イシダ先生とコースケ君の「相性」 -障害特性への対応- (小中学校のコーディネーターが直面する課題シリーズ③) 【特別支援コーディネーターものがたり 第七話】

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作成者:松浦 俊弥さん

1 はじめに

こちらの記事は、2015年4月より淑徳大学准教授の松浦俊弥先生の体験を基に先生ご自身が書かれた記事です。
特別支援教育に悩みながらもがんばる先生とその支援を誠実に行う松浦先生の特別支援教育に対する姿勢、そして、子どもたち・関係者がどう変わったかをぜひご一読ください。

2 コースケ君の「パニック」

夏休みに入る少し前、職員室はまさにサウナ状態です。ヨツバ特別支援学校は、障害のある児童生徒が通うため、教室にはすべて冷房装置が入っているのですが、職員室にはありません。授業中は教室で涼しい思いをしていた先生たちも、校長先生から「児童生徒がいない時間は、省エネのため冷房は使わない!」と厳しいお達しが出されているので、放課後は汗を拭き拭き職員室で仕事をしています。
 カゲウラ先生もご多分に漏れず、Tシャツ1枚で、首にかけたタオルで汗をぬぐいながら1学期の相談報告書のまとめを作成していました。そんな彼に、ヨツバ南中学校からまた新しい相談の電話が入りました。コーディネーターのコモリ先生からです。

 「本校の2年3組を担任しているイシダという若い女性教師のクラスに、自閉症の診断がでているコースケ君という生徒がいます。彼は知的障害ではないので普通学級の授業を受けることに問題はなく、もちろんコミュニケーションのとりづらさなどはあるのですが、1年生の頃はそれなりに友だちと楽しく過ごしていました。しかし、2年生に進級し、イシダ先生がクラス担任になると、大声で騒ぐ『パニック』が多くなったり、学校へ行きたがらなくなったりしたのです」。
 カゲウラ先生は「クラス替えはあったのですか?」と聞きました。「いえ、本校は1年生から2年生に進級する際はクラス替えをしないのです。だから親しい友だちはそのままだし、教室の位置も変わらなかったので、コースケ君には順応しやすい環境だと思っていたのですが・・・」。コモリ先生はコースケ君の行動の原因がわからず、悩んでいるようでした。
 「大声で騒ぐなどの様子は主にどのようなときに出るのですか」。「それが不思議なことにイシダ先生の英語の授業やホームルームのときにだけ顕著になるんですよ」。「1年生の頃はどうでしたか?」。「いや、イシダ先生は今年の4月に新しく他校から異動してきたんです。だからもちろんコースケ君との接点はありませんでした」。「なあるほど・・・」。
 カゲウラ先生は少し考えた後、いつものように「突然ですが、明日、授業中のコースケ君の様子を見学させていただいてもよろしいですか?」と聞きました。「はい、ぜひお願いします。保護者も彼が2年生になって急に荒れ始めたことに戸惑っていて、特別支援学校の先生に相談したい、と言っていましたので。どうかよろしくお願いします」。
 コモリ先生との電話が終わると、職員室の窓の外はもう暗くなってしました。カゲウラ先生はまだ職員室に残っていた副校長先生に事情を話し、翌日の外出を認めてもらいました。そして持っていく荷物を用意し始めました。その中には「自閉症児の行動特性」という専門書がありました。カゲウラ先生には、すでにこの相談の背景にある可能性が見えていたからです・・・。

3 イシダ君とコースケ君の「相性」

 翌日、終業式が近い中学校は、なんだか少し華やいだ雰囲気で、夏休みを目前にしたウキウキ感がカゲウラ先生にも伝わってきました。
 2年3組の3時間目は数学の授業が行なわれていました。カゲウラ先生はコモリ先生の案内で教室の後ろの扉からそっと室内に入りました。お客さんが授業参観に来ることは伝えられていましたので、一瞬、後ろを振り返った生徒たちもカゲウラ先生に軽く会釈したあとはすぐに授業に集中しはじめました。
 でもコースケ君はカゲウラ先生を気に留めず、ずっと黒板を見続けていました。カゲウラ先生はまた「なあるほど」と思いました。
 数学を教えていたのはベテランの男性の先生です。よく通る低音で方程式について解説しています。コースケ君は独特の首の振り方などの行動特性を見せてはいましたが、騒ぐこともなく、先生の話に耳を傾け、ノートをとっていました。
 チャイムが鳴り、授業が終わりました。先生が出て行くと、コースケ君は特に友だちと交わる様子もなく、机の中から本を出し、読み始めました。周囲の生徒たちも、それがいつも姿なのでしょうが、特にコースケ君に必要以上に絡むこともなく、淡々と休み時間を過ごしていました。

