はじめに
当記事は、りんごの木代表柴田愛子さんにインタビューした内容を記事化したものです。子どもたちには自分の思いつきに蓋をしないで言語化してもらいたい、遊びを通して感動体験を得てほしいという柴田さんの思いが詰まったインタビューとなっています。
取材はEDUPEDIA編集部により2024年6月12日オンラインにて行われました。
保育のありかた
「子ども自身が考える」保育
今、日本全体で、「幼保小連携」の重要性の理解も進み、「先生が黒板の前に立って一方的に授業をするという形式が子どものためになるのか」と問うような流れがあります。
幼保小連携について詳しく知りたい方はこちらhttps://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/youchien/1258019_00002.htm
りんごの木では、自分の気持ちに向き合って、自分で決めて行動するという経験を多くできるようにしています。たとえば、キャンプに行く行事があったとき、行くか行かないかの最終的な決定権は子ども自身が持っています。このような、自分のことは自分で決められる環境で育って、6歳になって一般的な小学校に行くと、子どもたちの頭には多くの疑問が浮かびます。「チャイムが鳴ると、今までのことがなかったことになるんだよ。それでまたチャイムが鳴ると、全く違う新しいことが始まるんだよ」「なんでトイレに行きたいとき行っちゃいけないの?」などです。そのような疑問を抱え、私のところに帰ってくる子どももいます。たとえば、「なんで体操のときには体操着に着替えなくちゃいけないと思う?」と聞かれたときは、「そうだよね、遊ぶことと体操をすることはあまり変わらないのにね、不思議だね」と返します。子どもの疑問を否定せず、また私が結論を出すのではなく、「不思議だ、変だ」と思ったことに共感するのです。そうすると子どももなんとなくすっきりするようです。
りんごの木独自の取り組み
りんごの木では、4歳から毎日「ミーティング」をやっています。それにより、自分の本音を語ることや自分の思いに言葉を乗せることが習慣化するため、自分の思ったことや考えたことを言葉で表現することが日常的になります。
たとえば、りんごの木卒業生の5年生の子どもは、自分の考えを根拠を持って提示したエピソードがあります。その児童はまず、他の児童に対して「遊びと掃除とどちらが好きですか?」というアンケートを取ったところ、大多数が「遊びが好き」と答えました。しかし次に、「掃除をしたほうがいいのか、掃除をせずに遊ぶ時間にしたほうがいいのか?」というアンケートを取ったら、今度は「掃除でいい」という意見が50%になりました。先生に言われた通りにするということに慣れている子どもが多いのだと思います。しかしその子はそこで諦めずに、さらにアンケートを取ったり意見を伝えるための新聞を作ったりし、「もっと遊びたい、思い切りサッカーしたい」と先生に伝え続けました。さらに「学校設置基準法には何と書いてあるのか?」と私に聞いてきました。そして、子どものアンケートと自分の思い、学校設置基準法の内容とをまとめて学校の先生に持っていったのです。すると先生は「そこまでやられたら仕方ないな」と遊ぶ時間を作ったのです。私はそのとき「子どもが学校を変えていく時代になるかもしれない」と思いました。
自分の思いを表現して良いという体験をしていくと、学校に行っても、どこに行っても、そこで”変”と思うことについて行動を起こせます。私は、子どもが行動を起こすとき、家庭と学校以外に信頼できる大人との関係を持っていることがとても大事だと思っています。信頼できる利害関係のない大人だからこそ、本音が言える。そして、自ら一歩踏み出せるのです。それが通っていた保育園や幼稚園の先生だったらとても良いと思っています。
自己が確立する時期
