1.1 はじめに
この記事は、坂本哲彦先生が運営されているホームページ、「坂本哲彦 道徳・総合の授業づくり」から引用させて頂いたものです。坂本哲彦先生のホームページはこちら→ http://p.tl/a-TK-
1.2 対象とねらい
対 象
小学校5年生
ねらい
「いいえ、いいんです」と言ったときのわたしの気持ちを話し合うことを通して、親切にすることの難しさ・よさに気付き、よりよく生きようとする(人に対して思いやりのある行動を取ろうとする)態度を高める。
1.3 実践
資料「くずれ落ちただんボール箱」
(『小学校道徳5 希望を持って』 東京書籍 2004年)
あらすじ
冬休みに入り、友達の友子と一緒にショッピングセンターに出かけたわたし。売り場の狭い通路に積んであっただんボールをはしゃいで倒した5才くらいの男の子は、一緒に来たおばあさんが元に戻そうとするのも構わず、おもちゃ売り場に1人で歩いていく。たまたま居合わせたわたしと友子は、見かねて「迷子になってはいけないので、わたしたちが片付ける」と申し出る。
おばあさんが男の子を追ってその場を去った後、だんボール箱を片付けていると、店の人が来て、2人が倒したと誤解する。「こまるわね、ここは遊び場じゃないのよ」・・・
2人は、「こんなことなら片付けてやらなければよかった」と思いながらも、店の人と一緒に最後まで片付けた。
後で、先ほどのおばあさんがやってきて、「先ほどはありがとうございました」とお礼を言うも、「いいえ、いいんです・・。」と何とも後味の悪い2人だった。
3学期の始業式に、「ショッピングセンターの人から、お詫びとお礼の手紙が来た」と校長先生が紹介し、「本校にこんな立派な人がいて、うれしい」とほめてくださった
学習内容
(1)親切にすることの難しさ・よさ
- 誤解されてまで、親切な行動をすることの難しさ
- 誤解されたのに、親切な行動をすることのよさ
(2)親切について自分の考えを深めること
- 人に認められることによって、親切心は増すこと
- 人に認められなくても、親切の価値は変わらないこと
学習過程(45分授業)
資料を聞き、自由に感想を発表する。(10分)
発問1:「感じたことを発表してください。」
○事実関係を時間に沿って、十分理解させながら2度ほど読み聞かせ、感想発表の時にも内容理解や心情理解を深められるようにします。
○「誤解されたときのいやな気持ちや最後にほめられてうれしかった気持ちなどが分かりますか?」「あなたならどんな気持ちがするかな?」などと(軽く)投げかけながら、意欲的に学習しようとする気持ちを高めることを目指します。
お礼を言われたときの気持ちについて話し合う。(25分)
発問2:「『いいえ、いいんです・・・』と言って、その場を立ち去るときのわたしはどんな気持ちだったろうか?」
①「店員さんに誤解されるくらいなら、親切にしなければよかった(損をした)」という後悔の気持ち
②「店員さんに、自分たちがやったのではないということをきちんと説明すればよかった」という後悔の気持ち
③「店の人は、事情も聞かず一方的に決めつけて腹を立てている。何という人だ」という店の人への憤りの気持ち
④「男の子を無理矢理でも連れ戻して、自分自身で後片付けをさせたらよかった(男の子は謝りもせず、お礼も言わず、結局おばあさんが辛い思いをしただけだった。5歳くらいなら自分のしたことの善し悪しは判断できないとダメだ。)」という男の子への怒りの気持ち
に概ね分かれると考えました。
○「どの気持ちが強かっただろうか」と問い返しをして、①②③④の順、あるいは①③②④の順ではないか、などと「どの気持ちもあったに違いないこと」それだけに、「割り切れない気持ちであったこと」を押さえます。
○本当の順番はどうでもいいのだけど、あえて順番を問うことで、
- 誤解されると親切にしたことの意味・やる気・よさがなくなってしまうという「親切にすることの難しさ(やりきれなさ)があったこと」
- 誤解されたにしろきちんとやりきったこと、そのことで、おばあさんにお礼を言われたこと、男の子が迷子にならずにすんだことなど「親切にしたことのよさは一層があったこと」
の2点を十分理解させます(これは、きちんと理解させなければなりません)。
発問3:「手紙のいいところは何か?」
①店員さんの誤解が解けたこと、そして、誤解したことを店員さんが謝ったこと、しかも、わざわざ手紙を書いてまで。
②店員さんが二人の行為についてお礼を言ったこと、つまり、親切な行いを認めてもらえたこと
の2点になる。(これは、発問4の段取り的な発問で、理解が十分なら、(あるいは、さっさと先生の方から伝えるのなら)とばしてかまいません。
発問4:「手紙が来なかったら(つまり、誤解が解けなくても)二人の気持ちは晴れなかっただろうか。」
○「晴れなかった」という意見が多数を占めるに違いない。(なぜなら、何となく割り切れない気持ちなのは、親切にするという行為とは別の次元である「誤解」によるものだから・・・)多数が占めていることをみんなで確認した後、
○その場を捉えて、
- 「誤解されたままでも、二人の親切についての価値は、下がらない、変わらない」という意見
- 「誤解が解け、ほめられれば、一層やる気になる」という意見
を引き出し、親切にしようとする意欲、態度を高めます。「誤解されても、神様は見ている」と言ってもよいかもしれません。
授業の感想を書く。(10分)
発問:「親切は、誰のためにするのか」
①相手のため
②そして、自分自身のため
とまとめるか・・・。
○どんなまとめ方をするにしても、この話は、親切にすることのよさを、誤解されるという少し違う要素で弱めてしまうという日頃あまりない場面が取り上げられており、その意味では扱い方が難しい資料です・・・。
よくある日常の場面は、自分が相手に親切にしても、された方がちっともその意味やよさ、親切にした側の大変さが分からない、感謝の気持ちがないというパターン(場面)。
○したがって、そのようなパターン(場面)を取り扱った資料で、「親切の難しさや親切のよさ」を考えさせる指導がまず先にあって、今回の資料を用いた指導ということになるのでしょう。
1.4 編集後記
親切だと思ってやったことがうまく行かなかったり、あとでおせっかいだったかもしれないと思った経験は私にもあります。いろいろ考えて行動に及んでも、心の中でのその過程は相手には非常に伝わりにくいでしょう。
この実践は、親切にした自分のことだけでなく、された側のことも一緒に考える助けとなる内容だと感じました。双方の立場にたてるようになるのは、とても難しいことだと思います。この実践から学び、次の親切の場で生かせる人が増えていくと良いなと思いました。
(編集・文責:EDUPEDIA編集部 澁川万結子)
1.5 実践者プロフィール
坂本哲彦(さかもとてつひこ)
山口県山口市立徳佐小学校教頭。
1961年生まれ。
山口大学卒業、山口大学大学院修了。
山口県内公立小学校教諭、山口大学教育学部附属山口小学校教諭、山口県教育庁指導主事等を経て、現職。
自身の経験を活かして、道徳実践をHP、メルマガで数多く配信している。
坂本哲彦 道徳・総合のページ
http://sakamoto.cside.com/
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