今こそ、社会科の先生に求められる「意識」とは(後編)


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1 はじめに

 本記事は2022年5月10日に東京学芸大学にて社会科教育学を教えている渡部竜也先生にインタビューを行った際の記事です。今の日本において「現場の先生方にはどのような意識が求められるのか」について、主権者教育を研究なさっている先生に、社会科の観点からお聞きしました。この記事は二部構成になっていて、第一部では主に授業評価について、二部では主にグループ学習について取り扱っています。こちらは第二部にあたります。

2 グループ学習を進めていくなかで

Q1 議論していくときに、友達同士の目を教室のなかで回収していき、発言しやすくするためにはどのような手立てがありますか。 

 一つは、論破する生徒がいると議論が進みにくくなることが指摘できます。議論力を高めるために必要な部分もあるとは思いますが、論破しようとする生徒がいると、生徒は怖くなってしまいがちです。

理想的なクラスであるためには

 「Aさんはこうこう言っているけれども、私はこの問題についてこうこう考えます」というようにその人の名前を言う、というのがあります。発言するときにあなたの意見を受けとめましたと伝えるパフォーマンスやそぶりなどが大切です。

 感情的に議論すること自体は実はそこまで悪くないですが、個人にぶつけないように、「私はこう思うけど、みんなはどう思う?」という呼びかけをすることが求められます。論破をする生徒は、本当に下位層の生徒に対して論破をしようとはせず、ある程度上位層の生徒を論破しようとします。そして上位層の生徒がもっと上位層の生徒に論破をされたとき、下位層の生徒は参加する気さえなくなってしまうのです。そうではなくて「みんなはどう思う?」という言い方をすることが大切だと思うのです。

 また、レトリカルな技術も重要で、正論を言いすぎないことなどが挙げられます。やはりみんなに問いかけてみることは大事になってくると思います。数人が議論する空間になった場合に、先生がある程度介入して「面白いこと言ってるね。グループで考えてみたら?」と声をかけることで、みんなに話を戻すことは大切です。

Q2 「人の意見を直接攻撃しない」などの「ルール作り」はありますか

 ルール作りに関しては特に中学校で実際に行っている先生もいらっしゃいます。一方で高校では学力にもよりますが、ルールを作らず先生がファシリテイト(調整)していく方法もあります。議論していくなかで「ここはみんなで考えてみよう」と言ってみたり「ここが分からない!」と声を出したりする先生もいます。「ここが分からない!」と言うことで、生徒も分からないと言いやすくしているのです。生徒のなかにも全体に配慮できる子はいますし、実際どのように先生と生徒たちが上手く議論してきているのかということはもっと観察し可視化する必要があるのかなと思います

「格差」の問題

 また、学力格差の問題も関わってきます。それは地域内でも大きいですが教室内でも起こっています。まず、学力が高い人ほど異質な人と議論したがる傾向があります。ある学力よりも下になると、自分と異質な人と議論することに慣れておらず、価値観が似ている人同士で議論したがります。そうすると、できるだけ価値観が近い者同士で「そうだよね」と言い合うことになって、議論がなかなか成立しないという問題があります。

精神的な側面の存在

 生徒は、ある程度知的な自信がないと、まず話してくれません。だから議論をするにしても議論学習だけでは足りなくて、問答を通じて知識を取り入れていくような探求型の授業も生徒の実態に応じてしっかりやっていくべきだと思います。

 そして「同僚の目」も大きいです。一人だけで議論学習をすると浮くようなこともありますが、「みんなで議論をしよう」という雰囲気を作ると浮くことはありません。

 また、「エリート層の教育をやろうとしているのではないか」とか「議論する状況ではないから、まず室町時代の将軍を言えるようになってほしい」というような保護者からの意見もよくあります。そのような発想自体は文部科学省も否定する時代にはなってきていますが、現場では根強く残っています。

先生同士のネットワーク作りも大切

 先生自身が自分を守るためのネットワークを作っていく必要もあります。ネットワーク作りや勉強会作りはとても大切で、それをせずに一人の先生だけで議論授業をしても「どうして先生の授業だけ、議論の授業なんですか」と生徒が思ってしまいます。先生同士のチームマネジメントも大きいです。

