授業論~どうしてあの人の授業と「差」が出るのか

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作成者: matsui (Edupedia編集部)さん

1 あの人の授業との「差」

研究授業や本を読んで、とてもうまくいっている授業(学級)があることを知ると、「どうして自分の授業は、クラスは、あんな風にはならないのだろうか」と思ってしまう事があります。次々に出てくる発言、それに頷く周囲、明るいムード、的確な指示、1時間で子供たちが成長しているのがはっきりわかる・・・

見てきたように、書いてあるように、まねをしてやってみても、同じような結果が得られず、自分には力がないように感じることがあります。私自身、自分の力の無さにげんなりすることが多々あります。

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なぜ、上手な人と同じような結果が得られないのでしょうか。

1.授業の細部が違う

授業の指導過程の中での、ちょっとした気遣いや工夫の積み重ねによって、授業の流れや結果は大きく変わってきます。上手に音読させる場合でも、百マス計算をやるにしても、同じようにやっているようで、声をかけるタイミング・授業のテンポ・教師の目線・・・そういった細部の微妙な違いによって授業の成立具合は大きく違ってきます。教育は複合的な指導過程の集積が結果として表れてきます。

2.その授業以外の部分が違う

上記1のように、その授業1時間の範囲だけではなく、もう少し広げて「単元の中」「教科の中」「年間の学級づくりの中」で培ってきた1つ1つの指導過程の積み重ねによって授業の流れや結果は大きく変わってきます。
「授業と学級経営は両輪である」とよく言われます。授業に関わる部分だけではなく、子供たち一人一人と教師の関係、または、学級集団の関係が授業に大きく影響をしてきます。
この辺りのことは、下の記事で詳しく書いてみましたので、こちらもお読みください。
質の高い授業を作っていくために ~ 明示知と暗黙知
http://edupedia.jp/entries/show/1536

3.資質が違う

教師としての資質の差は、どうしても出てきます。どの業種でも、経験と才能の差というものは必ずあります。例えば、子供の発言に対する「返し」は、その場その場の即興であり、その人が元々持っているコミュニケーション能力によるところが大きいですし、それに加えて経験の差も出てきます。

あまりにも上手な授業を見せられると、「あのクラス、うまくいっているように見えるけれど、多分、教師に洗脳されているのじゃないか?」というような気さえしてきます。
「洗脳」と言うと言い過ぎかもしれませんが、子供たちをやる気にさせたり、集中させたりする力はすぐにつくものではありませんし、経験だけでは身に付くものでもないかもしれません。1と2で書いたように、1時間の授業の取り組みの中、または単元や教科の取り組みの中、学級経営の取り組みの中で教師としての資質が試されます。

では、どうすれば授業がうまくいくのでしょうか。

2 諦めないこと、諦めることと

完成された授業や達人の授業を、目標にすることはいいと思います。たくさんの授業を見て、本を読むという情報収集は大事です。
上記1~3に書いているように、うまくいくとは限らないにしても、諦めずにトライをする気持ちは持ち続けるべきでしょう。身近にいるすぐれた同僚・研究会・書籍などから得た情報を真似をしつつ自分なりにアレンジしてみるといいでしょう。

その一方で、諦めることも必要です。必ずしも目標とする授業に値するだけの資質(才能)が自分にない場合もあると思います。全部が全部、最初からうまくいくわけもありません。それを考えると、自分の身の丈に合ったレベルの取り組みを地道にやっていくことも大切です。
理想と現実の間で自分の力を知り、自分の中でどのように諦める部分と諦めずにやっていく部分のバランスをうまくとるかという事が大事です。

