『話す・聞く』学力の育成の軽視
日本は、伝統的に、『読み・書き・そろばん』のお国柄のせいか、長い間、『話す・聞く』学力の育成は軽視されてきた。
そのせいだろう。
現代においても、国語の教科書に載っている『話す・聞く』にかかわる学習内容は、ほんとうに、おそまつだ。これが、話す・聞く力を養うことになるのかと、疑問を感じてしまうものが多い。
関心が、『話す・聞く』力そのものよりも、パズルを解くことや、カードを書くことに向かってしまうのだ。
そこで、真に、『話す・聞く』力を養うには、朝の会などで行う日直のスピーチが、一番適切ではないかと思い、ここに、そうした提案をさせていただこうと思う。
わたしは初任者指導に携わっているが、その指導の経過を追いながら、『話す・聞く』指導のあり方を考えてみよう。
スピーチをほめる
最初に、『日直のスピーチ』をとり上げて話したのは、5月も終わりの頃だったかな。それまでは、学級内の人間関係、基本的な生活習慣など、他のことに指導の眼目がいっていた。
そのとき、A先生(わたしが担当している初任者)に話したのは、次のようなことだ。
「クラス全員が、一応スピーチはできるようだね。まったく話せないとか、何をしゃべったらいいか分からないとかいう子はいないようだ。
でも、声が小さくて、話の中身が分からない子はいるね。
それなのに、クラスの子たちは、別に何も気にしていないようだ。分からなくてもかまわないといった感じだ。聞こうとしていないのだろう。
A先生も、そういうことに対し、特に声をかけてはいない。これだと、『毎日、何のためにスピーチをしているのか。』ということになってしまうね。
A先生は、数回、『できごとだけではなくて、そのとき思ったことも話すといいよ。』と声をかけたことがある。これはよかった。
それで、けっこう思いを言う子はふえたが、今のところは、思いといっても、『楽しかったです。』『おもしろかったです。』『うれしかったです。』くらいのことを言っているだけだね。
まずは、現状のなかで、一人ひとり、ほめる観点をみつけることだ。」
そして、『Bちゃんには、~。』『Cちゃんには、~。』というように、わたしが思う『ほめる観点』を示した。
たとえば、
- 『よく聞こえたよ。』と言ってほめる。
- 『楽しそうにスピーチしていたね。』と言ってほめる。
- 『思いまで言えたね。』と言ってほめる。
- 『間のとり方が上手だったよ。』と言ってほめる。
- 『楽しかった様子まで目に浮かぶように話せたね。』と言ってほめる。
などなど。どの子にも、ほめる材料はあるはず。その子に合ったほめ方ができるようにする。
声の小さい子どもに
そうしたら、次の週、思わず苦笑いしてしまう場面に出っくわした。
声が小さくて聞こえないとき、席についている子たちから、
「よく聞こえません。」
「もっと大きな声で話してください。」
の声が聞こえるようになった。日直の子たちを責めている感じではなく、やさしい言い方だった。
これはいい。『聞こうとする意欲』を感じるようになった。
ただし、A先生まで、『小さな声のスピーチ』の子に向かって、「もっと、みんなに聞こえるような大きな声で話そうね。」などと言っていることについては、あとで注文をつけた。
「確かに、『聞こうとする意欲を養う。』ことにはなるから、『もっと大きな声で話してください。』などと言うようになったことをほめるのはいいが、A先生まで、『もっと大きな声で話そうね。』と言ってしまうのはよくない。
そうすると、そのときは大きな声を出すだろうが、スピーチすることに対し苦手意識をもたせてしまうかもしれない。
声が小さいのは、いろいろな原因がある。
- みんなの前で話すことに自信がなかったり、
- 間違えたらどうしようと思ったり、
- 勇気がなかったりしているわけだから、
A先生がその子のそばに行って聞き耳をたて、
「今、Dちゃんの声、聞こえたかな。・・・。聞こえなかった。・・・。それなら、先生が言ってあげるね。」
などと、通訳のように話してやればいい。
声が少しずつ大きくなったら、だんだん、Dちゃんから離れるようにする。そして、
『すごい。ここにいても、ちゃんと聞こえるよ。』
などと言ってやればいい。
そのようにして、心の障壁がなくなり、大きな声で話せるようになったら、これはもう、感動するようにしてほめてやればいいのだ。」
子どもの実態に即したほめ方
A先生はだんだん成長した。一人ひとりの子どもの実態に即したほめ方ができるようになった。
そのおかげで、日直のスピーチもだんだんよくなった。ただ、『楽しかった。』とか、『おもしろかった。』だけではなく、
たとえば、
「昨日公園のシーソーで、Eちゃんと遊びました。Eちゃんがだんだん勢いをつけて、こうやった(身ぶり手ぶりつき)ので、わたしは少しこわくなりました。
でも、なれてきたらなんともなくなり、そのうち楽しくなってきました。」
などと、楽しい様子まで話す子が出てきた。
これに対し、A先生は、そう、それこそ身振り手振りをつけながら、
「すごい。もう、感心しちゃったよ。このようにして、スピーチできたね。すごく楽しそうだったし、様子がよく分かったね。」
というように絶賛していた。
A先生のほめる言葉も、進化した。
