「まいごのかぎ」(光村図書3年国語)の授業の流れと全板書 ~自由っていったい何だい?

 「自由」をテーマに2度目の挑戦

本稿は前年度に引き続いて、3年生の担任をした際の授業の記録です。2度目の挑戦の授業の模様を板書(子供が板書をきれいにワークシートにまとめてくれた図)とともに記していきたいと思います。

前年度の授業は私自身にこの物語の「自由でいいんだ」というメッセージ(多分)を消化しきれない気持ちがあり、その気持ちを抱きつつ授業をしていました。作者の斎藤倫さんに対して、「こんなに自由な話は授業でやりにくいなあ」と、少し怒りを感じながら授業をしていたので、子供たちにも私の心の揺れが伝わっていたかもしれません。子供たちも何だか戸惑っていました。

授業が終わり、EDUPEDIAの記事として書きながら考えてみました。前年度の授業の後の記事がこちら↓↓↓

まいごのかぎ(光村図書3年国語)~うさぎを書いてもいいのかな?

それで、少し気持ちが消化ができたかなと感じています。何でも、アウトプットしてみることが大事ですね。上記↑↑↑リンクのの記事の中に、「教師も迷子なんだ!」という心の叫びを書いているのが読み返してみて可笑しいです。可笑しくてて、恥ずかしいですが、りいこのように消してしまわずに、そのままにしておきます。この記事と併せて読んでいただきたいです。

今回の授業では「自由」という言葉が子供たちから出てくるように誘い水を撒きました。第3場面のベンチが歩き出したところで、勘の鋭い子供が「自由」というワードを出してくれました。それを拾って、自由という言葉を使い、使わせながら、授業を進めました。3年生には「束縛」や「不自由」という言葉は難しいので、「どこが、何が自由でないのか」という文脈で子供たちの考えを引き出していきました。

授業は挿絵を中心にして板書を進めました。ワークシートにも挿絵を印刷して、子供たちに書き込ませます。この形については、下記の記事をご参照ください

 第1場目 意気消沈するりいこ

授業は陣崎草子さんの挿絵を中心にして板書を進めました。ワークシート6枚にカラーで印刷した挿絵を乗りで貼らせました(初めからカラーの挿絵付のワーク使途をカラー印刷したかったのですが、経費削減のため)。絵を中心にしてそれワークシートに子供たちに場面の様子等を書き込ませます。絵を中心にまとめる授業については、下記の記事をご参照ください。

国語のノートを絵を中心にしてまとめさせる

学校の絵の中にうさぎを書いてしまうことがよいか悪いかについて意見を出させましたが、私のクラスでは85%ぐらいが、「悪い」と答えていました。担任(私)への忖度が働いたのかもしれません。そんなにルール違反を叱ってはいない、どちらかというと自由尊重の担任なのですが、まあまあ真面目な子供たちです。同調圧力も働いて多数が「悪い」に手を挙げたので、なびいているかもしれません。

「学校でもうさぎをかっているのだから書いてもいいんじゃないか」と発言する子供もいました。自由な考えで、いいですね。

誰も「先生はうさぎを書いた子がいたらどうするの?」とは聞いてくれませんでした。なので、自分から「まあ、学校を書けと言ったのにうさぎまで書いてしまうのはどうかと思うけど、先生なら消せとは言わないけどなあ」と、言っておきました。

・・・でもねえ、いるんですよ(また愚痴です)。一応教師側は授業の目標(単元目標や本時の目標)を持ち、子供にそれを示しながらやっているのに、それをほぼ無視して、全然違う方向で活動してしまう子供が。そういう子供が10%ぐらいの比率なら何とかなるのですけど、どんどん伝染して数が増えだすと、授業の目的が果たせなくななくなってきます。りいこのうさぎみたいにプラス方向で違う方向に行ってくれるのはいいのだけれど、どんどんマイナス方向(ウケ狙いや妨害)に引っ張っていかれると、教師としてはつらいのです。

夏のさわやかさと意気消沈するりいこの対比がおもしろいですね。この作品の中には比喩表現も多いですので、着目するように促しました。

単に「余計なことをしてしまって恥ずかしい気持ち」があるのではなく、「消さなきゃよかったかな」と思う気持ちもりいこの中にあるという意見も出ました。「うさぎに悪いことをしたなあ」という記述を見つけたのは、クラスの中でも自由を愛するA君です。