 10分後に次の授業時間の開始を知らせるチャイムが鳴りました。とたんにコースケ君の表情が硬くなったのをカゲウラ先生は見逃しませんでした。そしてイシダ先生が入ってくると、その表情がますますこわばってきたのです。すべての生徒が立ち上がりました。コースケ君も硬い表情のまま立ち上がりました。イシダ先生が流暢に「グッモーニン、エブリバディ」と話すと、全員が「グッモーニン、ミスイシダ」と返しました。
 その瞬間でした。コースケ君は両手で耳をふさぎ、「わあーっ」と大声を発したのです。でも教室はそれでも整然としていました。どうも英語の時間にはいつもあるコースケ君の「儀式」だったようです。生徒が座った後も耳を押さえ続けるコースケ君の様子を寂しそうな笑顔で見つめるイシダ先生の表情がカゲウラ先生には印象的でした。
 その後もなんとか授業に参加していたコースケ君でしたが、何度か大声を出したり、オーオーという小さな声を出し続けたりして、落ち着かない様子が終始見られました。そしてついに授業開始から25分が経過したところで、椅子から立ち上がり、廊下へ駆け出して行きました。カゲウラ先生とコモリ先生はイシダ先生に授業を続けるよう目で合図を送り、コースケ君の後を追いました。

 コースケ君は2年3組があった2階から1階へ走り降り、保健室の横にある「相談室」の札がかかった部屋に飛び込みました。そこ机と椅子が2セットずつ置いてある小さくて静かな部屋でした。カゲウラ先生が扉を少しだけ開けて中をのぞくと、椅子に座ったコースケ君は、耳を押さえながら独り言をつぶやいていました。「ドラえもーん、ドラえもーん」と。 
 「いつも英語やホームルームの時間はこんな感じなんです」。コモリ先生が残念そうにつぶやきました。「イシダ先生が彼に何かをしたわけではなく、厳しく叱るようなことをしているわけでもありません。原因がよくわからないんです。イシダ先生も悩んでいます。コースケ君のお母さんからも、息子に何か不適切な行為をしたのではないか、と連日のようにクレームが入っていて、かなり参っています・・・」。
 「それは辛いですね」。カゲウラ先生にもイシダ先生の切ない気持ちが伝わってきました。「でもまだ登校してくるならよいのですが、最近では学校へ行きたがらない日もあり、そんな日は決まって登校時間になると家庭内で暴れてしまっているようなんです」。「本人には話を聞いたのですか」。「いや、ごらんのようにコミュニケーションがなかなかとりづらく、本人がイシダ先生に対してどう思っているのかはよくわかりません」。
 「では給食の後にでも、コースケ君の様子が少し落ち着いたら、私が直接お話させてもらっても良いですか?」。「せひお願いします」。コモリ先生はそれを待っていたかのようでした。二人はコースケ君を相談室に残し、控え室へ戻りました。

 給食の時間が終わり、昼休みになりました。コースケ君は結局、相談室に残り、そこで給食を食べ、その後も好きな読書をしながら一人で過ごしていました。カゲウラ先生はそっと扉をノックし「入ってもいいですか?」と尋ねました。「どうぞ」と静かに返事があったので入室してみると、コースケ君は机上の本に目を落としたままでした。カゲウラ先生を気に留める風ではありません。
 カゲウラ先生はいつものようにポスター程度の大きさのホワイトボードを持ち込み、コースケ君に聞きたいことを書き出しながらその答えをまたボードに書き込んで行きました。コースケ君は最初は上目遣いにボードをちらちら眺める程度だったのですが、やがて本を閉じ、カゲウラ先生の質問に積極的に答えていくようになりました。
 30分ほど話し終えると、コースケ君はとても落ち着いたようで、午後の授業を受けるため教室に戻って行きました。そこへやってきたコモリ先生は、遠慮しがちに「何かわかりましたか?」と聞いてきました。「先生、コースケ君の『パニック』の原因が少しわかったかもしれません。でも、この問題を解決するためには、こちらの学校で少し協議が必要になるかもしれませんね・・・」。
 カゲウラ先生はある程度の確信を持ってそう答え、この日の午後、関係者を集めた「ケース会議」を実施してもらうことにしたのです。