Q3 「グループ学習」では、時に一人に負担が偏り、講義型以上に学力格差が広がってしまう可能性があります。このことに関して、どのように思われますか。

 おっしゃる通りそれは大きい問題で、リーダーにあたる生徒や先生がどれだけ他の生徒に話を振れるかという点が重要になってきます。そして、議論型授業そのものを見つめ直す必要もあります。そもそも知識の差がある場合は生徒の発言を拾うのではなく、聞いてあげる雰囲気になってしまいます。その場合は、議論できることを議論するべきでなんでもかんでも議論すればよいのかということも問わなければなりません。

見えてくる、「探求型授業の必要性

 そしてもっと探求型や先生主導、問答形式の授業があってよいと思うのです。実は私が普段学生の教員養成で教えているのは、議論学習ではなく、主に探求型学習です。先生がなぜ、どうして、を発問し、生徒に考えてもらいます。まず世の中の見方や議論の仕方、物の見方、そしてそこから得られる基礎的な知識を学ぶことに重点をおくのがよいと思います。これなら問いもある程度先生が立てられますし、組織化された授業のなかで「考えてみましょう」となるため、格差ができにくいのです。そうして「分かっていないから発言しない」から「分かってきたぞ」という気持ちを持ってもらい、実際に分かってもらうことが大切だと思っています。したがって私は学力層によって授業は変えていくべきだと思っていて、「議論学習をどこまでもやらなければならない」ではなく「ゴールは議論学習である」と考えています。

でも、「全くやらない」は違う!

 しかしながら議論学習を全くしないのもよくないと思っています。いつまでも知識や探求にこだわり「僕は議論できる段階にいないから議論に参加しない」といった言い訳をし続けることになってしまうからです。できることはどんどん議論していくべきだと思っています。部活とか日常生活に関しての話題でもよいので、しっかり「議論の場」を作っていくべきです。

3 教育格差との関わりにもつながってくる

Q4 付属校の指導案を見たときに「他のところでは無理だな」と思うような授業を見かけます。ここには学校ごとの教育格差があると思います。先生の考えとしては格差が悪いのではなく、学校ごとに生徒に見合った形で議論や知識の習得を並行してやっていくべきだということですよね

 その通りで、付属の授業に関しては他の地域・学校では成り立つのだろうかと感じている部分もあります。ただし教員養成の現実として、とりあえず洗練されていない授業だとしてもなんとかなる優秀な生徒を集めて、実践してみるシステム自体は分からなくもないのです。

 ですから私たち自体が付属と連携して研究することに特化すべきではありません。理想の授業をやりましょうとなると「付属で行おう」となるけれど、これだと普及しません

広島大学付属高校出身の渡部先生が付属の授業に対して感じること

 本音で言うと、大学の付属高校のようなところに教員養成の出身者が行く必要があるのかという疑問があります。付属の授業では、例えば歴史の授業だと学説を議論させることもあって、別に生徒が歴史学者になるわけではないのですが「俺、大学のような授業受けているんだ」というようなエリート意識を生徒に喚起する部分があるようなのです。本当に上のほうに行くと、受験対策はあまりしておらず、役に立つ教養を得られるような授業を好む傾向にあります。しかし私は、そのような授業は大学に行ってゆっくりやればよいのではないかと思っています。また、「大学のような授業が好き」ならば先生側も大学のような授業ができればよくて、教員免許はいらなくないかという話も出てきて、博士号でも取った人が片手間にやればよいのではと思ってしまいます。そのような意味で学芸大学を出た人の売りとしては、大学の付属高校のようなところではない圧倒的多数のところで、活躍できることが重要ではないかと思うのです。

Q5 今まで話してきた議論/探求授業についての説明では、主に中学や高校での例を紹介していました。一方で主権者教育は、幼稚園や小学校からでも可能なことがあると思います。初期の段階から具体的に何ができると思いますか。

 初期の段階からできることはさまざまあると思いますが、例えば「ケーキを3等分する」としても、状況が違ったら分け方を変えるべきなのかを議論できる。他にもごみをどのように捨てますか、上手に捨てましょうなどではなくて「地域によって捨て方が違うのはどうしてでしょう」とか「自分の地域がどのようなごみの捨て方の制度を取り入れるべきか」という問いを考えてみることを子どもなりにやらせてみるのもよいと思います。

