何を「笑ってはいけない」のか?線引きを! ~クラスの「笑いの質」をコントロールする(2)

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お笑いは放送局のドル箱?

2017年の大晦日に「ダウンタウンのガキの使いやあらへんでSP 絶対に笑ってはいけないアメリカンポリス24時」を見ました。「これは『本当に』笑ってはいけないよなあ」と、首をかしげるシーンがたくさんあったのでネット上で反応を確かめると、案の定、かなり批判の声が上がっているようです。私自身がお笑いを全否定しているわけではないので、この件を含めて笑いに関する持論を書き始めるとたいへん長くなってしまいます。番組を全部見たわけでもないので、この番組の個々のシーンに対する批評をこの記事で展開するのは差し控えようと思います。「笑ってはいけない ベッキー」「笑ってはいけない 黒人」「笑ってはいけない ビンタ」等で検索すれば、何がどう批評されているのか、大まかな状況は分かると思います。

お笑い番組の記憶をたどってみると・・・私のTV視聴の記憶は1970年ぐらいに始まりますが、その頃にはすでに「コント55号(の番組)」「巨泉×前武ゲバゲバ90分!」や「ドリフターズ・8時だヨ!全員集合」等、けっこう過激なお笑い番組がありました。その後も「漫才ブーム」の1980年に始まり、「オレたちひょうきん族」→「とんねるず(の番組)」→「ダウンタウン(の番組)」→「エンタの神様」→「島田紳助(率いるおバカ軍団番組)」→「M1グランプリ」→・・・と、お笑いはテレビ局が視聴率を稼ぐドル箱であり、公共の電波に乗せられて家庭に送り続けられてきました。かなり暴走気味だと思える番組も少なくありませんでした。お堅いはずであったNHKもお笑いブームに乗らないわけにはいかなかったのか、1999年には「爆笑オンエアバトル」が深夜枠で放送開始され、今やお笑い芸人はNHKの番組でも欠かせない存在となっています。また、TV番組でなくともネット上で優良無料のお笑い動画にいくらでもアクセスできる状況もあり、小学1年生でも「お笑い」に接する機会はいくらでもあると言えるでしょう。

笑いに対する批判

お笑いには「タブーを破る可笑しさを笑う」というパターンが少なからずあるため、過激な方向に走りがちです。1970年代は過激な笑いを放映するTV局に対してPTAがクレームを表明し、「不謹慎」「下品」「意地が悪い」「性的表現が不適切」などの批判が新聞で取り上げられていたのを覚えています。ところが、1980年代に入ると、お笑いブームの勢いに飲まれるようにPTAのクレームの声は届かなくなりました。その後、クレームの声が上がらなくなったことに危機を感じてか、2003年にはBPOが立ち上げられ(ウィキペディアによる)、TVが暴走した時には一定の歯止めは利くようになった様子です。しかし、「お笑い」は依然としてTVのメインコンテンツです。「人権的にかなり不味いように思えるのに、世間からのクレームが届いていないのかなぁ・・・」と思ってしまう番組は、けっこうあると思います。

テレビ局の言い分(1)悪影響だけではない?

これだけお笑いタレントがTV番組に出演していれば、子供たちがそれを見る機会は多いだろうし、お笑いは子供たちの人間関係に少なからず・何らかの影響を与えていることでしょう。
「悪影響だけではない。お笑いにはプラスの作用もある!」という意見もあります。

  • ユーモアや風刺は必要。・・・戦時中に「贅沢は敵だ」と喧伝されていたフレーズに「素」を加えて「贅沢は素敵だ」と風刺したそうです。お笑いは強力な権力や建前に対する風刺として機能する場合もある。
  • 痛みの緩和作用がある。・・・笑い飛ばすことによって、辛い状況や重苦しいを吹き飛ばした気分になるという機能もある。
  • いじり・かわいがり。・・・笑いを共有することによって生まれる仲間意識、好意的な上下関係を生み出す機能がある。

等々、言われてみればそうかも知れないと思う所もあります。
※「いじり」に関して、NHKは「いじめをノックアウト」という番組で「“いじり”が暴走するとき」という回を設けています。

NHKいじめをノックアウト「いじりの暴走」

お笑い路線に乗っかる一方で、こうした「いじりの暴走」への疑問を投げかけるNHK。倒錯しているのでは?どうなのでしょう??

