つを変えるだけで反応が全く異なります。

③感覚過敏にもつながる繊細さ

 繊細さは感覚過敏にもつながっており、教室の騒がしさや匂いで気分が悪くなってしまうことがあります。日本では感覚過敏があると、発達障害だと思われてしまうことが多いです。このこともギフティッドが発達障害と誤解されてしまう1つの原因になっています。

 ギフティッド児への配慮

 ギフティッド児全員が特別な配慮を必要するとは限りません。ほどよく集団生活に適応し、元気に学校に通っているギフティッド児もいます。そのような子どもに対して、「才能があるから」ということで特別な配慮や支援が必要だとは、私は考えていません。配慮や支援が必要になるのは、やはり、ギフティッド児が学校生活でかなりの困難や悩みを抱えている場合だと思います。

 選択肢を与える

 学校は集団であるため、様々な特性を持った子どもがたくさんいて、1人の子どものためだけに配慮をすることはできないと言われることがあります。そのような中で、ギフティッド児のためにできることの1つは「均等ではなく平等」を目指すことです。真の平等は、すべての人に同じものを同じ分量だけ提供することではなく、同じだけニーズを満たすことです。平等であるためには、子どもが自分で選択できる機会を十分に設けることが大切です。例えば、多くの場合、宿題は全員に同じものが出されますが、それは「均等」を意識しすぎていると言えます。平等な教育を施すには、例えば宿題を2〜3種類用意したり、宿題の範囲ややり方に選択肢を持たせたりして、自分に合ったものを選べるようにするなどの工夫が考えられます。先生が子どもによって出す宿題を変えるとなると、非現実的であるうえ、レベルの高いものを出された子どもが「あの子は特別扱い」と言われかねません。そのため、子どもに選ばせるのがよいです。自分で自分の行動を決定できたときに意欲が高まるというよさもあります。

 学ぶ目的を重視する

 また、ギフティッド児は分かりきったことを目的も分からず何回も繰り返すことを苦痛に感じます。例えば、漢字の学習で「〇回書いて覚えましょう」と書く回数を指定する課題がよくあります。しかし、学習の目的は漢字を習得することであり、繰り返し書くことではありません。自分の覚えやすい方法での学習を勧めることが、有効な配慮であると考えます。

 興味関心を追求させる

 他にできることとしては、総合的な学習の時間などで、自分の興味関心を追究できる時間をつくることだと思います。ギフティッド児は、自分の興味のあることについては集中して学ぶことができる傾向があります。通常の授業では、発展的な学習の機会が設けられること以外は、カリキュラムなどにより、自由に学ぶことにも限界があるかもしれません。だからこそ、子どもたちが自由に好きなことを調べて学ぶことができる時間には、子どもたちの学びたいという気持ちを尊重し、好きな分野を存分に追究することを認める姿勢が重要です。ただし、放っておけばよいというわけではなく、このような時間においても、先生からのフィードバックなど、必要な支援があるのは、ギフティッド児含め、どの子どもに対しても同じです。

 「才能を伸ばす」よりも大切なこと

 才能は適切な環境で、徐々に花開く

 ギフティッドに限らず、子どもの得意なところを伸ばそうと考えられることが多いですが、この考え方はギフティッド児にとっては危険だと私は思っています。先生方のイメージの中にあるギフティッド児は、小さい頃からピアノが上手い、小学生で大学数学を学んでいる、など分かりやすい才能を持っている子どもだと思います。しかし、そう考えていると、ギフティッド児の存在を見落としてしまう危険性があります。そのため、子どもの頃から自分の持っている才能を発揮している子どもはほとんどいないという見方を持つことが大事です。才能は、適切な環境で育ててもらわないと芽生えていきません。また、初期から一気に芽生えることもあまりなく、徐々に花開いていきます。一見どこにでもいそうな子どもでも、ギフティッドの可能性があるのです。

 「向いているか」より「ありのまま」に目を向ける

 子どもの才能を探そうとばかりすることは、何が子どもに向いているかだけを見ることにつながります。才能を発揮できるような環境をつくることはもちろん大切ですが、ギフティッド児の持つ、共感性の高さや正義感の強さに目を向け、その子の行動のよさやありのままの姿を認めることで、全人格的な発達を促すことも同じくらい重要です。向いているか向いていないかより、「あの子はこれが好きそう」「これについてたくさん質問してくる」というような、その子が放つ小さなサインをどれだけ敏感にキャッチできるかが大切です。