4 コースケ君の障害特性「聴覚過敏」

 放課後、冷房の効いた校長室に校長先生、副校長先生、2年生の学年主任の先生、そしてイシダ先生とコモリ先生が同席し、カゲウラ先生の見解を聞き対応を協議する今後のコースケ君のための「ケース会議」が催されました。
 冒頭、カゲウラ先生から原因がわからないコースケ君の「パニック」について、ある推論が紹介されました。
 「障害があるお子さんには『障害特性』といって、その障害に起因する独特な行動や心理状態、ものの考え方などが認められます。コースケ君は自閉症の診断が出ています。自閉症児者の中には『感覚過敏』という障害特性を持った方が多くいて、例えば嗅覚が優れていたり触覚が鋭かったりして、それがために強い匂いが苦手だったり肌触りの悪い衣服を着用することができなくなったりしてしまいます」。参加している先生方はみな初めて聞く話に興味深げで、熱心にメモを取っています。カゲウラ先生は続けました。
 「コースケ君にはおそらく・・・、『聴覚過敏』の傾向があるのではないでしょうか」。全員がメモをとる手を止め、カゲウラ先生を見上げました。「おそらく彼には『苦手な音』があるのでしょう。それは彼とのやり取りでわかりました。特に乳児の泣き声や車のブレーキ音などの高音域が苦手なようです。でも私たちにも同様のことがありますよね。黒板を爪で引っかく音は誰だっていやでしょう?」。先生方はその音を思い出し、顔をしかめました。そのとき、コモリ先生が発言しました。
 「でもカゲウラ先生、コースケ君の周囲にはそんな音を出す要素はあまりないですし、そもそも彼が『パニック』になるのはイシダ先生の授業の時が多くて、それは音楽などではなく英語ですから、彼が嫌がるような音は出ていないように思いますが・・・」。
 カゲウラ先生は、少しうつむき、そしてそっと顔を上げて真剣な表情でイシダ先生を見つめました。「先生、これからお話しすることはあなたを誹謗中傷したり責めたりするようなものではないことをよく理解してくださいね」。イシダ先生は驚いてカゲウラ先生を見つめ返しました。「イシダ先生、おそらくコースケ君の『パニック』の原因は、あなたの声だと思うのです」。校長室がしんと静まりました。イシダ先生は大きく目を見開いていました。そして多くの先生方がはっとしました。
 イシダ先生は最近で言う「アニメ声」の持ち主で、それはとてもかわいらしく、美しくよく通る声で、確かに高音域ではありますが、生徒たちには逆にその声に人気があるほどでした。「イシダ先生、あなたのそのステキな声が、コースケ君にはひとつのよくない聴覚刺激として入ってしまうようなのです。本人も言っていました。イシダ先生は好きだけど、声が嫌い、と」。カゲウラ先生の言葉に、まだ若いイシダ先生はどうしていいかわからなくなり、両手で顔をふさいで嗚咽し始めました。

 校長先生はそんなイシダ先生を慰めようとしたのでしょう、カゲウラ先生に対し少し声を荒げて「先生、それは事実なんですか?そもそも生徒が教師の声が好きだとか嫌いだとかで態度を変えることが許されるのですか」と問い詰めました。
 カゲウラ先生は校長先生の目を真正面から見据え、こう言いました。「校長先生、イシダ先生にはなんの責任もありません。冒頭申し上げたように、彼女を責めているわけでも決してありません。しかし、自閉症があるコースケ君にとっては、皆さんが黒板を引っかく音がいやなのと同じくらい、イシダ先生の声は刺激が強いのでしょう。それは彼がわざとやっているわけでもありません。障害特性なのです。視覚障害の方が文字が見えづらいのと同じく、自閉症児者がある感覚に特有の過敏さがあるのは障害が原因なのです。ぜひそこを理解していただけませんか」。

