中学歴史〜大塩平八郎の乱と天保の改革〜(自主学習用教材「こころの窓」第35回)

1 はじめに

本記事は、東近江市の元中学校校長で現在は小学校講師を務める雁瀬徳彦さんが作成した「こころの窓」の内容を引用・加筆させていただいたものです。「こころの窓」は中学生向けの日本史教材で、不登校の生徒や、学校に登校できても教室に居られず別室で過ごす生徒が一人で勉強できるように作られています。雁瀬さんの取り組みに関しては、こちらの記事もご参照ください。

本記事では、第35回「大塩平八郎の乱と天保の改革」の内容について紹介しています(教材の本文は編集せずに掲載しております)。ほかの単元の記事をご覧になりたい方はこちら

2 「こころの窓」について

教材の一枚目を見ていただくと分かりますが、教材の文章を読むと歴史の流れがよく分かります。現在使用されている学校の教科書は写真も多くとても見やすいように思いますが、初めて歴史を学ぶ子どもたちにとって、とても難しい写真や資料です。また、教科書の文章には事実が羅列されているだけなので、歴史の事象がドラマティックであることや、当時の武将がどんな思いで戦いや政治を行っていたかという感動が伝わってきません。だから、不登校の子どもたちが学校の教科書だけを使って一人で勉強しようと思ってもなかなか続かないのです。

そこで、子どもたちが一人で楽しく歴史の勉強ができるようにプリントを作成しました。また、次のページには復習問題があります。ほかの教材だと、「794年に何がありましたか」という語句を答えさせる問題が主流です。このプリントには語句を答えさせる問題ではなく、「なぜ、都を奈良から京都に移したのですか」という問題が載っており、起こった事実に対して、その原因や結果について子どもたちに考えさせる問いになっています。

解説編

元気ですか。今日も一緒に勉強しましょう。

今日のお題は、「大塩平八郎(おおしおへいはちろう)の乱と天保(てんぽう)の改革」です。

江戸時代の後半になると、日本と貿易をするために、ロシアやイギリスやアメリカの船が日本の沿岸に現れるようになりました。しかし、鎖国をしていた幕府は、この貿易を断り外国船に対して異国船打払令(いこくせんうちはらいれい)を出して、外国船を追い払いました。さらに、江戸の海岸に台場(だいば・・・これが現在は東京のお台場として有名です)を作り、大砲(たいほう)を備え付けて外国船に向かって大砲を撃って威嚇(いかく・・・おどすこと)したのです。

また、日本は天保の大飢饉(てんぽうのだいききん)という、ものすごい米の不作に見舞われ、さらに商人たちが、ここぞとばかりに米を買い占めたので、米の値段が急激に上がりました。そのため、人々の生活が極端に苦しくなりました。これに怒った、もと大阪の役人であった大塩平八郎(おおしおへいはちろう)が、人々の生活を守るために、1837年に反乱を起こしました。これを大塩平八郎の乱といいます。しかし、反乱の情報が事前に奉行所に漏れていたために、反乱は一日で鎮められてしまいました。

このように江戸時代も後半になると、いろいろな問題が起こってきたのです。さらに、11代将軍の徳川家斉(いえなり)は、農民や町人がどんなに苦しい生活をしていても関係なく、ぜいたくな暮らしを楽しんでいたので、幕府の改革ができませんでした。しかし、家斉が亡くなると、ようやく老中の水野忠邦(みずのただくに・・下の絵の人)が、天保の改革(てんぽうのかいかく)をはじめたのです。

まず、今までの改革と同じように倹約を進めました。これは人々にとって、とても厳しい政策でした。たとえば、細かなことですが、くしやかんざしなどのぜいたくな物をつけてはいけないとか、高いお料理もお菓子も食べてはいけないなどというものでした。また、商人ばかりがお金儲けをし、物価が上がり続けたので、株仲間(かぶなかま・・・同業者のグループ)を解散させました。

さらに、生活が苦しくなった農民が土地を捨てて江戸などに逃げたので、江戸から農民たちを村に帰らせ、年貢をしっかり取るようにしました。このような改革をしたのですが、これがあまりにも厳しい取り組みだったので、大名や民衆の反発を受けて、改革は失敗に終わったのです。

また、幕府以外の各藩でもお金が少なくなり、藩ごとに改革を進めました。なかでも、薩摩藩(さつまはん・・鹿児島県)と長州藩(ちょうしゅうはん・・・山口県)は、上手に改革をしたので、しっかりとお金儲けをすることができました。実はこの二つの藩が、後に幕府を倒すことになるのです。びっくりですね。

は~い!それでは復習問題にチャレンジを!

復習問題

1.何のために、外国の船が日本の沿岸に現れたのですか。また、これに対して幕府はどのような対応をしましたか。まとめてください。

日本と貿易をするために、日本の沿岸に現れました。しかし、幕府はこれに応じず、異国船打払令を出して、大砲で外国船を撃ち払いました。

2.大塩平八郎はなぜ反乱を起こしたのですか。また、その反乱はどのようになりましたか。

日本は天保の大飢饉という、ものすごい米の不作に見舞われ、さらに商人たちが、ここぞとばかりに米を買い占めたので、米の値段が急激に上がりました。そのため、人々の生活が極端に苦しくなりました。これに怒った、もと大阪の役人であった大塩平八郎が、人々の生活を守るために1837年に反乱を起こしました。これを大塩平八郎の乱といいます。しかし、反乱の情報が事前に奉行所に漏れていたために、反乱は一日で鎮められてしまいました。

3.天保の改革についてまとめてください。

まず今までの改革と同じように倹約を進めました。これは人々にとって、とても厳しい政策でした。たとえば、細かなことですが、くしやかんざしなどのぜいたくな物をつけてはいけないとか、高いお料理もお菓子も食べてはいけないなどでした。また、商人ばかりがお金儲けをし、物価が上がり続けたので、株仲間を解散させました。さらに、生活が苦しくなった農民が土地を捨てて江戸などに逃げたので、江戸から農民たちを村に帰らせ、年貢をしっかり取るようにしました。この改革はあまりにも厳しい取り組みだったので、大名や民衆の反発を受けて、改革は失敗に終わったのです。

3 ダウンロードはこちらから

こころの窓 第35回「大塩平八郎の乱と天保の改革」

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4 おわりに

不登校の子どもたちにとって一番大切なことは、何が何でも学校に登校させることではなく、家であろうが別室であろうが自立の力をつけてあげることだと考えます。誰かに言われて取り組む学習を重ねるのではなく、自分で考えて自分で学習できる力をつけることが大切です。その上で、学力をつけていくことが「生きる力」につながっていくと思います。

この「こころの窓」は、一人で勉強するために作ったプリントです。閉ざした『こころの窓』を開けて、社会に出て行くための勉強をがんばってほしいと考えてこの題名をつけました。

不登校に悩む子ども達の力になることを祈っております。

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