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何を「笑ってはいけない」のか?線引きを! ~クラスの「笑いの質」をコントロールする(2)
1 笑いのパターン
例えば音楽の時間に歌のテストをしていて、A君が歌詞を間違えたとします。本人はいたって真面目にやっていたとします。ところが、まじめにやっていることがさらに「おかしみ」を醸し出すような、「ツボ」にはまるおかしさだったとします。
担任としても、確かにそれはちょっと「おかしみ」があると感じたとします。そんなとき、あなたのクラスではどんな笑いが起こりますか?
- どっと笑ってすぐに収まる。
- いつまでもしつこく笑う子どもがいる。
- 子供同士が顔を見合わせて、馬鹿にしたようないやなムードで笑う。
- 笑われたA君はまちがいに気づいてえへへへと笑う。
- 笑われたA君は悲しそうな顔をする。
- 笑ってはいけないので我慢しているという雰囲気が漂う。
- そもそも、あまり面白がらない。
クラスのカラーによって、いろんなパターンの反応が起こると思います。さて、あなたは、クラスの子どもが人の失敗を笑うことを許していますか? 思わず自分もいっしょになって笑ってしまったときはどうしますか?
2 笑いの質
一言で「わらう」と言っても、いろいろな「わらう」があるようです。
笑い、哂い、嗤い、失笑、苦笑、微笑、爆笑、哄笑、嘲笑・・・
「クラスの中でどんなときに、どんな笑いが起こるか。“笑いの質”というのは、そのクラスの固有の状態を表す鏡なんだよ」と教えて下さった先輩教師の言葉が思い出されます。
3 笑顔が一番?
日本の「お笑い」はかなり洗練されていて、外国人には理解されないことがあるようです。逆に私達は“アメリカンジョーク”をはじめ、海外の「お笑い」を「お寒い」と感じることはないでしょうか。洗練されたといえばかっこよく聞こえますが、私達日本人は「牧歌的な笑い」を忘れてしまっているのかもしれません。少し悲しいような気がします。
「笑顔が一番」をキャッチフレーズにしたTV番組や企画がよく目に付きます。「笑顔」を目標にしている学校・クラスもよく見かけます。学年便り・学級便りのタイトルが「スマイル」とか。
「楽しいのが一番」という思考が席巻しており、最近では短いスパンで「笑いの型」が変化していくようになりました。「笑いは生き物である」と言っていた芸人もいました。センシティブに今の「笑い」に乗っかっていかなければ、空気を読めない人として排除されかねないようなムードもあります。
今日的な笑いは、往々にしてシニカルです。コントや漫才には「学校ネタ」がよく取り入れられます。卒業式の呼びかけで子どもが「みんなで力を合わせた運動会・・・運動会!」とやっているシーンをおちょくるような漫才を見て私もつい笑ってしまったことがあります。
私自身は、世代的にもお笑いブームにどっぷりつかっており、お笑いは大好きですが、一方で教師として、これでいいのかと思ってしまう時もあります。学校では、「牧歌的な子ども時代」を守ってあげる必要があるのではないかと思うのです。
4 笑いの質のコントロール
クラスの「笑いの質」を調整するのは、担任の仕事です。子ども達は笑った後に、担任が笑ったことについてどう反応するかを観察しています。高学年になればテレビから入ってくる今日的な「笑いの質」をクラスの中に持ち込もうとする子どもが増えてきます。また、「牧歌的な笑い」を排除しようとする雰囲気があることもあります。それが「いじめ」の発生する土壌になってしまうかもしれません。「行儀よく真面目なこと」を否定するために笑いを持ち込んでいるムードがあるケースも。
下手をすると妙なムードが広がり、クラスの調子が悪くなっていきます。お互いが馬鹿にしあうことに慣れっこになっているようなクラスは、危険だと思います。
シニカルな笑いを全否定するつもりはありません。少しシニカルになることで、子ども達と共感できる部分もあるでしょう。「関西人にとってアホは褒め言葉」と言われることもありますし、最近の「シニカルな笑い」はやや愛情を混ぜ込んだような雰囲気で使われていることもあります。
結局はサジ加減、程度の問題となってきます。子ども達から発せられるシグナルを、担任はアンテナを高くして、キャッチしなければなりません。さっき沸き起こった「笑い」がどんな質のものであったのかを分析する必要があります。そして、判断せねばなりません。差別的・排他的ではなかったか、シニカル過ぎでないか・・・
最初に挙げた「子どもが歌詞を間違えたケース」では、どんな反応をしますか?
- あくまで真面目なムードを保つ。
- ちょっとユーモアがあることは悪くないと思う。
- 毎日爆笑の楽しいクラスなので、失敗なんて笑い飛ばしてしまう。
- ・・・・
様々な反応パターンがあると思います。
場合によっては叱らなければならないときもあるでしょう。
「笑うところではない!」と一喝。
「それを笑ってしまうと、真面目にがんばることができなくなります。」
「おかしくて我慢ができなくて、プッと笑ってしまったところまでは仕方がないと思います。さっきはつい先生もいっしょになって笑ってしまったけど、ごめんね、A君。でも、いつまでも笑っているのは駄目です。A君に悪いと思ってください。」
「ムードが大事なんです。笑った後、A君に「まじめにやっているのに笑ってごめん」と思う気持ちがあれば、まだ許せるんだけど。そのいやな感じの笑い方は何なの?!」
・・・・
怖い顔をして言うのか、ある程度理解を示した様子で言うのか。
笑いの質によって、叱り方も様々だと思います。
そもそも、真面目な教師であれば子ども達にとって何がおかしいのかが分からない人もいるでしょう。それはそれで「先生はKY?」「真面目一辺倒で話が分からぬ!」となってしまって不味い面もあるかもしれません。笑いを通した子ども達との「距離」をどれだけ自覚的にとっていけるかが大切です。
5 何を楽しいと感じるか
私はクラスの子どもに必ず年に一度は折に触れ、「ふざけることは、いいの?悪いの?」と問いかけます。
黒板に大きく
ふざける=△
ふざけすぎ=×
ずっとふざけている=×
と書き、
「みんなが楽しくて、人に迷惑がかからない範囲でふざけるのは、OKです。」
「ずっとふざけているのはいけません。真面目な話もできるクラスになりましょう。」
と、宣言します。
なぜ△なのかというと、あまりふざけていると、真面目な行動や、真面目な発言ができなくなってしまうからです。人を馬鹿にして笑っていると、いじめにもつながります。時々、「みんあが楽しいおふざけ」はいいとしても、いつもふざけているのはやめるようにしましょう。
子ども達が何を楽しいと感じるのか、「笑い」が起こったときにクラスとしての価値観を示し健全さを保持していくのも、教師の大切な役割のひとつです。
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