【りんごの木代表 柴田愛子さんインタビュー前編】幼児教育に欠かせない実体験〜子どもも大人もありのままを楽しむ〜

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目次

はじめに

 本記事は、りんごの木代表柴田愛子さんにインタビューした内容を記事化したものです。

 すべては子どもの「やりたい」から始まる。ICT化が進む今の時代だからこそ、子どもに地球というものを感じられるような生の体験をしてほしい。そんな柴田さんの願いが込められた記事となっています。

 取材はEDUPEDIA編集部により2024年6月12日オンラインにて行いました。

子どもの「やりたい」を保障する

りんごの木立ち上げのきっかけ~子どもはどう育とうとしているか~

 私は、姪が生まれたときから一緒に暮らしていました。誰も教えないのに立ったり話したりする姿を見てきて、子どもが自ら育つ力に感動しました。そこで、子どもに関わる仕事をしたいと思い、幼稚園に就職しました。

 幼稚園に勤めると、急に、学校の授業のように「教えて育てる」パターンに変わり、私は混乱しました。そこで、「幼児教育・保育ってなんだろう?」と思い、いろいろと勉強しましたが、勉強すればするほど何が正しいかわからなくなり、苦しくなっていきました。現場にいながら研究会や勉強会に参加していてふと気がついたのは、いろいろな考え方のなかでどれが正しいかはわからないということでした。そして、子どもに良かれと思ってこの仕事に就いたのに、これまで大人の意見ばかり聞いてきたことにも気がつきました。今の社会がどのような人間を育てたいと思っているのか、先生や親がどのような子に育ってほしいと願っているのかなど、全部が大人の思いで、その思いを中心に教育や保育をしていたのです。

 そのとき、子どもが自ら育つ姿に感動してこの仕事に就いたことを思い出し、「どう育てようか?」ではなく「子どもがどう育とうとしてるのか?」と考え、子どもを主役にして子どもを見ていこうと思い、「りんごの木」を立ち上げました。

先に子どもありき

 子どもが自ら育つ力をそばにいる大人が援助していくのが幼児教育・保育のあるべき姿です大人が指導をして子どもを巻き込んでいくのではなく、先に子どもありきです。幼児教育・保育の場に私がいることによって、子ども自身がその成長を豊かにできるのです。私は指導するのではなく、子どもがやっていることを見て「あら、面白そうね」と言うのです。

人間の原点である地球を実体験してほしい

 土いじりや焚き火は、人間の原点です。今の時代はこの原点の多くを省略してしまっていますが、子どもたちはこれが大好きです。

 たとえば、子どもは棒を拾うのが好きです。棒を拾うと周囲の大人はつい「汚いからやめなさい」「危ないでしょう」と言ってしまいます。しかし、これは大人の都合であって、子どもの都合は「これで遊びたい」ということなのです。棒を振り回すちゃんばらごっこのようなものは500年前のオランダにもあったことからもわかるように、人間の生まれ方は昔から変わっていません。今、私たちの暮らしに合う子どもを育てていこうと思うと、その原点は保証できなくなってしまうのです

 また、大人は、火があると「危ないよ」と言ってしまいがちです。「危ない」は「やめなさい」という禁止用語であることはわかりますが、「危ない」の中身はわかりません。「危ない」の中身は、やってみてこそわかるのです。子どもは無茶はしません。火遊びをして少し熱い思いをしたり、焚き火の煙を吸ってしまったりなど、一つ一つ体験して学ぶのがとても大事で、それが人間の原点だと思っています。子どもはいたずらのように見える遊びのなかで、たくさんの体験を積んでいるのです。

 穴掘りは毎年、一年を通して流行ります。穴を掘るのは本能的に面白いのかもしれません。あるとき、ある子どもは、「モグラになりたい」と言い、2か月間も穴を掘り続けました。すると、防空壕のようなものができました。そこで私が「入りたい」と言うと、「入っていいよ」と言ってくれたため入ってみました。そこは、土の湿った感じとにおいがしました。そこで、「モグラは毎日こういうにおいをかいでいるんだね」と話しました。「モグラは土の中が好きで土の中で暮らしています」という知識をもっているだけではもったいないです。このように、子どもは実体験を通してわかっていくのです。