 自尊心を高める声かけ

 ギフティッド児があまり努力せずに同年代の子どもより少し秀でたことをしたときに、「すごいね」というフィードバックを受ける経験を積み重ねると、その子の中で「自分は何でもすごくなければいけない」「何でも簡単にできなければすごくない」という壁ができてしまいます。そして、苦労しなければできないことや自分よりも優れた人に出会ったときに「自分は大した人間ではない」「自分はどうせ駄目なのだ」と思ってしまいます。ギフティッド児を含め、子どもたちが「これやってきたの」「これ調べたの」と言ってきたときに「どうしてそんなこと思いついたの?」「どうやってやったの?」と声をかけるのがよいでしょう。そのように、大人が自分のやったことを評価するのではなく、関心を持ってくれていることが伝わる反応を見せると、「あなたのやったことに価値がある」というメッセージを伝えることができます。そうすることで「自分には価値がある」という自尊心の育成にもつながります。

 才能を伸ばすために必要な「覚悟」

 大人は「あの子はギフティッドだ」と思うと期待してしまいますが、同時に常識的であってほしいという願望もあって、それらがいつか相容れなくなります。大人は無意識のうちに「この範囲で創造的であってほしい」と思ってしまい、その枠を超えると受け入れられなくなるのです。常識を超えないと成し遂げられないこともあります。才能を伸ばすというのは、その覚悟が必要なことであると認識しなければならないと思います。

 将来に希望を持つことができるような支援の必要性

 ネットで様々な情報が飛び交う今、ギフティッドは得意なことや苦手なことに偏りがあるというイメージを持つ方が多いかもしれませんが、そのような子どもばかりではありません。「グローバリー・ギフティッド」という、複数の分野で秀でている子どもも少なくありません。何でもできる子に悩みはないと思うかもしれません。しかし、例えば「医者にもなりたい」「バイオリンも好き」「弁護士にもあこがれる」と思っている場合、能力的にはすべてなろうと思えばなれますが、現実的には何かを選択したり優先順位をつけたりしなければならなくなります。すべてにおいて秀でている子どもは、自分の得意不得意ではなく他の理由で選択しなくてはならないため、その過程で「自分には所詮微々たることしかできない」と思春期など早い段階で思ってしまいます。その時期は自分の小ささについて語り合える人が同世代に少ないこともあり、深刻な問題になります。そのような子どもへのキャリア教育や進路選択の支えが必要です。これは才能を伸ばすという観点だけでは足りません。

 全国の先生方へメッセージ

 ギフティッド児は3〜10%いると言われているので、クラスに1〜3人くらいいることになります。ギフティッドは「天才」「何かに秀でている子」というイメージだけを持っていると、この割合の高さに驚くと思います。子どもの頃から才能が表に出ている子どもは少ないので、これが好きそう、これについてたくさん質問してくる、という小さなサインや、正義感の強さなどの情緒的な繊細さや激しさという人格的な特徴も併せて、ギフティッドの特徴として理解していただきたいです。何か問題が起きたときに、原因としてギフティッドの選択肢を持てると先生自身も楽になると思います。秀でた部分を持つ子どもに問題が起きたとき、先生は、どうして才能がある子どもに問題が起きるような学級経営をしているのかと言われてしまったり、自分を責めて悩んでしまったりするかもしれません。しかし、一筋縄ではいかないところがあることも含めてギフティッド児を理解したり、そのような子どもに適した対応の仕方を知っていたりすると、自信を失うことなく、子どもたちと向き合うことができます。これを機に、ギフティッド児への適切な理解やイメージを持っていただけたら嬉しいです。

 プロフィール

 角谷詩織先生

 上越教育大学大学院教授/発達心理学・教育心理学/お茶の水女子大学大学院博士後期課程修了 博士(人文科学)

 分担著『生活の中の発達―現場主義の発達心理学』(新曜社)/『教師になる人のための学校教育心理学』(ナカニシヤ出版)など。

 監訳・翻訳『ギフティッド その誤診と重複診断:心理・医療・教育の現場から』(北大路書房)/『わが子がギフティッドかもしれないと思ったら:問題解決と飛躍のための実践的ガイド』(春秋社)など。

 書籍紹介

 編集後記

 「才能を伸ばす」という考え方が行きすぎてしまうと、かえって子どもを苦しめてしまうこともあるということに気づかされました。ギフティッドの子どもへの理解を通して、すべての子どもに必要な、1人1人の存在や行動を認めることの大切さを改めて認識することができました。ギフティッド児への適切な理解が広まり、すべての子どもたちの全人格的な発達が大切にされることを願っています。

(編集・文責 EDUPEDIA編集部 川村)

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