小学校との間にギャップがありすぎてつぶれた子どもはいません。自分を持っていればつぶれないから、私は幼児期に「自分が自分であること」を誇りに思えるようにしたいと考えています。先ほどの、アンケートを取って先生に出した子どもは「僕はもう公立には行かない」「自分の納得いく中学校に行きたい」と言い自分で調べ、その学校に通っています。りんごの木で育つと、自分のやりたいことは見つけやすく、そこは良さだと思っています。
多くの専門家が「幼児期に自分の考えを持つ」と言います。これを小学校以降でやろうとすると、子どもに大人の既成概念が入ってしまっているため、大変なのです。いわゆる空気を読んでの言動になるからです。
不安を自分の言葉に
小学校文化とりんごの木の文化があまりに違うから面食らうだろうということはわかっています。だから「少し並ぶ練習してみる?」と言って、「とんとんまーえ、とんとんまーえ」と練習することもあります。やっていると「え!?不思議だね、こうするとちゃんとまっすぐ並べるんだね」と面白がる子どもと、「絶対にやりたくない」と拒否する子どもがいます。
小学校という異なる文化の場所に行くときには、誰だってやはり覚悟と勇気が必要です。小学校に入ってから「皆ができるのに自分はできない」「どうしてみんなは先生の言うことが聞けるのに自分はそれに苛立つのだろう?」と思うことは、自己否定につながります。
そのため、りんごの木では、小学生になるにあたっての不安について、「ミーティング」で話すのです。そうすると「友達ができるかな」「怖い先生だったらどうしよう」「どうやら給食が…」など、いろいろと出てきます。それについて、子ども同士で話すのです。
たかが子ども、されど子ども
脳科学の専門家によると、「6歳ぐらいで脳の8割ぐらいができあがるのではないか」という説があるようです。子どもは種と同じで、土の上に置かれて、水をもらったりお日様の光を浴びたりすることで、どんどん大きくなっていくのです。「大人は子どもを見くびるな」、私はそう思っています。
私は自分がりんごの木を始めたとき、「このような考え方は少数派だ」と思いました。少数派が多数派の中で生きていくのは大変です。この考え方は私と「親」が共感してるだけであって、子どもは「ここで良かった」と思っているとは限りません。小学校に入学してから、「りんごの木じゃなければよかった」と言いに来た子どもがいました。「どうして?」と尋ねると「だってみんなは文字が読めて書けるんだよ。私、何にもできないじゃん」と言うのです。私は、「学校に行っているうちにできるようになるよ」と返しました。しかし、そのとき、りんごの木での生活により、就学後の子どもに苦労をかけるかもしれないと気付き、それは私に責任があると思いました。そのため、毎年、「あなたのスタートはりんごの木でした。何かがあったときに帰れる場所です」というメッセージを子どもたちに伝えるようにしています。
りんごの木が目指すところ
りんごの木は一般的な保育園や幼稚園ではありません。私たちのやるべきことは一人一人の子どもが「生まれてきてよかった」と思える人生を送ることを応援することだと思います。それは大人の義務だと思っています。
今後のビジョン
時代に合わせた保育
時代とともに進化している部分と退化している部分があります。何かが進化すれば何かが退化するのは当然です。たとえば、水道に手をかざすと水が出てくるようになってしまうと、蛇口をひねる作業を手が忘れていきます。それにより、雑巾を絞れなくなっていくわけです。その度に私は「雑巾を絞れなくても生きていけるかな?そうだよな、生きていけるよね」と考えます。このように、進化することは、わざわざ教えてまで身に付けなくても良いことを選別していくのです。
時代が進んでいく中で、私は、子どもたちが遊びをどう作っていくか?というところに注目し、協力しようと思っています。例えば、先日お店屋さんごっこをしたら、現金のやりとりはなく、支払いは電子決済になっていました。「子どもってすごいな。今を生きているな」と思います。今の技術などを含めて、遊びを通して認識し、昇華していく子どもたちはすてきだと思います。だから「これから子どもたちはどんな遊びをしていくかしら?それを見逃したくない」と思っているのです。