 昔は川やどぶが身近にあったため、流れる水のところに葉っぱや石を落として、その流れる様子を楽しむことができました。しかし、今は大人が快適なまちにするために、その多くが塞がれてしまいました。そのような経験の機会を意識的に用意しない限り、子どもは原点の育ちの遊びをできなくなってしまいます。私は、特に人間が地球上に生きていく原点である土とか火とか木とか、そういうものを実体験していってほしいなと思っています

自分の「やりたい」から子どもは学ぶ

 子どもたちは面白いことを見つけるアンテナをたくさん持っています。大人が指導をしなくても、子どもは自分のやりたいことを実現するために頭をフル回転させて、自分の経験の中でやったことをどんどん思い起こしているのです。自分の「やりたい」を追究しているとき、そこには探究心・研究心があります。子どもはその過程で自ら学ぶのです。子どもが自分からやって達成感を得ることができれば、それは成功体験です。面白そうだと思い、やってみて成功体験を積み重ねることで、どんどん「やりたい」と行動に移せるようになります。赤ちゃんは探究心旺盛で、ぼんやりと退屈してる子どもはいません。ところが、長いこと大人の敷いたレールに乗せられていると、何をしていいか分からない子どもに育ってしまいます。面白そうな遊びを大人が提供すればするほど、子どもは大人に依存していきます。「おはようございます」の次の言葉が「今日は何をするんですか?」となってしまいます。子どもの「やりたい」を保証することこそが、その子の成長を援助すること、応援することになるのです。

子どもの「やりたい」を保障するために保育者ができること

 子どもの「やりたい」を保障するということは、その子どもの姿を見ていなくていい、大人が不必要であるなどということではありません。大人にできることもあります。

 たとえば、子どもが穴を掘るとき、小さなシャベルを使っているとします。そのとき、大きなシャベルを目につくところに置くのです。そうすると、「大きなシャベルを使うと速い!」と、子ども自身が気付くことができます。

 そして、子どもが見つけた自由な遊びに対して大人の価値観でストップをかけないことが何よりも大切です。「そこまではやりすぎ」「それは使わないでね」ということが多いと、子どもの「やりたい」という気持ちは萎えていき、発想はどんどん制約されていきます。そして、「これをやってもいいですか?」「これを使ってもいいですか?」と許可を求めるようになってしまいます。自由を保障することによって、大人が想定するよりもはるかに面白く展開していきます。教えて育つ部分もありますが、何よりも「やりたい」が子どもを育てていくのです。それを面白がっている大人がいると、どんどん面白くなっていきます。

一斉活動は難しい

 夏の初め頃、プールに水を入れて水遊びをしたとき、「寒いよ」と言いながら水に入る子どもがいました。また、「水には入りたくない」という子どももいました。「顔にかからなかったらやりたい」と思っている子どももいました。同じ子どもだって一人一人違います。そのため、子どもたちを同じスピードで同じように導いていくのは大変なことです。

 私は、若い頃、一斉保育の際に非常に苦労しました。やりたい子どもはどんどん進みますが、やりたくない子どものエンジンをかけるのは大変です。そうすると、「これをやらないとお外で遊ぶ時間がありません」というように脅したり強制したりするようになってしまいます。保育者は、子どもにはさまざまいる、そして子どものやりたいこともそれぞれ違うということをわかっておく必要があります。

子どもと一緒にやってみる

 私は、保育者1年目のとき、泥遊びをしている子どもを見て、正直「汚い」と思いました。「どうしてこんなことするのかな」と思いつつも、それをやって嬉々として、キラキラしている子どもたちの姿を見て、私は「子どもはこういうものが好きなのね」「子どもはこういうことで喜ぶ感性を持っているんだ」と思うようになりました。そこで、「子どもが何か楽しそうにやってるから、一緒にやってみようかな」と思い、実際に一緒にやってみると、私自身もはまってしまいました。子どもが何かをやる機会を保障するだけでは、そこで子どもが何を感じて、何を面白いと思っているのかはわかりません。子どもと向き合って一緒にやってみて初めてわかったのですそれから私は、一緒にやってみることを大切にしています。

