授業論(授業は子どもを探る場)

1.1 旧態依然

学校現場を少し離れてみると、いろいろと感じることがあります。いろんな学校の様子や授業を拝見したり、担任時代の授業実践を想起したりする中で自分なりに問題提起できたらいいなあと思っています。

さて、新指導要領が示され、様々な教育改革が打ち出されていますが、正直、授業そのものは旧態依然としていると感じています。もちろん、不易と流行の部分を見極めなければなりませんが・・・。相変わらず、知識偏重の画一的な教え込み授業が蔓延しているように思われます。

かつて勤務した学校では“授業は子どもを探る場”という額が校長室に飾られていました。これは、初代副校長であった長岡文雄氏の書かれた言葉です。腰の強い授業実践として有名な長岡文雄氏は「いいですね、教室は生きているのです」、「我々教師にとって大切なことは、子どもの生きる根っこを耕すことです」、「子どもには学習する道筋があり、それをどのように保障していくかが授業では重要です」と日頃から教職員へ語っていたと先輩諸氏から教えていただきました。

1.2 主体的な学習の成立

10年前、その学校に転勤して、すぐの4月半ばに新任者の授業研究会がありました。私は、子どもたちもそれなりに発言し、転勤直後の授業としては、まずまずという思いがありました。ところが授業後の検討会では、これでもかという程の批判を浴びました。

そして、ある先輩から「目の前に弱っている花があるとしよう、高岡さんならどうする?」と尋ねられました。私は「その弱っている花に、水と肥料をたっぷり与えます。」と即座に答えました。その先輩は、穏やかに「だから、だめなんだ」と返されました。10年経った今でも、鮮明にその時のことが思い出されます。

まさに、このやりとりは、私の授業観そのものでした。

つまり、「授業は教師の思っていること、やりたいことをおしつける場ではない」ということ、そんなつもりはないと思いながら、ひとつひとつ具体的に指摘されました。この授業研は、自分にとって目から鱗が落ちる衝撃的な場でした。

今、いろいろな授業を拝見させていただくと、子どもたち一人一人の様子を見ずに、教師は必死になって、水と肥料をたっぷりと与えているなあと感じることがよくあります。もちろん、そのこと自体は決して非難されることではありません。教師の思いもよくわかります。ですが・・・、授業はこの子を探り、働きかけ、この子から学ぶ中から、主体的な学習を成立させていくものだと思うのです。学習者中心の教育観に立つことが必要だと私は思います。日々の忙しさの中で、どれだけ、子どもを探るということが意識できているでしょうか。子どもから学ぶという教師の姿勢が問われていると思うのです。

基礎基本の重視が再び声高に叫ばれる今だからこそ、かつての知識理解に偏った教師一斉型の教え込み授業に回帰ではなく、「授業とは何か」という問い直しを自分自身で、校内で、サークルでする必要があると思うのです。"

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