3 諦めずに細部を詰める

指導過程の細部での工夫、声かけ、目配り…先に書いたように教育は複合的な指導過程の集積が結果として表れてきます。微妙な違いであっても、結果は大きく変わってきます。
法則化運動の向山氏は、
「プロとアマの差はわずか数ミリの差にすぎないが、その数ミリは、どうしようも. ないほど歴然とした差である。」
と、語られています。
この数ミリの差は、たいへん明示化・言語化しにくい部分であるし、この差を埋めるのは経験と才能と精神力です。しかしこの&color(Aqua){数ミリの差を諦めずに};、丁寧に詰めていく努力は必要です。自分の指導を振り返り、うまくいっているところ、いっていないところをチェックしていきます。才能がある人のまねをする余地が全くないかと言うと、そうでもないでしょう。ポイントポイントが抑えられ、指導をやりきっているのか、ひとりひとりの子供が、学級集団全体が、授業の中でどうだったのかを丁寧に見直していく必要があるでしょう。

授業における教師の言葉がけ
http://edupedia.jp/entries/show/102
水泳指導~25mをとにかく泳がせる
http://edupedia.jp/entries/show/8

等の記事をご覧ください。それ程特異な手法を用いていない指導であっても、細部の詰め方・対応の仕方が、うまくいかない場合に比べて少しずつ違うはずです。

4 鉄板ネタを固めていく

とはいうものの、小学校は4教科に加え生活科・総合・英語、道徳に各種行事、それが6学年分と、とにかくやる内容が多いです。あれもこれもしっかりやりたいと思っても、どれも中途半端になってしまいます。ある日突然、「完全な教師」になれるわけではないのです。

ですから、全部が全部できるようになることを&color(Aqua){一旦諦めて、一点豪華主義的に};、ここだけは頑張るという教科・あるいは単元を集中的・徹底的にものにするというのもひとつのやり方です。また、授業のネタをたくさん集めるのも大事な研究だと思います。とりあえずこの方法、この流れでやれば必ずうまくいくという授業や指導を確実に増やすことが大事です。

話し合い、認め合い、成長し合う授業を作る完璧な教師になることは頭の隅に置いておき、その他の部分の精度を上げていきます。

例えば、「国語の作文はこの方法でやれば必ず子供が喜んで上手に作文を書くという方法」が自分の中にあれば、作文の時間が必ず充実するわけです。作文指導について徹底して研究し、自分のものにしてしまうことができれば、確実に子供を成長させるポイントを得ることができます。国語の説明文だけは完璧に指導できる、算数の筆算はこうすれば着実に上達させることができる、体育のバスケットボールだけは必ず盛り上がる、必ず10分は間を持たせる面白算数プリントの収集・・・そういった「自信作」とでもいうべき部分を増やしていきます。

お笑いの世界では、必ず客を笑わせることができるネタを@<color>{#ff0000,「鉄板ネタ」}と言うそうです。鉄板ネタを着実に、ひとつずつ増やしていくことによって、自分が自信を持って指導できる領域が広がり、年間で安定した活動を作り出していくことができます。

例えてみれば…1

生け花を活けるときに材料をきちんと揃えることが大事なのでしょう。美しい花を集めることが、大事なことは言うまでもありません。ところが、美しい花だけ集めても、うまく機能しません。その他の地味な草木も必要です。師匠に教えてもらって、そっくりに活けたつもりでも、同じ作品にはならないでしょう。
前述の、良い授業実践の情報収集や鉄板ネタを増やすこと)現れない微妙な塩梅が総合的に機能して初めて芸術的な作品となるのだと思います。

例えてみれば…2

また、このような例えも言えるかもしれません。
家を建てるときに、「設計をしながら、基礎工事と同時に、柱を立て、壁を作って壁紙を貼る」などということはしませんが、教師として日々をしのいでいくには、それらを同時にやらざるを得ない部分があります。細部にこだわることも大事ですし、本筋を見極めていくことも大事ですし、場合によっては子供の様子を見ながら設計(目標)を修正する必要も出てくるでしょう。学級経営も授業もライブ活動であり、子供たちとのやり取りの中で生まれるものです。荒れたクラスであれば、いきなり話し合い活動をきちんとさせることにとりかかる前に、靴を揃えさせることに力を入れるところから始めた方がよい場合もあるでしょう。

諦めないで完璧を目指して継続することと、一点に絞って集中して力を入れること、この両方の観点を同時に大切にして研鑽を重ねることが必要であると思います。

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