その一つ前には、「そのとき(うさぎを消した時)、りいこの中にたしかにいたはずのうさぎまで、どこにもいなくなった気がしたのです。」いう記述もあります。おそらく、りいこは「自由な心」まで失った気分になったのでしょう。(子供がそのことには気づくのはちょっと難しいかもしれません)

第2場目 葉桜は攻撃してきたのか

鍵を拾ったりいこが最初に穴に鍵をつっこむのは、葉桜。葉桜が「寂しい存在」であることは、この場面からは読み取ることができません。寂しいことを示唆する記述は見当たらず、最後の場面になって「どんぐりの実をつけたのは、きっと春がすぎても、みんなと遊びたかったからなんだ。」というりいこの推論の記述があって分かることです。そこで、今回は理科の時間に春の自然観察をした時に、校庭の桜の前で子供たちをわざわざ座らせ「葉桜」という状態を教え、「春にはあんなに花が咲いていたのがもう散ってしまっているよねえ。みんなに葉っぱが出てきているのも、気づかれてないよねえ。桜は一斉に花が咲いて、示し合わせたかのように一斉に散ってしまうんだよ。花の命は短いんだよねえ。」といった話をしておきました。前フリです。一旦ここで子供たちにインプットしておきました。

その上で、何で葉桜はりいこにどんぐりを落とすようなことをしなのかということを子供たちに問いました。すでに何回か音読をさせておいたので、よく話を読めている子供が、「どんぐりの実をつけたのは、きっと春がすぎても、みんなと遊びたかったからなんだ。」という記述を探し出して発表しました。すると、「花が散って寂しかった」「花の命は短い」「葉っぱだけになってしまって寂しい」「花見の時はたくさんの人が来てにぎやかだったのに」「もっと、みんなに遊んでほしい」「僕を見てって言ってるんだよ」などの考えが出てきました。「そうかもね。みんなも、小っちゃい子供も、犬とか猫も、かまってほしい時にいたずらして攻撃することあるよねえ。」と、笑いながら2場面を終えました。

第3場目 ベンチは自由が欲しかった?

りいこは好奇心が旺盛です。この好奇心旺盛という性格を子供たちにどう伝えたらいいのかがわからなかったですが、子供たちは子供たちでなんとなくこの主人公に共感はしているようでした。この単元の目標は主人公や登場人物の気持ちに寄り添うことのようなのですが、ずっとりいこサイドから読み取りを進められるかというと、そうでもないように思います。「葉桜」「ベンチ」「魚」「バス」の気持ちを読み取る必要はあると思います。

ここで、「ベンチはどんな気持ちなのかな。」という発問を投げかけて、少し長い時間をかけて考えさせました。「だれも来なくて暇」「歩きたい」「走りたい」「寒い」「夜は怖い」「人間が重いなあ」「上に立つのやめてほしい」などと様々な意見が出た後、「自由になりたい」という言葉を使う子供が出てきました。「自由って何?」と、聞くとだんだん調子に乗ってきて、「ゲームやり放題の事」とか「宿題やりたくない」とか言い出すので、「何を言ってるんだ、あんたたち子供は自由過ぎるぐらい自由なんだから。大人はたいへんなんだからね。」と、ふっかけてみました。すると、「いやいや、うちのママ、ずっと家でワイドショー見ているよ」「パパは好きなものばっか食べてるし」とかどんどん調子に乗ってきます。「じゃあ、大人と子供はどちらが自由なのか。子供が自由だと思う人!」と、挙手を促すと、子供自由が25%、大人が自由が75%ぐらいになりました。まあ、自由や平和や平等については、この後、長い時間、一生かけて考えてみてほしいです(笑)。私も考え中です。自由って、いったい何だい?

第4場目 放っておけば魚はどうしたか?

