中学歴史〜韓国併合と辛亥革命〜(自主学習用教材「こころの窓」第54回)

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目次

1 はじめに

本記事は、東近江市の元中学校校長で現在は小学校講師を務める雁瀬徳彦さんが作成した「こころの窓」の内容を引用・加筆させていただいたものです。「こころの窓」は中学生向けの日本史教材で、不登校の生徒や、学校に登校できても教室に居られず別室で過ごす生徒が一人で勉強できるように作られています。雁瀬さんの取り組みに関しては、こちらの記事もご参照ください。

本記事では、第54回「韓国併合と辛亥革命」の内容について紹介しています(教材の本文は編集せずに掲載しております)。ほかの単元の記事をご覧になりたい方はこちら

2 「こころの窓」について

教材の一枚目を見ていただくと分かりますが、教材の文章を読むと歴史の流れがよく分かります。現在使用されている学校の教科書は写真も多くとても見やすいように思いますが、初めて歴史を学ぶ子どもたちにとって、とても難しい写真や資料です。また、教科書の文章には事実が羅列されているだけなので、歴史の事象がドラマティックであることや、当時の武将がどんな思いで戦いや政治を行っていたかという感動が伝わってきません。だから、不登校の子どもたちが学校の教科書だけを使って一人で勉強しようと思ってもなかなか続かないのです。

そこで、子どもたちが一人で楽しく歴史の勉強ができるようにプリントを作成しました。また、次のページには復習問題があります。ほかの教材だと、「794年に何がありましたか」という語句を答えさせる問題が主流です。このプリントには語句を答えさせる問題ではなく、「なぜ、都を奈良から京都に移したのですか」という問題が載っており、起こった事実に対して、その原因や結果について子どもたちに考えさせる問いになっています。

解説編

お元気でしたか。今日もがんばりましょう。

今日のお題は「韓国併合(かんこくへいごう)と辛亥革命(しんがいかくめい)」です。

日清・日露の戦争に勝った日本は、さらに大陸への侵略をおし進め、植民地を広げようとしました。そんななかで、日本は伊藤博文(いとうひろぶみ)を韓国統監(かんこくとうかん・・・韓国を支配するための代表者)として派遣し、韓国(大韓帝国・・むかしの国名)を支配しようとしました。しかし、このことに対して韓国では反対運動が起こり、安重根(アンジュングン)という青年が、伊藤博文を暗殺するという事件が起こりました。これに怒った日本政府は、1910年に韓国を併合(へいごう)し、韓国を完全に植民地にしてしまいました。これを韓国併合(かんこくへいごう)といいます。

その後、日本は韓国の人々に、日本語を強制し、韓国の文化や歴史を教えることを禁止しました。この日本の植民地政策は、日本が太平洋戦争に敗れた1945年まで、35年間も続いたのです。韓国の人にとって屈辱的(くつじょくてき)なこの歴史は、韓国の人々の人間としての尊厳や誇りを粉々に打ちくだいたのです。このことが現在もなお、日韓関係が良くならない、最大の原因であると思います。さらに日本は、満州に南満州鉄道株式会社を設立し、大陸への侵略をさらに進めていったのです。

次に、日清戦争に敗れ、たくさんの賠償金を日本に払わされた清の政府は、国民の信頼を完全に失いました。そこで、1911年に孫文(そんぶん)を中心に辛亥革命(しんがいかくめい)が起こりました。この孫文は、民族主義(民族の独立)と民権主義(民主主義の実現)と民生主義(国民生活の安定)の三民主義(さんみんしゅぎ)をとなえ、清の政府を倒し、革命を成功させました。そして、孫文は臨時大総統となり、清に変わって新しい中華民国(ちゅうかみんこく)を成立させたのです。しかし、革命を成功させるために、もともと清政府の軍人であった袁世凱(えんせいがい)と手を結び、革命が成功すれば、袁世凱を臨時大総統にすることを約束していたため、中華民国の実権は、孫文に変わって袁世凱が握ってしまいました。かれは、孫文が新しく整えた議会などを無視して独裁政治を行ったために、結局、新しくできた中華民国は混乱が続くことになるのです。

ところで、孫文という人は、もともとお医者さんでしたが、ヨーロッパや日本の植民地となって崩れていく清という政府を一日も早く倒して、ヨーロッパや日本に負けない新しい国をつくらなくてはいけないと思うようになるのです。そのために、江戸幕府を倒して新しい明治という国をつくった日本でもたくさん勉強をしました。その他に、アメリカやヨーロッパでも勉強をしました。そして、何度も失敗を繰り返しながら、この辛亥革命を成功させたのです。今でも彼は「中国革命の父」として中国の人々から尊敬されているのですよ。

では、復習問題へ進んでください。

復習問題

1.日本が韓国併合をするまでの流れをまとめてください。

日清・日露の戦争に勝った日本は、さらに大陸への侵略をおし進め、植民地を広げようとしました。そんななかで、日本は伊藤博文を韓国統監(かんこくとうかん・・・韓国を支配するための代表者)として派遣し、韓国を支配しようとしました。しかし、このことに対して韓国では反対運動が起こり、安重根という青年が、伊藤博文を暗殺するという事件が起こりました。これに怒った日本政府は、1910年に韓国を併合し、完全に植民地にしてしまいました。これを韓国併合といいます。

2..孫文が行った辛亥革命についてまとめてください。

日清戦争に敗れ、たくさんの賠償金を日本に払わされた清の政府は、国民の信頼を完全に失いました。そこで、1911年に孫文を中心に辛亥革命が起こりました。この孫文は、民族主義(民族の独立)と民権主義(民主主義の実現)と民生主義(国民生活の安定)の三民主義をとなえ、新政府を倒し、革命を成功させました。そして、孫文は臨時大総統となり、清に変わって新しい中華民国を成立させたのです。しかし、革命を成功させるために、もともと清政府の軍人であった袁世凱と手を結び、革命が成功すれば、袁世凱を臨時大総統にすることを約束していたため、中華民国の実権は、孫文に変わって袁世凱が握ってしまいました。かれは、孫文が新しく整えた議会などを無視して独裁政治を行ったために、結局、新しくできた中華民国は混乱が続くことになるのです。

3 ダウンロードはこちらから

こころの窓 第54回「韓国併合と辛亥革命」

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4 おわりに

不登校の子どもたちにとって一番大切なことは、何が何でも学校に登校させることではなく、家であろうが別室であろうが自立の力をつけてあげることだと考えます。誰かに言われて取り組む学習を重ねるのではなく、自分で考えて自分で学習できる力をつけることが大切です。その上で、学力をつけていくことが「生きる力」につながっていくと思います。

この「こころの窓」は、一人で勉強するために作ったプリントです。閉ざした『こころの窓』を開けて、社会に出て行くための勉強をがんばってほしいと考えてこの題名をつけました。

不登校に悩む子ども達の力になることを祈っております。

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