テレビ局の言い分(2)と学校の現実

また、「いやなら見なければ(子供に見せなければ)いいだけ」という意見もよく見聞きします。しかし、学校でお笑い番組を見せているわけではなく、子供は情報を家庭で得てきます。学校側が子供たちがお笑い番組を見るのをやめさせることは不可能です。子供や家庭が自主的に、「この笑いは不謹慎だから見ないようにしよう」と判断するのも難しいと思います。それどころか家族で「かなり不謹慎な番組」を見て、爆笑しているケースも少なくないでしょう。
「TVで人を笑いものにしているシーン、暴力を笑っているシーンは、出演者たちが了承の上、台本がある中で行われていることを理解するべき」という作り手側の言い分もよく見聞きします。これは無責任な言い分で、全ての子供にそんなふうな理解をさせることができるわけではありません。
TV局はいじめ事件が起きた時、学校の責任を厳しく問いかける一方で、いじめを誘発しかねないようなお笑い番組を垂れ流しています。授業をする上でも、生徒指導をする上でも、子供たちがお笑い番組の影響を受けていることは、教師(教育現場)にとってやりにくい状況であることは間違いありません。お笑いに寛容すぎる担任のクラスに「真面目な話ができない」「人を小ばかにする」等、妙なムードが流れているケースはよくあります。その一方で、お笑いを全く解せない真面目すぎる教師が担任(授業担当)をした時、子供たちと気持ちが乖離してしまっているケースも見かけます。ちなみに私は、「前年に学級崩壊したクラス」を受け持った年、10月(半年)ぐらいまでは子供たちの前で全く笑みを見せなかったことがあります。笑っていられるような状況ではありませんでした。「人を嘲る」「常時ふざける」という態度が常態化している学級を建て直すには、相当な苦労が必要とされます。

何を「笑ってはいけない」のか、線引きを!

そこで、「何を『笑ってはいけない』」のかを定義づけることが必要になってきます。天下のNHKさえ倒錯しています。線引き(定義)を示さなければ、子供たちも混乱するだろうし、担任もジャッジをする基準が安定しません。私はこのように言っています。

1.【①人の失敗】や【②人が辛いと思っていること】を笑う(あるいはしつこく注意してしまう)のはやめましょう。【③直すことが無理な欠点】、【④すぐに直すことができない欠点】を笑うのはやめましょう。【⑤具体的に言うと、「デブ」「チビ」「ハゲ」「バカ」「ブス」など】です。

2.本人が「笑われてもOK」と言っていたり、本人も笑っていたりしても、心の中では辛い思いをしているかもしれません。相手の気持ちを考えましょう。

3.本人が本当に笑われてもOKであっても、周りでそれを聞いている人が嫌な思いをしているかもしれないです。いろいろな人の気持ちを考えましょう。

4.思わず笑ってしまうこともあると思います。それで本人が傷ついているようなら、「思わず笑ってしまった、ゴメンね」と謝っておきましょう。

5.笑われたことが辛い場合は、「それ辛いわ、笑わないで、言わないで」ときちんと伝えましょう。あまりよくない笑いがおこった時には「それを笑うのは不味いのではないの?」「それちょっとキツくないかな?」と、言葉に出しましょう。

できれば、早いうちにこうした「線引き」を子供たちに示しておくのがいいと思います。学年や状況に応じて、伝え方や伝える量を工夫してください。「5」まで子供に伝えるのが大変であれば「1」をしっかり伝えておけばよいでしょう。できれば(別の機会に)、「1」に⑥一生懸命に頑張っている人を笑ってはいけないを加えてもよいかと思います。また教師間でも笑いに関する線引きの仕方について話し合い、学校の「人権意識のあり方」について考える機会を持っておいてもいいと思います。

その上で、「これは不味いな」と思う笑いが起こってしまった時には、「今笑いが起こったけど、笑ってもいいことだったかなあ?」と問いかけるようにしていけばよいと思います。子供たちがすぐにふざけてしまう状況が不味いと感じるならば、下の記事を読んでみてください。

クラスの「笑いの質」をコントロールする(1) ~おふざけに歯止めを

クラスで起こる笑いをどこまで許容するかは学級経営・授業運営をしていく上で、結構大切なポイントではないかと思います。
笑いといじめは密接な関係があると思いますので、笑いの線引き指導と併せて、いじめの線引き指導もしておくとよいと思います。下記URLの記事もご参照ください。

いじめの定義~何がいじめなのかをクラスで共有する

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