「欲張りすぎるニッポンの教育」苅谷剛彦/増田ユリヤ 著 (講談社現代新書)

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ポジティブリストが長大化

近年の調査で学力世界一といわれるフィンランド。その公教育の在り方を日本の学校と比較しています。しかし、ありがちな海外教育の礼賛ではなく、日本の学校の長所をきちんと取り上げた上で両者の違いを示しています。

大半が2人の著者の対談という形で本書は構成されています。苅谷氏が後書きで述べているように、2人の議論がかみ合わない部分もあります。フィンランドの取材をしてきた増田氏と日本の教育の「現実」を見詰めてきた苅谷氏の考えの微妙なずれと一致を読み取ることがこの本の面白さかもしれません。

「二十一世紀型社会ではさまよう若者が増える」の項で、苅谷氏は「自己責任だぞ、というところにいつも帰着させてしまうと、厳しい社会ですよね。」と述べています。苅谷氏の立ち位置にやや戸惑いを見せる増田氏の反応から、日本の教育の抱える課題が垣間見えてきます。

「日本は学校に依存することで、近代社会をつくってきた」という指摘は、日本の学校というものがいかに大きく重い仕事を担ってきたか(それが教育という範疇かどうかの議論は別として)ということを教えてくれます。また同時に、その責務が重荷となっていつのまにか身動きがとれなくなってしまった現実に気づかせてくれます。

苅谷氏は「ポジティブリストが長大化」していることに危惧を示しています。「現実には子どものキャパシティの問題もあるし、教える側のキャパシティの問題もある」と、日本の教育がやらなければいけないことをどんどん増やしていくことに反対の立場です。

いじめや校内暴力は、学校で起きるからこそ教育問題になるのであって、外で起きれば犯罪です。そうやって若者の問題のすべてを学校、そして教育という枠の中に包みこんだ社会に潜む危うさをどう私たちは受け止めればよいか。社会と個人、そして学校の責任ということを考えさせてくれる一冊です。

現在、苅谷氏はアメリカを活動の拠点にされているようで、日本でのご活躍が見られないのが残念です。日本に帰ってきていただきたいものです。

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