いつでも、どこでも、誰にでもできる・やっている 情報教育

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目次

1.1 情報教育とは

「情報」と聞くと、パソコンを思い浮かべる先生は、まだ多いと思います。パソコンを教えているから、情報教育をしている、パソコンで作品(掲示物など)を作っているから情報教育だ、インターネットで「調べ学習」をするのは情報教育だ、等々。

「情報」とはなんでしょうか。

これは、何らかの意図を持って、人から人へと伝えられる物事のことです。

情報には、必ず「送り手」と「受け手」があります。一方通行で、送り手しかないものは、情報とは言えません。

新聞を考えてみましょう。新聞の紙面には、びっしりと「何か」が印刷されていますが、新聞を手に取る人は、それらを隅から隅まで読むわけではなく、ほしい情報を見つけて、そこだけを読みます。読まないところは、その人にとっての「情報」ではありません。

1.2 送り手と受け手

こういった、すべての情報の向こう側、つまり、自分が送り手なら受け手、受け手なら送り手を常に意識する姿勢を養うことが、情報教育です。

送り手になるときは、「送りたい情報」が、きちんと受け手に伝わること。送りたい意図が伝わることです。何を、誰に、どんな手段で、いつ、なぜ送るのか、といったことを考えられる、ということです。

受け手になるときは、逆に、送られる情報を正しく受け取ること、そのとき、送り手の意図も考えて受け取ることです。自分がほしい情報が何か、どこを探せば得られるのか、なぜそこにあるのか、そこに置かれた意図は何か、新しいか、信じてよい情報か(情報の質)、などがわかることです。

相手が目の前にいるときは、その表情や身振りなどが、情報を補助しますが、ほとんどの情報は、何らかの手段(メディアと呼ばれることもあります)を用いて伝えられるので、受け手と送り手は直接向き合ってはいません。相手が見えない情報が、好むと好まざるとにかかわらず身の回りを取り巻いていることが、今、「情報教育」が重要になっている大きな要因です。

今ある情報は、送り手と受け手の間、そのどこかの段階で、ほとんどの場合「デジタル化」という処理を経て送られます。情報が、無機的な信号に置き換えられる段階がある、ということです。電気信号に置き換えられたとき、そこで、元の情報の持つ何かがそぎ落とされてしまう可能性があります。復元したとき、そぎ落とされた何かがあるかもしれないことを、受け手は意識しなくてはなりません。これも、大事な「情報教育」です。

1.3 相手意識

そして、パソコンに戻ります。パソコンは、こういう「デジタル化」された情報を扱うのに、たいへん便利な道具です。もっと言えば、デジタル化された情報しか扱うことができませんが、ほとんどの情報がデジタル化される今、パソコンに扱えない情報は極めて少ない、ということができます。なので、パソコン「イコール」情報、という図式が成り立つように見えるわけです。

でも、パソコンに扱えるのは、デジタル化されたデータなので、情報そのものを扱っているわけではありません。ここまで考えると、必ずしも、パソコンを操作していることが情報教育ではないことは、ご理解いただけるものと思います。また、送り手と受け手、ということを考えれば、「いつでも・どこでも・誰でも」情報教育ができるし、すでにやっていることだということもおわかりになると思います。

授業で挙手をして、質問をしたり意見を述べたりするときに、言いたいことがみんなにきちんと伝わるように指導することも、大事な情報教育です。ゲストティーチャーにお礼の手紙を書くときも、「いろいろ教えてくれてありがとう」では、何のことかわかりません。あのときこんなことがあって、どんな気持ちだったか、と具体的にわかりやすく書く、というのも、一つの情報教育です。

「いろいろ・すごく・たくさん」は、情報教育としてはNGワードです。書くなら必ず、「例えば」と付け加えるか、誰でも客観的にわかる数値(○○の何倍、など)で表現すると、いいですね。

さぁ、日頃の生活を、「情報」と「相手意識」を視点として、見直してみませんか。

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