5 一人一人の障害特性に応じた特別支援教育

 夏の遅い夕闇もすでに夜の風情となり、校長室の窓の外のグランドには部活動に励んでいた生徒たちも見えなくなっていました。校長室にはイシダ先生のすすり泣く声が聞こえているだけです。しばらくたってコモリ先生が発言しました。
 「では、では私たちはコースケ君の『パニック』をどのようにすれば止められるのですか。コースケ君自身も辛いのはよくわかりましたが、イシダ先生の辛い気持ちもよくわかります。生徒思いで一生懸命英語を教えようとしているイシダ先生の、その声がダメだなんて・・・。いったいどうしたらいいんでしょうか?そもそもコースケ君の担任はイシダ先生です。年度途中に担任を変えることはできません」。校長室の先生方がその意見にうなずきました。
 「そこで校長先生を始めとする先生方に、ひとつ考えていただきたいのです」。全員がカゲウラ先生の次の言葉を待ちました。「保護者の方の同意が得られるのであれば、いまからコースケ君を『自情学級』(自閉症および情緒障害のための特別支援学級)籍に移せませんか。そして英語の授業とホームルームなどは自情学級で行い、イシダ先生以外の授業は今までどおりのクラスで受けるのです。周囲の友だちはコースケ君の『パニック』について承知しているのですから、その対策のため、と説明すればよいでしょう。ちょうど夏休みに入ります。市の教育委員会と相談し、校長先生のご判断で2学期初めからそのような対策をとっていただけませんか。あるいは、ひょっとしたら先生方はまだ聴覚刺激について半信半疑かもしれませんので、9月の最初の週を『体験期間』ということでコースケ君に試しに自情学級で一部生活してもらう、といったことをやってみてからお考え頂いてもかまいません」。極めて具体的な提案でした。
 校長先生が答えました。「年度途中に障害があるお子さんが通常学級から特別支援学級に変わることは不可能ではありません。保護者や本人の同意が必要ですが、コースケ君自身に抵抗はないでしょう。お母さんも、カゲウラ先生のお話を伝えれば、納得されるだろうと思います。教育委員会とさっそく相談しましょう。イシダ先生とコモリ先生はできるだけ早急にコースケ君の保護者とのこの件を伝えてみてください。そしてもうひとつ・・・」。
 校長先生は続けました。「イシダ先生。もしカゲウラ先生の言葉が事実であるのなら、あなたにはなんの責任もない。恥じる必要も悩む必要もない。これが特別支援教育なんだ。一人一人の子ども特性に応じた教育を提供することがこれからの学校教育には必要なんだ。そのことをよく理解してください。コースケ君もあなたのことが嫌いなわけでは決してない。これからもそっと支えてあげてください」。
 イシダ先生は最初のショックからは少し立ち直り、真っ赤な目で校長先生を見つめました。「校長先生、学校って、教育って、本当にいろいろなことがあるんですね。私、とても勉強になりました。でも、それでもいつか、コースケ君と普通に笑って話ができる日が来ることを望んでいます」。「先生、それはね、十分可能ですよ。そのやり方をスモールステップといいます。必ずしもうまくいくかどうかはわかりませんが、毎日、少しずつ、コースケ君に声をかけてみてください。それも楽しい話題、できれば彼が好きな読書の話題などがいいでしょう。毎日一言、彼と会話をする。これを根気強く続けて行き、少しずつ会話の時間を長くする。もし彼が嫌がったら無理をしない。次の日はまた少し会話の時間を短くすればよい。それを丁寧に続けていけば、ひょっとしたら、彼はいつかあなたの声に慣れ、笑顔でお話できる日が来るかもしれません。やってみますか?」。
 「私、やってみます。先生、教えてください。私、コースケ君といろいろな話がしたい」。そういってイシダ先生はついに号泣してしまいました。でも、今度は先生方が彼女を見つめる目は優しく、隣に座ったベテラン学年主任の女性が、温かくその肩を抱いてあげました・・・。