子どもたちの思いつきを拾って、実現していく保育は面白いです。ところが今、保育業界では、安全のために散歩のプランでさえも事前に園長に出す必要があるなど、現場が不自由になってきたと思います。しかし、私は保育現場が不自由になると、子どもも保育者も楽しくないと思うので、できる限り楽しいと思えることに忠実でいたいです。さらに世間と離れていってしまうかもしれないですけれど(笑)。
楽しいことには大きな価値があります。体験を通して、五感や心も含めて自分の丸ごとになっていくと、やはり記憶も長持ちします。単に教えてもらったものの記憶はすぐ消えていくけれども、自ら欲して体験したものの感動は長持ちします。子どもの感動を作るためには、子どものドラマを見逃さないことが大切です。今は保育者であってもいろいろな体験をしてきている人は少ないです。だから子どもと一緒に体験を積む必要があります。
肩書にとらわれない生き方
昔は「おままごと」というごっこ遊びがありました。お母さんのようにお料理を作ってみんなに食べさせるということを子どももやってみたかったのです。その次に「家族ごっこ」という名前に変わりました。家族ごっこには役割がありますが、近年お父さんとお母さんそれぞれの役割が見えにくくなっています。そのこともあり、最近ではペットが流行りました。ペットになってかわいがられる役割をしたい子どもがたくさん出てきたのです。
先日、「子どもごっこ」をしている子どもたちがいました。「子どもごっこ」には、お姉ちゃん、お兄ちゃん、弟、妹などはいますが、大人はいません。子どもたちにとって大人が輝いて見えないのかもしれないと思い、「子どもごっこしよう」という言葉には少しがっかりしました。それと同時に、「大人はもっと輝きたい」と思いました。だから保育者も教師も肩書ではなく、肩書を脱いだ自分が輝いていてほしいと思います。
子どものみを輝かせるのではなく、子どもとともに大人も輝くのです。大人が輝けば子どもを巻き込むことができます。そのように人と人が育ち合うことは、大人と子ども、先生と幼児・児童・生徒という関係に縛られることなく、ともに輝きを求めていくことのような気がします。
プロフィール
柴田愛子さん
りんごの木代表 保育者 1948年、東京生まれ。
私立幼稚園に5年勤務したが多様な教育方法に混乱して退職。OLを体験してみたが、子どもの魅力がすてられず再度別の私立幼稚園に5年勤務。
1982年、「子どもが主役の 子どもの心に添う」を基本姿勢とした「りんごの木」を発足。今年42年目を迎える。子どもをきわめたいという気持ちはあきらめて、いまや子どもを楽しんでいる。
保育のかたわら、講演、執筆、絵本作りと様々な子どもの分野で活動中。テレビ(Eテレすくすく子育て等)、ラジオ(子育て深夜便)などのメディアにも出演。
子どもたちが生み出すさまざまなドラマをおとなに伝えながら、‘子どもとおとなの気持ちのいい関係づくり’をめざしている。
著書 「子育てを楽しむ本」「親と子のいい関係」りんごの木・「こどものみかた」福音館・「それって保育の常識ですか?」鈴木出版・「今日からしつけをやめてみた」主婦の友社・「とことんあそんで でっかく育て」世界文化社・「保育のコミュ力」ひかりのくに・「あなたが自分らしく生きれば、子どもは幸せに育ちます」小学館・「それってホントに子どものため?」チャイルド本社
絵本「けんかのきもち」絵本大賞受賞「わたしのくつ」その他多数
新刊
『保育の「ヘンな文化」そのままでいいんですか!?』柴田&大豆生田 小学館 9月18日発売
「保育歴50年 愛子さんの子育てお悩み相談室」小学館 10月9日発売
「暮らしの手帖」に連載
編集後記
今回のインタビューを通して、柴田さんが子どもと対等な立場で接している様子がうかがえました。保育者が子どもに指示をするのではなく、彼ら自身に決定権や意見を持たせることで成長を促せ、その経験が大きくなってから活かされるのだろうと感じました。
(編集・文責:EDUPEDIA編集部 西山真央)
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