そのとき、そのときに感じたことを感じたまま、率直にほめている感じになってきた。
たとえば、
「昨日という言い方が、特によかったね。『ほんとうに昨日のことなんだよ。おとといじゃないんだよ。』と言いたい感じで、強く、強く、言っていたね。」
などと言ってほめていた。後の初任者指導では絶賛した。
もう一つ、A先生の成長を感じたことがあった。
やはり声の小さかったFちゃんが、メモ書きを用意し、メモを見ながら大きな声で話したとき、それをほめてやったことだ。
このことでも、A先生を絶賛した。
「よかったよ。わたしは、『メモを見ないで言ってごらん。』とか、『今度はちゃんと言う内容を覚えてこようね。』などと言うのではないかと、心配したのだ。ごめんね。
そうは、言わなかったね。
逆に、メモを用意したことや、見ながらでも大きな声で話せたことをほめていたじゃないか。『もう先生が通訳してあげる必要がなくなったね。』とか言って。
そのとき、あのFちゃんはとってもうれしそうだった。
だから、今度やるときは、メモも見ないで、大きな声で話す可能性がある。そうしたら、そのことをうんとほめてやればいい。」
このようにやっていると、
担任のほめる内容に即してスピーチが上手になっていくし、ほめる言葉を通して、子どもたちは担任の思いを感じるようになる。
- 一人ひとりほめていること。
- そのほめる内容は一人ひとり違っていること。
- そして、一人ひとりの伸びを具体的に指摘していること。
いつの間にか、『聞こえません。もっと大きな声で話してください。』などという声はなくなっていた。
ある日、子どもたちが、
「A先生。今日の日直のGちゃんも、すごく長く話していたね。よくあんな長く話せるね。話す内容を覚えちゃったのかな。」
などと言うようになった。いわば友達同士の相互評価だ。その相互評価力をも、A先生はほめるようになった。
そのようなとき、わたしはA先生に次なる観点を話した。
「A先生が、『長く話せる』ことをほめてから、すごく長く話す子がふえたね。それに、まるで見ているかのように様子がよく分かる話し方ができるようになっているし、いきいきと話しているから、思わず笑ってしまうこともある。
そういう意味ではとてもいい。
話の要点を整理して
でも、ただ長いだけで話がダラダラしてしまって、『もう話を切り上げたら。』って言いたくなる子もいるよね。・・・・。さあ、そういう子には、どう言葉をかけたらよいかな。」
「そうですね。ただ長いだけではダメですね。ほとんどの子が長く話せるようになりましたから、これからは、もうその観点ではほめないようにします。
要領よく、分かりやすく話す子がいますよね。Hちゃんとか、Jちゃんとか。・・・。そういう子を中心に、中身でほめるようにします。」
「そうだね。HちゃんやJちゃんは、メモ書きくらいは頭に入れているのではないかと思うよ。
その、『頭のメモ書き』には、話す要点くらいは書いてあるのだろう。それにしたがって、あとは気の向くまま話しているのではないかな。
そんなふうに、ほめてみたらどうだろう。
これは、国語の、『話す・聞く』の学習にもつながると思うよ。
たとえば、スピーチの文節ごとに、『まず、』『それから、』『だから、』などをつけて話すようになれば、さらに聞き手は、聞きやすくなるだろう。そういう子は必ずいるはずだから、そのときは、そのことをうんとほめてやる。」
そう。ダラダラ言う子に注文をつけるのではなく、要領よく話すHちゃん、Jちゃんや、文節の初めに『まず、』などをつけて話す子をその観点でほめればいいのだ。そのほめる言葉を『ダラダラ』の子も聞いているわけだから、がんばる気持ちになるだろう。
『話す・聞く』力は、生活力そのもの
3学期になると、このクラスの子たちはすごいことをやりだした。
テレビのまねなのだが、
日直はスピーチの前に、大きな手作りのさいころを振る。これには、数字ではなくて、『昨日のできごと』『うっかりしたこと』『ほめられたこと』・・・などというように、話のテーマが書かれている。
もっとも、『さいころを振らないで、話してもいいですか。』と言って、あらかじめ自分が決めたテーマで話してもいいことになっている。
みんなで話し合って、こうすることにしたのだという。
もう、教室の雰囲気はとてもいい。
スピーチをする子、それを聞く子、みんななごやかだ。話す子の方をしっかり向いて、楽しそうな表情を浮かべながら聞いている。いつのころからか、話し終えると、拍手も自然に出るようになった。
また、スピーチに対し、質問も出るようになった。『そういえば、ぼくも似たようなことがあったよ。』などと、思いをつけたす子もでてきた。
あるとき、学年主任が、職員室で、
「A先生のクラスの子は、みんな話が上手だね。よくあれだけしっかりと話せるね。」
とほめているのを聞いた。
〇『話す・聞く』力は、生活力そのものだ。まさに、『生きる力』を育んでいるといえよう。
こうした取組を通し、教科等、授業での話し合い学習も活発になっていった。
また、副産物としては、友達のスピーチへの共感、称賛の声などを通し、思いやり、仲間意識の盛り上がりをみせるようになり、学級が一つにまとまっていった。
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