小学3年生新出漢字の読みが全部入った文章【教材】

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作成者: brigh さん

1 すらすらと読めるように

小学校3年生の新出漢字がすべて入った文章を作ってみました。これがすらすらと読めるようになれば、力がついてきたという事になりますね。段落番号を打っていますので、段落ごとにテストをして、合格をあげるのもいいかもしれません。漢字の習得が遅れている子どもや帰国子女、外国籍で漢字を習得できていない子どもに有効だと思います。

シリーズとして、アップしています。他学年の文章もよろしければお使いください。1~6年までの教材はここ↓↓↓から一括ダウンロードできます。

新出漢字の読みが全部入った文章2020a.zip
新出漢字の読みが全部入った文章 ルビ2020-1.zip

小学1年生新出漢字の読みが全部入った文章【教材】

小学2年生新出漢字の読みが全部入った文章【教材】

小学3年生新出漢字の読みが全部入った文章【教材】

小学4年生新出漢字の読みが全部入った文章【教材】

小学5年生新出漢字の読みが全部入った文章【教材】

小学6年生新出漢字の読みが全部入った文章【教材】

漢字については、

少ない時間で適格な補習を~「補習」落ちこぼしをどうするか(2)

漢字学習~小学校で落ちこぼさないように!

等で詳しくまとめていますので是非ご覧ください。

クラスの子ども全員にこれを全部読ませる必要は全くありません。そんなことをやり始めると、たいへんな作業になってしまいます。漢字の書き取りをチェックして、どうしてもできない子どもにまず読みをさせるという場合に活用するといいと思います。

どうせ読ませるなら、もう少し高尚で格調の高い文章を書きたかったのですが、3年生の漢字全部を入れて美しい文章を書くことはけっこう難しかったです。写真やイラストなどを添えてプリントアウトし、読ませてあげて下さい。読み変えの漢字もありますので、是非どなたか、これとはまた違った内容のものを作って下さると有難いです。

地方と都会~万博のころの話


①昭和45年ごろ、わたしは海ぞいの小さな町に住んでいました。第二次世界大戦が終わってから25年がたち、時代は急に変化していき、都会ではどんどんビルがたてられていきました。大阪では万博(万国博覧会)が開かれ、戦争中には予想もできなかったくらいに人々のくらしは安定してゆたかになっていき、平和な日本になりました。しかし、その一方で、まだそのころの日本には、のんびりとした「いなかぐらし」がありました。

②わたしの家族は農業をしていました。九州のいなか町でした。緑の多い街で、家では牛をかっていました。友だちの家には羊もいました。いそがしい時期には家族全員ではたらいていました。作物を運ぶ係、草ぬき係、食事係等、わたしにもたくさんの仕事がありました。一丁ほどあるうらの畑に豆を植えて育てるのを子どもも手伝いました。仕事が終わって庭のかしの木の横にすわり、葉が太陽の光をいっぱいにあびて美しく光っているのを見ると、幸福な気分になりました。何もないいなかだけれど、とっても自由な気分でした。

③夏の暑い日は、川や海で泳いでいました。坂道をかけおりると、10分ほどで海に着きます。海で泳ぐと少し体が軽くなったような気になります。港の祭りの日には、6年生は島まで泳ぐことになっていました。いつ、だれが決めたのかは、よくわかりません。それまでに死ぬ気で泳ぐ練習をしました。海は深く波は高く、流れが速い所では前に進まなくなり、そこで息が苦しくなります。それでも、本当に命を落とす人はひとりもいませんでした。泳ぎ着いた後は島の神社に集まり、お宮様にお礼をしました。向こうの岸が遠くに見えました。神社には笛をふいている人がいました。なんだか悲しい曲でした。戦争で家族も家もうしない、けがをしている人だそうです。

④3時に柱時計が鳴ると、おやつの時間です。待ち遠しかったです。夏のおやつはよくわらびもちが出ました。冷ぞう庫を開けるとお皿の上に乗っていました。あの味はわすれられません。

⑤昔の冬は寒く、12月の始めごろには、池に氷がはっていました。うちには石油ストーブもなく、火ばちに炭をもやして体を温めました。お正月だけは少しだけ酒を飲ませてもらいました。3学期の始業式には、児童代表が、冬休みに書いた短い詩を読みました。校長先生は「新春のおよろこびを申し上げます」と、大人の言葉であいさつをしました。そして太郎君が家で作ったほしがきを持ってきていて、クラスのみんなに配られたのを覚えています。

