中学歴史〜大政奉還と戊辰戦争〜(自主学習用教材「こころの窓」第43回)

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目次

1 はじめに

本記事は、東近江市の元中学校校長で現在は小学校講師を務める雁瀬徳彦さんが作成した「こころの窓」の内容を引用・加筆させていただいたものです。「こころの窓」は中学生向けの日本史教材で、不登校の生徒や、学校に登校できても教室に居られず別室で過ごす生徒が一人で勉強できるように作られています。雁瀬さんの取り組みに関しては、こちらの記事もご参照ください。

本記事では、第43回「大政奉還と戊辰戦争」の内容について紹介しています(教材の本文は編集せずに掲載しております)。ほかの単元の記事をご覧になりたい方はこちら

2 「こころの窓」について

教材の一枚目を見ていただくと分かりますが、教材の文章を読むと歴史の流れがよく分かります。現在使用されている学校の教科書は写真も多くとても見やすいように思いますが、初めて歴史を学ぶ子どもたちにとって、とても難しい写真や資料です。また、教科書の文章には事実が羅列されているだけなので、歴史の事象がドラマティックであることや、当時の武将がどんな思いで戦いや政治を行っていたかという感動が伝わってきません。だから、不登校の子どもたちが学校の教科書だけを使って一人で勉強しようと思ってもなかなか続かないのです。

そこで、子どもたちが一人で楽しく歴史の勉強ができるようにプリントを作成しました。また、次のページには復習問題があります。ほかの教材だと、「794年に何がありましたか」という語句を答えさせる問題が主流です。このプリントには語句を答えさせる問題ではなく、「なぜ、都を奈良から京都に移したのですか」という問題が載っており、起こった事実に対して、その原因や結果について子どもたちに考えさせる問いになっています。

解説編

元気ですか。では今日もがんばりましょう!

今日のお題は「大政奉還(たいせいほうかん)と戊辰戦争(ぼしんせんそう)」です。

薩長同盟が結ばれ、いよいよ幕府の力もなくなり、これ以上幕府が政治の実権を持ち続けることは不可能であると考えた15代将軍(最後の将軍)の徳川慶喜(よしのぶ)は、天皇に政治の実権を返しました。これを大政奉還(たいせいほうかん)といいます。しかし、慶喜は政権を返した後も、天皇といっしょに政治に関わろうとしたので、天皇は、徳川慶喜を完全に政治の世界から追い出すために、天皇を中心とした新しい政府をつくりました。これを王政復古の大号令(おうせいふっこのだいごうれい)といいます。

これによって、徳川幕府は完全に終わりを告げたのです。しかし、このことに納得しなかった幕府側の武士たちは、薩摩藩や長州藩を中心につくられた新政府軍(天皇側の軍隊)と戦いを始めたのです。これを戊辰戦争(ぼしんせんそう)といいます。京都で始まったこの戦いは、近代的な兵器と軍隊を持っている新政府軍が圧倒的に強く、幕府軍は江戸まで敗走しました。

そして、いよいよ江戸の町もこの戦いに巻き込まれかけましたが、新政府軍の代表である薩摩藩の西郷隆盛と幕府側の代表である勝海舟が話し合いを行い、江戸で戦いを行わない代わりに、将軍徳川慶喜が江戸城を出て、江戸城を天皇にあけ渡す約束をしました(下の絵がそのときの話し合いです)。

しかし、その後も、まだ納得がいかない旧幕府軍の武士たちは戦いを続けましたが、新政府軍は、幕府軍を完全に打ち破り、戊辰戦争は終わり、新しい天皇中心の国が誕生しました。

この新しい時代を明治といいます。そして、江戸城は天皇の住まいである皇居(こうきょ)になったのです。

江戸時代は約260年間続きました。また、武士が天皇にかわって政治の実権を握ったのが鎌倉幕府ですので、そのときから考えると、なんと武士の時代は、700年近くも続いたのですね。

また、明治になると、江戸を東京と改め、今までの藩をなくして、都道府県に変えたのです。もちろん武士という身分もなくなったので、ちょんまげをして、刀を差して歩いている人もいなくなったのです。時代が大きく変わったのですよ。

お疲れ様でした。では、復習問題に行ってください!

復習問題

1.なぜ、徳川慶喜は大政奉還を行ったのですか。

薩長同盟が結ばれ、いよいよ幕府の力もなくなり、これ以上幕府が政治の実権を持ち続けることは不可能であると考えたため、15代将軍の徳川慶喜は、天皇に政治の実権を返したのです。

2.大政奉還が行われたのに、なぜ、さらに王政復古の大号令が出されたのですか。

慶喜は政権を返した後も、天皇といっしょに政治に関わろうとしたので、天皇は、徳川慶喜を完全の政治の世界から追い出すために、天皇を中心とした新しい政府をつくろうと考え、王政復古の大号令を発表したのです。

3.戊辰戦争についてまとめてください。

王政復古の大号令によって、徳川幕府は完全に終わりを告げたのです。しかし、このことに納得しなかった幕府側の武士たちは、薩摩藩や長州藩を中心につくられた新政府軍と戦いを始めたのです。これを戊辰戦争といいます。京都で始まったこの戦いは、近代的な兵器と軍隊を持っている新政府軍が圧倒的に強く、幕府軍は江戸まで敗走しました。さらに、江戸城が西郷隆盛と勝海舟の話し合いで、無血開城(むけつかいじょう)した後も、しばらく戦いは続きましたが、最後は完全に新政府軍が旧幕府軍を滅ぼし、戦いは終わりました。

3 ダウンロードはこちらから

こころの窓 第43回「大政奉還と戊辰戦争」

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4 おわりに

不登校の子どもたちにとって一番大切なことは、何が何でも学校に登校させることではなく、家であろうが別室であろうが自立の力をつけてあげることだと考えます。誰かに言われて取り組む学習を重ねるのではなく、自分で考えて自分で学習できる力をつけることが大切です。その上で、学力をつけていくことが「生きる力」につながっていくと思います。

この「こころの窓」は、一人で勉強するために作ったプリントです。閉ざした『こころの窓』を開けて、社会に出て行くための勉強をがんばってほしいと考えてこの題名をつけました。

不登校に悩む子ども達の力になることを祈っております。

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