いじめ問題を、もう一度①~関西教育フォーラム2016

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目次

1 はじめに

本記事は、2016年11月20日に京都大学で開催された関西教育フォーラム2016「いじめ問題を、もう一度。~行政×学者×遺族で創る『新しい教育フォーラム』~」内で行われたパネルディスカッションを記事化したものです。

「行政」の立場から文部科学大臣補佐官の鈴木寛さん、「学者」の立場から香川大学教授の加野芳正さん、「遺族」の立場から1994年にいじめで息子の清輝君を亡くされた大河内祥晴さん、そして「教員」の立場から立命館小学校校長顧問の隂山英男先生をそれぞれお招きし、いじめについて熱く議論していただきました。

いじめ問題を、もう一度②
もご参照ください。

2 パネルディスカッション①

Q.いじめを考えるうえで、メディアの影響も避けて通れないものであると思いますが、それについてはどのようにお考えですか。

鈴木:はい、メディアの影響は非常に大きいと思います。学習指導要領で決められている学校の実時間数800時間です。つまりその時間内でしか、子どもをコントロールできないわけです。一方で子どもたちがディスプレーの前に座っている時間というのは年間1500時間なのです。そこで、いろんな人をからかい揶揄して視聴率を稼いでいる番組が溢れています。

記号消費という考え方があります。いじめというものは1970年にはなかったのですが、その後いじめという概念が生まれました。メディアというものは、ものごとを記号(伝わりやすいようなイメージや概念)に変換することで、より多くの顧客に見てもらおうとする。一般市民の側からいうと、メディアから情報を得るということは、メディアが記号化したものを商品として消費すること、というように捉えるのが記号消費の考え方です。その記号には当然流行りすたりが出てくるので、流行っている記号を選択し、数字を稼いでいく、ということです。

いじめという命にかかわる問題すら、記号化の対象になっている、つまりメディアのネタにされてしまっている、というわけです。このニュースをどういう風に伝えればいいのか、という倫理的な問題よりも、数字を取るためにニュースをいかに記号化するか、ということの方を、重視してしまう傾向が残念ながらあると思います。

Q.ほかに、社会からの視点でいじめを捉えるときに、注意するべきものはありますか。

鈴木:日本社会には特に根強い、同調圧力の強さ、というものも見逃せません。例えば先ほどのメディアを例にとっても、正義感を発揮して「この問題はこのように捉えたらいけないのではないか。」という人は、いじめられて、外されてしまうということが起きやすいです。このような、社会における同調圧力の強さに起因するいじめは、社会の至る所で起こっています。そして、そのしわ寄せが、社会的に一番弱い立場の子どものところに来てしまっています。この構造を若い学生さんには知っておいてもらいたいです。全員が教員や教育の専門家になるわけではありません。しかし、逆に言えば社会のありとあらゆるところで、いじめ問題の解決への努力は可能なのです。社会のあらゆる立場の人が、ほんの少しずつ気をつけることで、いじめ問題の解決への大きな力になるのではないでしょうか。

Q.学校で起こるいじめが、自殺にまで発展してしまう理由とは何なのでしょうか。

隂山:ある段階を超えると、いじめている側にいじめている感覚がなくなってくようなことが起こります。相手への配慮が全くなくなり、何らブレーキがかからなくなってしまいます。その段階とは、相手に法外な金額の引き渡しを要求したり、暴力行為に走ったりするなど、犯罪の域に達するようなことをやり始める段階です。

日常的な子どもたちの間の人間関係のトラブル、という意味でのいじめと、他者を死にも追いやってしまうような過激ないじめが、いじめという枠でひとくくりにされてしまっている現状があります。それ故に、対策が打ちづらくなってしまっている部分もあります。もう少しいじめ問題の詳細な分析を行ったうえで、妥当な対策を立てていく必要があると思っています。

Q.いじめに対する学校の取り組みについてはどのように感じましたか。

大河内:息子が亡くなった後、クラスの子どもたちに、息子のいじめについて知っていることを書いてもらいました。その中には、先生の目の前でいじめが行われていたのに、先生は見て見ぬふりをしていた、というようなことを書いている子どももいました。

いじめに関するアンケートはよく行われていますが、そのアンケートを見ることで、学校がどれだけいじめに対して真剣に取り組んでいるのかがわかります。いじめによる自殺事件が起こっても、いじめについてのアンケートの内容が全く変わらないような自治体も存在します。保護者の方々も、自分の子どもがどんなアンケートをやっているか、ぜひ気にしてみていただきたいと思います。

Q:なぜ、いじめ対策に全く取り組まないような教員が出てきてしまうのかでしょうか。

大河内:学校の組織と民間企業を比べてみるとおかしいと思うことがあります。文科省の言っていることが、下部組織、つまり学校に伝わっていないため、学校がどのようなものになるかが校長次第になっているように感じます。しかし一方で、管理する側の校長が、現場で何が起きているかを把握し、教員に指示を出すことができていません。そのため、クラスの先生の権限が強くなっています。学校自体の体制がどのようになっているかは、親の視点からでも見ることができます。それは、大人だからできることであって、親のつとめだと考えています。

Q:親と教員の連携がとれていないということに対してどう思いますか。

陰山:民間企業と学校との違いのもう一つのポイントは、優秀な先生が校長になりたがらないこと。その一つの要因は、学校にクレームを言ってくる親の存在です。いじめ防止対策推進法というものが作られましたが、そこに「いじめた側の責任」という項目があったら、このような事態は防げたと思います。いじめた側の人間が、なぜいじめをするような人間になったのかという根本的な問題が考えられていません。もちろん、学校の責任は大いにあるとは思いますが、いじめた側がなぜいじめるような人間になったかを考えるべきだと思います。

