中学歴史〜明治維新〜(自主学習用教材「こころの窓」第44回)

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目次

1 はじめに

本記事は、東近江市の元中学校校長で現在は小学校講師を務める雁瀬徳彦さんが作成した「こころの窓」の内容を引用・加筆させていただいたものです。「こころの窓」は中学生向けの日本史教材で、不登校の生徒や、学校に登校できても教室に居られず別室で過ごす生徒が一人で勉強できるように作られています。雁瀬さんの取り組みに関しては、こちらの記事もご参照ください。

本記事では、第44回「明治維新」の内容について紹介しています(教材の本文は編集せずに掲載しております)。ほかの単元の記事をご覧になりたい方はこちら

2 「こころの窓」について

教材の一枚目を見ていただくと分かりますが、教材の文章を読むと歴史の流れがよく分かります。現在使用されている学校の教科書は写真も多くとても見やすいように思いますが、初めて歴史を学ぶ子どもたちにとって、とても難しい写真や資料です。また、教科書の文章には事実が羅列されているだけなので、歴史の事象がドラマティックであることや、当時の武将がどんな思いで戦いや政治を行っていたかという感動が伝わってきません。だから、不登校の子どもたちが学校の教科書だけを使って一人で勉強しようと思ってもなかなか続かないのです。

そこで、子どもたちが一人で楽しく歴史の勉強ができるようにプリントを作成しました。また、次のページには復習問題があります。ほかの教材だと、「794年に何がありましたか」という語句を答えさせる問題が主流です。このプリントには語句を答えさせる問題ではなく、「なぜ、都を奈良から京都に移したのですか」という問題が載っており、起こった事実に対して、その原因や結果について子どもたちに考えさせる問いになっています。

解説編

お元気ですか。では、今日も「こころの窓」で、勉強をはじめましょう!

今日のお題は「明治維新(めいじいしん)」です。

大政奉還が行われ、王政復古の大号令が出され、1868年9月8日から、明治という時代がはじまりました。江戸幕府が倒れ、天皇中心に誕生した新しい政府は、まず五箇条のご誓文(ごかじょうのごせいもん・・・下の図)を発表しました。ここには、たとえば「ものごとを決めるときは、会議を開いてみんなの話し合いで決めましょう。」とか、「みんな心を一つにして、国づくりをしていきましょう」などといった内容のものを、天皇が神様に誓う形で発表されました。

また、江戸は東京と改名し、それまで将軍がいた江戸城を皇居(こうきょ)として天皇の住まいとしました。さらに、今まで土地や人民(農民や町人)は幕府が支配していましたが、全国の土地と人をすべて天皇に返させました。これを版籍奉還(はんせきほうかん)といいます。そして、すべての藩を廃して、かわりに県をおきました。これを廃藩置県(はいはんちけん)といいます。第一回目の廃藩置県では、302もの県がありましたが、最終的には、現在の1道1都2府43県となったのです。

この新しい明治政府ですが、話し合いで政治をしていきましょうとはいっていますが、この新しい政府のメンバーのほとんどが、幕府を倒した薩摩藩(鹿児島県)と長州藩(山口県)と土佐藩(高知県)と肥前藩(佐賀県)の出身の人たちでした。たとえば、薩摩藩の西郷隆盛や大久保利通(おおくぼとしみち)、長州藩の木戸孝允(きどたかよし)、土佐藩の板垣退助(いたがきたいすけ)、肥前藩の大隈重信(おおくましげのぶ)などです。この一部のかぎられた藩の人たちで行われる政治を藩閥政治(はんばつせいじ)といい、後には、他の藩出身の人たちから反発が起こり、全国で選挙を行い、選挙で選ばれた人たちによって国会を開いて、そこで政治を行うようになっていくのです。

さらにまた、新政府は今までの古い身分制度を改めました。とは言っても、今までの貴族や大名は華族(かぞく・・身分の高い位)となり、武士は士族(しぞく)となり、農民や町人は平民(へいみん)となりました。また、平民も正式に名字(みょうじ)を名のれるようになりました。今まで農民や町人は、名字がなかったのですよ。だから、人の名前を呼ぶときは、「ごんべえさん」とか「おてつさん」などと、下の名前だけで呼んでいたのです。だから、私たち日本人のみんなが名字(みょうじ)をつけるようになったのは、明治になってからなのですよ。びっくりしましたか。

また、それまで、農民や町人の中でも差別されてきた人たちも、「解放令(かいほうれい)」という法律で、みんな平民になりました。ただ、就職や結婚では、まだまだ差別は残ってしまったのです。

いかがでしたか。いよいよ歴史は、明治時代に突入しましたね。

ではまた、復習問題にチャレンジしてください。

復習問題

1.新しい明治政府は、すぐにどんな政治をはじめましたか。

新しい政府は、まず五箇条のご誓文を発表しました。ここには、たとえば「ものごとを決めるときは、会議を開いてみんなの話し合いで決めましょう。」とか、「みんな心を一つにして、国づくりをしていきましょう」などと行った内容のものを、天皇が神様に誓う形で発表されました。また、江戸は東京と改名し、それまで将軍がいた江戸城を皇居として天皇の住まいとしました。さらに、今まで土地や人民(農民や町人)は幕府が支配していましたが、全国の土地と人をすべて天皇に返させました。これを版籍奉還といいます。そして、すべての藩を廃して、かわりに県をおきました。これを廃藩置県といいます。第一回目の廃藩置県では、302もの県がありましたが、最終的には、現在の1道1都2府43県となりました。

2.藩閥政治について説明してください。

新しい明治政府ですが、話し合いで政治をしていきましょうとはいっていますが、この新しい政府のメンバーのほとんどが、幕府を倒した薩摩藩(鹿児島県)と長州藩(山口県)と土佐藩(高知県)と肥前藩(佐賀県)の出身の人たちでした。この一部のかぎられた藩の人たちで行われる政治を藩閥政治(はんばつせいじ)といい、後には、他の藩出身の人たちから反発が起こり、全国で選挙を行い、選挙で選ばれた人たちによって国会を開いて、そこで政治を行うようになっていくのです。

3.身分制度は、どんなふうに改正されましたか。

新政府は今までの古い身分制度を改めました。今までの貴族や大名は華族となり、武士は士族となり、農民や町人は平民となりました。また、それまで、農民や町人の中でも差別されてきた人たちも、「解放令」という法律で、みんな平民になりました。しかし、就職や結婚では、まだまだ差別は残ってしまったのです。

3 ダウンロードはこちらから

こころの窓 第44回「明治維新」

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4 おわりに

不登校の子どもたちにとって一番大切なことは、何が何でも学校に登校させることではなく、家であろうが別室であろうが自立の力をつけてあげることだと考えます。誰かに言われて取り組む学習を重ねるのではなく、自分で考えて自分で学習できる力をつけることが大切です。その上で、学力をつけていくことが「生きる力」につながっていくと思います。

この「こころの窓」は、一人で勉強するために作ったプリントです。閉ざした『こころの窓』を開けて、社会に出て行くための勉強をがんばってほしいと考えてこの題名をつけました。

不登校に悩む子ども達の力になることを祈っております。

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