 2学期になり、コースケ君は自情学級(ヨツバ南中学校では「クローバー学級」と呼んでいます)に通い始め、うそのように「パニック」がなくなりました。家庭でも暴れて登校を嫌がることがなくなり、心配していたお母さんもほっと胸をなでおろしたようです。 
 英語以外の授業はいままでどおり2年3組で受けているので、友だちも普段と変わらず彼と接していました。そして英語の授業はたまたま英語の教員免許を持っていた副校長先生がマンツーマンで彼に指導し、ホームルームはクローバー学級で受けるようになりました。
 そして・・・。イシダ先生は毎日、下校時間になると自分のクラスのホームルームを終え、急いでクローバー学級にやってきました。帰り支度のコースケ君に一言ずつ言葉をかけるためです。コースケ君は当初、イシダ先生の顔を見ると緊張していましたが、その短くわかりやすい言葉や好きな読書の話題などに安心し始め、2、3ヶ月も経つと、10分程度、机をはさんで同じ本を読んだ感想を語り合うほどの会話が可能になりました。
 ある日、別の用事でヨツバ西中学校にやってきたカゲウラ先生を見つけたイシダ先生が駆け寄りました。「先生、コースケ君がね、言ったんです」「なんて?」「やっぱりね、先生の英語の授業が好き、って!」。イシダ先生はその後、言葉が続かなくなってしまい、アニメキャラのような大きな瞳が見る見る潤んでしまいました。
 カゲウラ先生はそっとささやきました。「良かったね!きっとさ、副校長先生の英語の授業がよっぽどつまらなかったんだと思うよ。だって、イシダ先生の授業、面白いしわかりやすいもの」。
 後ろで副校長先生がわざとらしく咳をする声が聞こえ、二人は思わず肩をすくめて笑ってしまいました。
 校庭の桜の木が、秋色に変わった葉を風に揺らしながらざわめいていました・・・。

作者から

実際に起こった話を紹介しましょう。通常学級に在籍する発達障害のあるお子さんを学級担任が叱り、その影響で「パニック」に陥ったお子さんが窓から飛び降りてケガをしてしまいました。保護者が教育委員会や学校の責任を問い、裁判所に訴えたのですが、結果的に裁判官は教育委員会等に慰謝料等の支払いを認めました。「特別支援教育の時代となり、通常学級の担任も子どもの障害特性や実態を理解しなければいけない。発達障害の特性を理解せず罰則を与え、『パニック』に陥らせた学級担任とその指導、監督責任がある学校、教育委員会は反省すべき」と。
 小中学校や高校でも、教員が特別支援教育や障害について「知らなかった」では済まされない時代になりました。特にその障害特性、行動特性については一人一人の子どもに違いがあり、教員は担当する児童生徒の特性をしっかり理解したうえで対応を進めなければなりません。
 中には今までの概念では理解しづらいような特性もあります。偏食の激しい子どもだと思っていたら、その子には実は味覚障害があり、私たちが普通に「おいしい」と感じるものが極めて不快な味だったらしい、あるいは「良い子だね」と頭をなでたのに、触覚過敏があったので子どもがそれを泣いて痛がり、保護者から「体罰だ」と訴えられた、など。
 ひとつの行動をあらゆる可能性を持ってその背景を分析していかなければなりません。特に発達障害や知的障害がある子どもの「問題行動」が、実は障害特性から来ていて、通常の生徒指導や叱責ではなんの解決にならないこともあります。
 小中学校等の特別支援教育コーディネーターの皆さんは、そのあたりを忘れず、必要に応じて専門機関や相談機関と連携しながら、研修会や勉強会を企画したり、近隣の特別支援学校のコーディネーターに支援を求めたりするなどして、その子どもの背景をしっかり分析できる力を養い、先生方のナビゲーターとして先導していただければ幸いです。

6 講師プロフィール

松浦俊弥  現職:淑徳大学 社会福祉学部 准教授(教員養成課程)

松浦先生の著作の近刊をご紹介致します。
『エピソードで学ぶ 知的障害教育』北樹出版社
http://www.hokuju.jp/books/view.cgi?cmd=dp&num=925&Tfile=Data

記事のような松浦先生の特別支援教育のエピソードを本にまとめられています。ですが記事とは内容はすべて違うエピソードが書かれており、学校や地域、教員に求められていることなど様々な見方で特別支援の様子が載っています。

(主な経歴)
・浦安市中学校教諭(進路指導主任ほか)
・県立知的障害特別支援学校教諭(生徒指導主任・特別支援教育コーディネーターほか)
・県立病弱特別支援学校教諭(特別支援教育コーディネーター・教務主任ほか)
・県立知的障害特別支援学校教頭
・東京福祉大学 社会福祉学部 准教授(教員養成課程)

・元 NPO法人あかとんぼ福祉会理事長(障害児放課後クラブ)
・元 四街道市特別支援教育連携協議会専門家チーム座長
・元 四街道市障害区分判定審査委員
・元 富里市・八街市特別支援連携協議会専門家チーム委員
・現在、八街市子ども・子育て会議座長