 また、クラスのルール作りや校則をみんなで考えてみる授業などもっと生活に身近な話題の議論もできます。やれることはたくさんあって、社会科に限定しなければもっとテーマは増えます。意識の問題であって、ゲートキーピングが大切ということです。

見えてくる付属の必要性

 「初期の段階から何ができるか」に関しては、理想的なものかは分かりませんが、学芸大学の付属も含め意識の高い社会の先生がある程度行っています。他の付属の学校を見ていても思うのですが、そのようなところの実践を学ぶことが大切になると思います。付属だからこそできることですし、その姿勢はまねてほしいと思っています。

小学生も主権者

 先生は小学生も主権者だという意識を持つべきです。小学生が主権者ではないとしてしまうと、「小学生みたいな大人は主権者ではない」「勉強できない人は主権者ではない」となってしまいます。小学生を主権者から排除するのはとても危ない考え方なのです。

4 本やテキストへの関わり方

Q6 講義型授業でない場合の「ある程度のテキスト」(授業の過程を示したようなもの)があればとも思うのですがどう思われますか。

 実際に作られているものもあるにはあると思っていて、私は作るならDoing Hisotryのシリーズ(歴史総合パートナーズシリーズ)のような教材を作ったらいいと思っています。このシリーズは社会問題についてのガイドブックのようなもので、厚さも100ページ程度です。

 先生が上記のようなテキストを取り入れ、紹介することが最も重要だと思います。今どのような議論、どのような問題があるのかについてそれぞれの担当する学年に合うものを紹介したり作ってみたりしたらどうかなと思います。

Q7 今現場で働いている先生方に読んで欲しい本はありますか。

 先生のレベル、分野によって変わると思います。公民の場合はその人がどの程度教養を持っているかでも変わりますが、政治哲学や社会哲学、科学哲学などの哲学書を読んでほしいというのはあります。

歴史の先生は?

 歴史学の本しか読まず学説ばかり用いて議論する先生を見かけます。そのような先生にこそ歴史学以外の本を読んでもっとメタ的に見直すことをしてほしいと思います。

色んな分野の本を読んで欲しい

 私より本を読んでいる人もたくさんいらっしゃいますが、色んな分野の本を読むようにしたらよいのになと思っています。特に教材に関心はあっても、子どもに関心がない先生に、もっと子どものことを学んでほしいと強く思います。面白い授業をしたら子どもはついてくるだろう、それができなかったら人間じゃないというような極端な言い方をする人までいるのです。

Q8 最後に、現場の先生方に一言お願いします。

 お忙しいでしょうから時間を作るのは大変だと思います。ただ少しでも我々の業界に関心を持ってもらえたらいいなとは思っています。授業作りの際には「どうしたら生徒への語りを彼らの生活のなかに溶け込ませることができるか」や「どうしたら生徒に文学を読んでもらったり歴史に関心を持ってもらえたりするのか」「どうしたら選挙や政治に関心を持ってもらえるか」を常に問いかけていてほしいとは思います。そのとき社会科教育学が少しは役に立ってくれるはずだと思っています。

5 プロフィール

渡部 竜也様

 東京学芸大学人文社会科学系人文科学講座社会科教育学分野准教授。広島大学大学院教育学研究科博士課程後期修了。博士(教育学)。

 専門は社会科教育学で、米国の教育思想、シティズンシップ教育論を研究している。『主権者教育論』『Doing History:歴史で私たちは何ができるか?』『“国境・国土・領土”教育の論点争点』等、多くの本を執筆している。HP等でも盛んに自身の主張を表明している。(2022年10月28日時点のものです)

6 関連記事

〇本記事の前編

〇過去に渡部先生にインタビューした際の記事

 

7 編集後記(前編・後編)

 さまざまな点で大きな課題が残されている社会科授業実践の現状ですが、他の科目に共通する部分も多く感じられました。授業の「方法・形・内容」いずれであったとしても、真の目的を見失っていないかを見つめ直すと共にその「目的」を生徒に伝えていく必要があると感じています。また、授業の始めに「どのような議論がよい議論なのか」「どのような行動・発言が議論を活性化させるか」を生徒に問いかけながら、生徒と一緒に考えていくということも視野に入れてよいのかなと思いました。

(編集・文責:EDUPEDIA編集部 石川智治、柳川悠月)

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智治石川

社会科教育学、哲学に関心があります。趣味はサッカーと「にしな」さんの音楽を聴くことです。

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