Q.いじめを受けていることを打ち明けにくい、ということに対して周囲ができるのは、どのようなことでしょうか。

大河内:私の息子の場合、いじめられているのかもしれない、と親が気付ける部分はたくさんありました。自転車が壊れていたり、夜遅くに帰ってきたりであるとか。彼がどんなことをしているのか確かめることが、なぜできなかったのか、今でも悔やんでいます。息子からいじめに関する発言を引き出す問いかけはできたのではないか、と感じています。そのためには、親として自分の子供に何が起こっているのかを確かめる行動が取れるかが、大事になってくると思います。

加野:私も、息子が高校3年生の時に学校に行かなくなりました。人間関係でトラブルを抱えているのだろう、ということは見ていてもわかりました。しかし、子どもは何も言いませんでした。子どもを問い詰めても仕方がないのではないかと私は思いました。

その時に、同僚に臨床心理学の先生がいらっしゃったので、その方に相談に行きました。そうしたら、「あなたの息子は学校に行かなければ、ということをとてもプレッシャーに感じているようだ。なので、何日まで学校を休ませるということを決めてあげることで、子どもを楽にしてあげたらどうだ」という回答をいただきました。その通りに休ませると、留年ギリギリのところで、息子は学校に行きはじめ、なんとか頑張って卒業することができました。

一つ言えることがあるとすれば、子どもはいじめに関することは、なかなか家族にも先生にも言わない、ということは共通しているのではないか、ということです。中には、いじめに関する発言を子どもからうまく引き出せるような、勘の鋭い先生はいらっしゃるとは思いますが。

Q.いじめのことを親や先生、また同級生には打ち明けにくい、ということがあるという話でしたが、そこにおいて、大学生のボランティアは一定の役割を果たせるのでしょうか。

鈴木:まず、親が子供に一番近い関係の存在であるとは限りません。子どもが、悩みを抱えているときに、寄り添ってあげて、言いにくいことも思わず言ってしまうような関係性を、多様な形で確保していくことが重要になってきます。話題によっては、家族に絶対言いたくないこともあれば、教師になら言いやすいこともあります。そのような人との距離感というのは、とても複雑です。関係性が近ければ、相談しやすい、というわけではありません。親や先生だけでなく、部活の先生や、大学生のボランティアなどなど、様々な立場の人が子どもと関わっていく中で、子どもを深刻な悩みから救ってあげられる確率が少しずつ高まると思います。

このイベントを主催しているROJEという団体の活動のひとつに、学校ボランティアプロジェクト、というものがあります。そこに参加して、小学校にボランティアとして入っていた大学生に、いじめに関することを子どもたちがつぶやいたりしたことが、いじめの早期発見につながったという実例が、過去に何件かあります。

いじめは、非常に因果関係がわかりにくいものです。こういうことがあればかならずいじめが起きる、ということはありません。だからこそ、偶然いじめが見つかる、という確率を高めていくことが大事になると思います。

Q.行政がいじめの予防として行っているもので、道徳教育というものがあると思います。道徳教育の効果や行政の対策でできることとは何でしょうか。

鈴木:いじめの問題、人間関係に関することを考える時間の枠組みを、作るのはないよりはあった方がいいと思います。要はその時間を現場の先生方がどういう風に活用していただけるかどうか次第だと思います。

道徳という教科を法律で作って、「教育の重心である。」という一行を書いて、事態が変わるほど、いじめの問題は簡単なものではない。逆に、これで事足りている、やっているふりをすることは問題です。行政というのは法律に基づいて行政を行っているのですが、世の中に法律と言うものは万能であるという錯覚があって、そのことが事態をよりややこしくしていくのではと思います。法律にはできることとできないことがあるのです。

例えば刑事罰や刑法というものは、法律で厳しく処置を定めなければなりません。恐喝罪や暴行罪は即座に法律に基づいて摘発しなければなりません。しかし、そうでないものもあります。
法律と言うものは定義しないと始まらないのです。しかし、大河内さんが仰っていたように、いじめは定義の問題ではありません。子どもが何か悩んでいたら、また苦しみを抱えていたら、それが定義に入るかどうかに関係なく、それぞれのケースに応じて寄り添える人と場所を確保する必要があります。子どもに関わる様々な立場の人たちが繋がって、いろんな小さなサインをきっかけとして、どうやったらいじめを見逃さないか、その情報を共有していくかを考え、実行し続けていくしかないわけです。

Q.いじめを捉える一つの方法としての、スケープゴート理論とはどのようなものでしょうか。

加野:人間の集団において、ある一定の人々を集団から排除したり、非難の対象にしたりすることで、その集団の安定を保とうとする傾向があります。ナチスドイツのユダヤ人虐待や、アメリカでの不法移民問題に見られる現象です。クラスの集団においても、だれか一人をのけ者にすることで、ほかの人はいじめられることはなくなり、クラスの安定が保たれる、といった心理が働くことがあります。やはり、子どもたちは、いつか自分がいじめられてしまうのではないか、といった不安を抱えていることも多いです。だから、だれか一人を標的にしておけば、自分は当面の間は逃れられそうだ、と思ってしまうということがある、ということです。もちろんこれによってすべてのいじめが説明できるわけではありませんが、一部のいじめにおいては、このような理論がリアリティを持って当てはまる、ということが言えると思います。


いじめ問題を、もう一度②

【関西教育フォーラム2016特集企画】もご参照ください ⇒ こちら

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