(資格)
・臨床発達心理士
・自閉症スペクトラム支援士エキスパート

(主な受賞歴)
・読売教育賞最優秀賞(平成16年)
・NHK障害福祉賞(平成21年)

(所属学会)
・日本特殊教育学会
・自閉症スペクトラム学会
・日本育療学会

(主な著作・執筆)
・「病気の子どもの理解のために」(国立特別支援教育総合研究所・全国特別支援学校病弱教育校長会編)

・「自閉症スペクトラム児・者の理解と支援」(教育出版)

・「自閉症スペクトラム辞典」(教育出版)

・「生きる力と福祉教育・ボランティア学習」(万葉舎)

1985年、浦安市の中学校に英語科教諭として着任。生徒の英語への関心を高めるため、屋上で「英単語巨大カルタ大会」を開催したり英語劇を演じさせたりするなど授業に工夫を凝らしていた。生徒指導副主任、進路指導主任、学年主任などを歴任。
 生徒指導にも追われる中、社会性は高くても学習に課題がある生徒の存在に気づき、その背景を探ろうと特殊教育(現在の特別支援教育)を学び始める。1990年、知的障害教育の養護学校(現在の特別支援学校)に異動、自閉症児やダウン症児、重複障害児たちと出会い、その教育の奥深さに惹かれる。生徒指導主事などを歴任。
 97年、担任する子どもたちの保護者の悩みから障害児の家庭生活、地域生活の貧しさに課題を感じ、志を同じくする同僚、保護者とともに障害児が通う養護学校のための学童保育(障害児学童保育)設置運動を開始。98年に千葉県初の障害児放課後クラブ(現行の放課後等デイサービス事業)「あかとんぼ」を開設。その後も教員業の傍ら、ボランティアで運営を支える。99年にNPO法人化し初代理事長に就任。
 99年、多数のメディアで「あかとんぼ」の活動が紹介されたことに影響を受け、県内にその後続々と作られた障害児放課後クラブのネットワークとして千葉県障害児の放課後休日活動を保障する連絡協議会(千葉放課後連)を設立。事務局長として千葉県知事などと面談を重ね、自治体からの補助制度が実現する。その後、2003年には全国の有志と同活動の全国団体、障害児の放課後休日活動を保障する全国連絡会(全国放課後連)を設立、事務局次長として厚生労働省と話し合い、現行の放課後等デイサービス事業の礎を作る。
 現職の教育公務員としてボランティアで携わり続けた障害児放課後クラブ推進に関する一連の活動に対しては、読売教育賞最優秀賞、NHK障害福祉賞、ワンバイワンアワードなど多数の受賞を通じて社会的に高く評価される。
 2002年、病弱教育の養護学校に異動。2004年から特別支援教育コーディネーターとして地域全体の特別支援教育推進に尽力。小中学校、高校等の依頼に応じ、主に発達障害児、病弱児等に関する相談支援を行なう。2006年から4年間、教務主任を兼任、教育課程の編纂などを担当。
 また病弱教育特別支援学校全国校長会(全病長)、国立特別支援教育総合研究所(特総研)が企画した通常学校教員向けガイドブック「病気の子どもの理解のために」(全編を特総研ウエブサイトから無料ダウンロード可)の編集に参加、「心の病編」など執筆も担当する。
 2010年、知的障害特別支援学校へ異動、教務副主任、特別支援教育コーディネーターとして地域の特別支援教育推進に尽力。
 2012年、千葉県立特別支援学校の教頭職に就く。しかし教頭になっても地域からの相談依頼が重なり、幼稚園・保育園、小中学校や高校などではまだまだ特別支援教育の普及が進んでいないことを実感。また特別支援学校についても社会的な理解が不足している現状を憂い、2013年、大学教員に転身。現在に至る。
 現在は大学での教員養成の傍ら、主に千葉県内を中心として小中学校、高校や市町村教育委員会等の依頼に応じて年間50箇所以上で研修会の講師などを務める。また要請があれば個別相談、保護者面談、校内委員会への参加などもいとわない。
 特別支援教育の社会的な理解推進のためメディアでの発信を続け、10月には初の単行本(「エピソードで綴る知的障害教育」 北樹出版)を出版。臨床発達心理士、自閉症スペクトラム支援士の資格を有する。

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