子どもに寄り添うと見えてくるもの

 私たちはもう大きくなりすぎました。今の一般的な大人の価値基準は子どもの価値基準とは大きなギャップがあります。その中で子どもをこちらに引き寄せようとすると、子どもの姿はどんどん見えなくなってしまいます。だから、私たちがそちらに寄り添ってみるのです。そうすると、子どもが何を楽しんでいるのか、何を体験してるのか、何を学んでいるのかが見えてくるようになります。子どもはなかなか大したもので、こちらが教えて育てることよりも、自ら遊んで身に付けていく、学んでいくことのほうが圧倒的に多いと思います。

ICTとともにありたい生の体験

時代の変化を受け入れる

 時代によって文化は大きく変わってきました。効率良く、便利な社会をどんどん作ってきたのです。あるとき「テレビに子守をさせるな」という言葉ができました。その後、ネット文化は凄まじい勢いで進んでいきました。

 そんな中で子どもは教えなくてもスマホやタブレットを使えるようになります。それを私が「自分の子どもの頃なかった文化だからといって否定できるか?」というと、それはできません。自分は追われるように慣れていくという感覚を持ちますが、否定からは何も生まれないと思うのです。

 そして、YouTubeは教え方が上手です。内容によっては保育者が教えるよりはるかに分かりやすく、私もいつも「これはとても上手だね」と子どもたちと話しています。

やり方を選べる時代に

 あるとき、子どもたちがステージ発表をやりたいという話になりました。歌ったり踊ったりするものです。1人の男の子が監督係となって全体を指揮していました。他の子どもたちが親を呼んでステージを見せたいと言うのに対し、その男の子は親が来るなら僕はやらないという姿勢でした。そこで案として出たのがYouTubeです。実際にその案が採用され、当日の内容はYouTubeで親たちにも見せたのです。このことからステージ発表一つにしても多様なやり方が出現してきたといえるでしょう。

 私たち大人の手に負えないこともありますが、私はICTから隔離して子どもを育てることはできないと思っています。今の時代に生きていくのは子どもたちなのです。

 子どもは非常に多くの人やものから刺激を受けて育っていきます。3年間ゲームばっかりやってた子が、今は政治に興味を持って活動していることがあります。それが子どもの面白いところなのです。

五感で捉える生の体験

 一番危ないと思うのは、機械が間に入ってきてしまったために人間同士のコミュニケーションが取りにくくなること、それから生の体験が少なくなることです。

 たとえば「いい景色ね」と画面を見ても、平面上なので実体験とは異なります。風は吹いてきません。行かずして景色を見ることはできますが、そこには視覚情報か聴覚情報しかなく、五感で捉えることは極めて難しいです。つまり、平面から学んだことは知識でしかないのです。一方で、実際に景色を見にいくと、木のいい匂いや風の気持ち良さといったいわゆる五感を使っての学びが山ほどあるわけですよね。

 今、子どもたちはネットに触れて知識を習得しているため、図鑑だけを見ていた時代よりも動植物の特性に詳しいです。ですが、目の前のアリは動くのが怖いことから掴めない子もいます。

 このように知識はあるけれど、そのものに手を触れることも、においをかぐことも、自分の五感で学ぶことはできなくなってきています。私はできる限り五感を通して体験することで得られる感覚を一度体感してほしいと思います。YouTubeやスマホなどを使って学ぶことは否定しませんが、生の体験とバランス良く経験してもらいたいです。

 人間が画面上から学べたと思ったらこれは大きな誤解で、まずは五感で学ぶことがある。そしてその五感で学んだことがあるから、映像の世界が活きてきます。その意味では、やはり生の体験から生の面白さを感じてほしいですし、実体験を優先してほしいと思っています。