⑥学校の先生はきびしく、毎日、てっていてきに身の回りの整理をさせられました。一人でも決まりが守れないと、学級委員長だったわたしが注意しなかったのが悪かったということになります。クラスで問題が起こるとしかられる、実に苦しい役わりなのです。先生は漢字をどんどん黒板に書き、指をさして読ませました。読めなければ立たされます。先生はこわかったので、こまったことがあっても、相談できる感じではありませんでした。

⑦宿題もきびしく、夏休みには「植物の研究」を一さつの帳面にまとめてこいと言われました。わたしは根っこが食べられる植物について調べました。大根やにんじん等の他に何が有るかを調べました。お母さんが文章がとくいだったので、助けてくれました。先生にほめられて、みんなの前で発表しました。

⑧放課後は、運動場で野球をすることがほとんどでした。投げて打って走って取って、思い切り日にやけて遊びました。勝っても負けてもみんななかよしでした。友だちは野球の小説を書いていて、登場人物はクラスのみんなです。主人公はわたしにしてくれました。

⑨昔は少し転んで血が出ているくらいで、病院に行く人はいなかったです。薬をぬってがまんしました。何でもがまんでした。わたしは虫歯の時と鼻血が止まらなかった時に医者にかかったくらいで、ほとんど病院に行ったことがありませんでした。

⑩トイレには、はだか電球がついていましたが、それが消えると真っ暗でした。いなかの夜は暗いのです。幼稚園の頃は、夜に安心してトイレができず、1秒でも早くお父さんがいる部屋にもどりたかったです。

⑪まだまだ物を大事にする時代で、野菜は皮でものこさず食べます。土の上に落ちたアメ玉でも、拾ってはらって食べていました。着る物も大切にしていて、しゅうぜんをしながら今の三倍は長く着ていました。神様に感しゃしてくらしていました。今でもわたしは、むだづかいすることには反対です。

⑫中学3年生だった兄と、大阪で開かれていた万博に行ったことがあります。おじさんは淀川区に住んでいて、商売でざっか屋さんをしています。ちょっとした道具や生活用品を売っていました。6年生のわたしにとっては大阪は遠く、長い旅でした。駅まで両親とおばあさんが見送ってくれ、列車を追いかけて何度も手をふってくれました。列車に乗ると中は客で満員でした。

⑬重い荷物を運んで、大阪駅の中央階だんをおりると、おじさんがむかえに来てくれました。わたしにとって都会はあこがれの場所でした。大きな道路に信号機がならんで、数え切れないほどたくさんの自動車が走っているのにおどろきました。大阪駅のまわりには、銀行やゆうびん局がたちならんでいます。テレビで見たことのある都会のけしきです。はやりの洋服を着て歩いているわかい人たちが、かっこいいと思いました。おじさんの家の近くの淀川に、大きな鉄の橋がかかっているのにもおどろきました。淀川の水はびわ湖という大きな湖から流れてきています。

⑭宿はおじさんの家にとめてもらいました。朝早く起きて、万博に行きました。「アメリカ館」の前で並びました。写真をたくさんとりました。見たこともない大ぜいの人々が、歩き、話し、行列を作っていました。わかれぎわにおじさんは、「次に会えるのを楽しみにしているよ」と言っておみやげに筆箱をくれました。それを大事に使って、あこがれの都会でくらせるように、いっしょうけんめい勉強をしました。

⑮大阪旅行が楽しかったのがわすれられず、私も都会に住みたいと思うようになりました。おじさんをたよって大阪に出てきて、今は大阪でくらしています。万博から40年以上たちます。あのいなかでくらした日々は、遠くにすぎ去りました。生活はべんりになりましたが、今でも時々、あの緑と自由の日々がなつかしくなり、取り返したいような気分になることがあります。

コメント
  • 初めまして。 漢字が苦手な子の音読教材として使わせていただこうと思います。 気になったのが、4の文章にある「乗っかって」と6の「身辺整理」、12~13の「淀川」です。 「乗っかって」は、「乗って」 「辺」は4年生の漢字なので「身の回りの整理」でいいような気がします。 「淀」は小学校で習いませんよね。 以上です。 せっかく苦労して作ってくださったものなので、よりよいものになればと思いコメントさせていただきました。 失礼がありましたら申し訳ありません。

  • yuki (8/29 12:01)

  • yukiさん、ありがとうございます。時間がある時に修正します。

  • matui hiroshi (Edupedia編集部) (5/13 17:16)

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