グローバル教育編 ~元日本人学校教師が語る!国際教育~ (中村祐哉先生)

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この記事は、上海日本人学校で教鞭をとられた中村祐哉先生へのインタビューをもとに作成したものです。後編「グローバル教育編」として、日本人学校で行われる外国語活動、国際理解教育について紹介しています。

前編「日本人学校基礎編」では、上海日本人学校でのお話を中心に、日本人学校やそこに通う子どもたちを紹介します。

目次

  1. 日本人学校での外国語教育
  2. 日本人学校での課外授業
  3. 日本人学校での現地交流
  4. インタビューの終わりに
目次

1 日本人学校での外国語教育

 
— 外国語活動は、どのように行われていますか?

上海日本人学校でも,外国語の教育には力を入れています。特に,英語については一年生から英語の授業が開始され,重点化した取組がなされています。

日本人学校では,現地語+英語という授業が入る場合が多いですね。学習指導要領に基づいたカリキュラムが編成されていて,日本にある小学校と同等の卒業資格が与えられるため,標準授業時数時数は必ず確保しなくてはいけません。そこで学校裁量という時間等も活用しながら,その時間を低学年では外国語の授業に当てたりしています。

2 日本人学校での課外授業

例えば,3年生・社会科の「町たんけん」は実際に町に出て地域の地図づくりをおこなったり,現地のスーパーマーケットにも出向きます。他にも,工場見学にも清掃工場に行きますし,バイク・自動車工場にも行きます。

同じように,5年生では「宿泊を伴う学習(野外活動)」6年生では「修学旅行」に行きます。

 
— こういうの、危ないとかいう保護者はいないんですか?

全くのゼロではないと思います。日本人学校としては,現地の下見から先方と何度も打ち合わせをして,安全面に関しては万全を期して臨みます。

日本人商工会の協力も頂きながら,例えば工場見学だったら,明治製菓さんだったり,日系のところに行かせて頂くことも多いですね。実際に日本と同じように見学に行けるということは,子どもたちにとっては,とてもよい経験になります。「修学旅行」も北京に行ったり,私が6年生を担任したときは香港・マカオに行ったりしました。

3 日本人学校での現地交流

現地校交流というのは,基本的に毎年あります。上海日本人学校の場合は,提携している中国の現地校と事前に打ち合わせをして,交流計画を立てていきます。
形態としては,一回目は現地校の児童が日本人学校に来て,二回目は,現地校にこちらが訪問する,またはその逆の形が基本形になります。

交流の証として,毎年お互いの学校に掲示してもらえるものを作り,交換しあっています。上海の小学校は,5年生が卒業学年で,中学校へ進級する形が多いので,こちらの6年生は現地校の中学校1年生と交流になる場合もありましたね。

 
— 現地校との交流のほかに、文化を学ぶ機会はどういうものがありますか?

「チャレンジタイム」といって,PTA主催で中国の文化を学ぶ機会があります。PTA行事として保護者の方々が先方との打ち合わせから日程調整・講師招聘までしてくださいます。

上海日本人学校だけの取組かもしれないけれど,この活動を総合的な学習の時間と関連付けながら授業でも扱っています。

 
— すごいですね、先生方が主催していないのに、総合の時間をわたして…。

本当に積極的に準備をしてくださるPTAの方々ばかりで,とても感謝しています。総合的な学習の時間は,地域との関わりに重きを置いた学習計画を組むことが多いので,その学習に生かせる活動をそこに長く住んでおられるPTAの方々と協力しながら進めさせてもらえることは強みですね。

日本の学校でもそうですが,総合的な学習の時間では,マイタウンティーチャーなどの外部講師を招聘することが多い。日本でも,教師は自分の住んでいる地域と違う地域の学校に勤めることが多い。そうすると,その土地の人に講師に入ってもらうことが多いのだけれど,それに似た形と言えると思いますね。

4 インタビューの終わりに

私は,両親をはじめ一家が教師というとても特殊な環境で育ちました。だから,自分が一番心がけていることは教師が考えていることが社会一般としての常識の全てではないし,教師の中だけの世界に収まった関係作りをしていたら,視野がすごく狭くなったり,偏ったりしてしまうかもしれない。

だから自分は世界中バックパッカーをしたし,異業種の方々との関わりを今もすごく大切にしています。父親もバックパッカーだった。そういう背中を見て育ってきたから,本当の意味で視野を広くもった教師になりたいという気持ちが強くあります。

口でいうのは簡単だから,できるだけ多くの社会的事象を自分の目で見て,肌で感じて,足で稼いだ経験を大切にした教育をこれからもしていきたいですね。日本人学校では,そのような素晴らしい力をもたれた先生方とたくさん出会うことができました。その出会いは今でも私の大きな財産であり,力となっています、 授業ができる・学級経営ができる,それだけで教師としての資質をもっているのか,と問われればそうではないと思います。教師は,自分の経験を元に歩み続けることができる「総合力」が重要だと思います。特に,心身共に幼い1年生からの育ちゆく6年間を支える小学校の教員。そこまで持ち合わせる教員でありたいし,またあるべきだと常に思います。

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6 実践者プロフィール

中村祐哉

 
1984年,広島県生まれ。
教育学士。専攻は中学・高等学校社会科教育,都市社会学。
 
公立小学校教諭。
元上海日本人学校教諭。
広島県国際理解教育研究協議会研究部長。
『学びの場.com ‐教育つれづれ日誌‐』(内田洋行教育総合研究所)教育連載執筆者。
 
大学を卒業後,22歳で公立小学校の教壇に立つ。以後,小学校教諭として勤務。2012年,上海日本人学校へ赴任。上海日本人学校社会科副読本教材『上海』編集委員を歴任。
 
公的な教育研究会講師(社会科教育・国際教育・ICT活用教育・学級経営論)として,自らの実践・研究・考察に基づいた教育実践事例発表や講話を行う。また,『社会科教育』(明治図書出版)をはじめとする教育雑誌,国際教育系機関誌や教育系ウェブサイト等のコラム執筆,単著本の出版からラジオのゲスト出演までその活動は多岐に渡る。
 
近著には,「上海の摩天楼を吹き抜けるビル風はどこに向かい 北京の五星紅旗はどこにたなびくのか」(ブイツーソリューション,2013年)がある。

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