 ICTを使い過ぎると生の世界が怖くなってしまいます。虫のことを知ってるけど、本物は怖くて触れない。そうなると知識だけで勝負ですよね。感覚はどんどん衰えていくし、実態は分からなくなっていきます。だから程々の入れ方をしてみようというのが私の考えです。

子どもと大人の対等な関係性

 生の体験や人間同士のコミュニケーションを重視した保育や教育をしていきたいです。中には、虫を触るのが嫌いな子もいます。しかし、嫌いな子が好きになる必要は私はないと思っています。実は嫌いな子ほど不気味だと思っているからよく見ているのです。触れなくてもその子の五感を使って観察をしているはずです。「毒があったらどうしよう。トゲトゲしていていやだ。こっちへ来てほしくない。」というように。嫌だと思うと動きを注視しますよね。それも触らないだけで一つの体験です。また、小さい頃は触っていたけれど、ある歳になってから急に駄目になるという大人が多いです。すると、親になったときに子どもに虫を触らせようとしないことがあります。だからといって自分の子どもに対して虫などを禁止にはしてほしくないなと私は思っています。

 先生や家族が虫を嫌いならば、子どもが虫嫌いの大人をからかうのに使いますよね。大人からすれば勘弁してほしいとなるけれど、子どもにしてみれば「弱みを見つけた!」という感じよね。だから、大人も子どもも「どうあるべき」ではなく、私こういう人なの、「私は虫が苦手」、「私は虫好きだよ」と、そのままでお互い付き合っていけばいいと思うのです。子どもも虫を一緒に触るのが好きな子もいれば、虫でからかうのが好きな子もいる。だからこそ、大人と子どもが対等という関係が大事だと思います。

プロフィール

柴田愛子さん

りんごの木代表 保育者 1948年、東京生まれ。

私立幼稚園に5年勤務したが多様な教育方法に混乱して退職。OLを体験してみたが、子どもの魅力がすてられず再度別の私立幼稚園に5年勤務。

1982年、「子どもが主役の 子どもの心に添う」を基本姿勢とした「りんごの木」を発足。今年42年目を迎える。子どもをきわめたいという気持ちはあきらめて、いまや子どもを楽しんでいる。

保育のかたわら、講演、執筆、絵本作りと様々な子どもの分野で活動中。テレビ(Eテレすくすく子育て等)、ラジオ(子育て深夜便)などのメディアにも出演。

子どもたちが生み出すさまざまなドラマをおとなに伝えながら、‘子どもとおとなの気持ちのいい関係づくり’をめざしている。

著書 「子育てを楽しむ本」「親と子のいい関係」りんごの木・「こどものみかた」福音館・「それって保育の常識ですか?」鈴木出版・「今日からしつけをやめてみた」主婦の友社・「とことんあそんで でっかく育て」世界文化社・「保育のコミュ力」ひかりのくに・「あなたが自分らしく生きれば、子どもは幸せに育ちます」小学館・「それってホントに子どものため?」チャイルド本社

 絵本「けんかのきもち」絵本大賞受賞「わたしのくつ」その他多数

新刊

『保育の「ヘンな文化」そのままでいいんですか!?』柴田&大豆生田 小学館 9月18日発売

「保育歴50年 愛子さんの子育てお悩み相談室」小学館 10月9日発売

「暮らしの手帖」に連載

編集後記

 乳幼児教育・保育に携わるうえで、『子どもは「やりたい」から学ぶ』ということは常に心に留めておきたいと強く思いました。子どもの育とうとする姿を捉え、受け止め、寄り添い、子どもと一緒に成長できる保育者でありたいです。(並木)

 柴田さんがおっしゃっていた「否定からは何も生まれない」という言葉が強く印象に残りました。子どもは有能な学び手というように、自ら学ぼうとする子どもたちから教わりながら一緒に成長できる教育者になりたいです。今回の取材を通して、背伸びしすぎずありのままの自分を大切にしようと思うことができました。(知野)

(編集・文責:EDUPEDIA編集部 並木未菜・知野皆弥)

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