りいこは、懲りずに鍵を差し込み、回します。あじの開きが空を飛び始めたので、慌てて鍵を抜き取り、「私、やっぱりよけいなことばかりしてしまう」との自覚を持ち始めます。

子供たちは、そんなりいこよりも、魚の方に共感をしていたようです。「食べられたくない」「焼かれたくない」「干されて暑い」「半分に割かれてつらい」「海に戻りたい」「家族に会いたい」「空を自由に飛びたい」などと、口々に言います。「そーらを自由に、飛びたいなー」と、誰かが歌い始め、数人が乗っかりだします。「あんあんあん、とっても大好き、ドラえーもん」。あなたたち、自由ですね。

「じゃあ、りいこが鍵を抜かなかったら、あじの開きはどうしたと思いますか?あなたがこのあじの開きだとして、考えてください。」と、問いかけると、
①海に帰る(親や友達と会いたい)②元に戻る(お店屋さんに悪い)③いやいや、どこかに飛んで行きたいよ」(自由が一番)
に分かれました。

私は③で自由が一番なのですが、③を選んだのは10%ぐらいの子供でした。ほとんどの子供は①海に帰るでした。子供たちはけっこう真っ当な答えですね。まあ、そんなにフラフラ飛んでいたら鳥につかまってしまうか?

第5場目 結局、バスはどうしたか

この場面は、長く、バスの気持ちを考えさせると同時に、りいこの気持ちも考えさせなくてはなりません。りいこの気持ちも随分揺れているので要チェックです。1時間では足りないですが、この時期は水泳指導もあり、そんなにゆっくりしていられません。大急ぎで進めました。

自由という言葉が生きていて、バスの気持ちも、バスの行動も、バスの「自由になりたいという気持ち」がもとになって読み取れていました。

普段のバスは、「いつも人を乗せてたいへん」「重いよ」「時間を守るのが大変」等の意見が出ました。

そして、バスの「なん十台も集まって」「クラクションを鳴らして合奏して」「ダンスをして」「リズムに合させてくるくるする」等の自由な行動に関する読み取りもどんどん出てきました。

「何十台ものバスが道路で踊っていたらどうなりますか?」と、尋ねたところ「事故が起こる」「バスが遅れる」「渋滞が起こる」「近所に迷惑」などと、子供たちもその様子はまずいと思っていたようです。

あまりにも大きな事態に発展したことで最初は焦っていたりいこも、次第にその様子に見とれて「なんだかとても楽しそう」という気持ちになります。さらに、そこから、それまでの「葉桜」「ベンチ」「あじの開き」の気持ちにも気が付きます。
その辺りのことを話していると、突然、「バスはりいこに自由が楽しいっていう事に気づかせようとしたのではないかな」という意見を言い出す子供がいました。そうですよね、バスはとっても楽しそうです。そして、バスは事故も起こさず、誰にも迷惑をかけてはいません。

第6場目 消えた鍵とうさぎのメッセージ

「バスはどうしてそのまま好きなこと(ダンス・クラクション)をしてるのではなくて、『満足』して、『いつもの路線に帰っていっ』たのか」という発問には、子供たちから「ずっと自由なことをしていては人に迷惑がかかるから」という答えが返ってきました。クラスにはけっこうヤンチャな子供もいて、この単元を学習している期間にも何度かトラブルがあり、叱る機会がありました。そんな際に、「やりたい放題はダメ、人に迷惑をかけるような自由はない。」「腹が立ったからと言って人をたたいていいという自由はない。」という言葉をクラス全体にもかけていました。「自由と不自由」「自由とルール」などという自由に対する考え方が、少しは子供たちの中にインプットされてきているのかなと思いました。

「消えた鍵はどこに行ってしまったんだろうか」という問いにも、「元の場所に戻った」「うさぎが持っている」「うさぎ自身がかぎの化身」「本当に消えた」などが出てきました。

加えて、「うさぎはバスの中から何か言っているかな。うさぎになったつもりで、りいこへのメッセージを書いてください」と、課題を出しました。上↑↑のワークシートを書いている子供のまとめぶりが凄いなと思いました。とても頑張り屋で、真面目過ぎて緊張が強い子供なので、この授業を通して少しは気を楽にして自由になってくれたらいいなと思います。
前年度は私自身がこの物語に対して消化不良でわだかまりがあるままに授業に入ったせいもあるのか、少し子供のノリがよくなかったように感じました。今回は「まあ、この授業は自由にやってみるか」という構えで入ったので、子供がよく発言をして、話も広がりやすかったように思います.

しかし・・・。本当に教室でも子供たちをもう少し自由にさせてあげたいのです。細かいルールや同調圧力から解放してあげたい。けれど、自由にやりだすと怖いぐらい収拾がつかないのが最近の子供です。どんどんその傾向が強くなっているような気がします。この難しさについてはまた別途、近々、記事にしてみたいと思います。

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