アクティブラーニングにおける対話に基づく「外化」とフレームの発展(アクティブラーニング実践フォーラム2018)

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目次

1 はじめに

本記事は、2018年10月7日(土)に京都大学芝蘭会館稲盛ホールにて開催された「アクティブラーニング実践フォーラム2018」の内容を記事にしたものです。
 ここでは、溝上慎一氏(学校法人桐蔭学園理事長代理)による基調講演「アクティブラーニングと対話的な学びーフレームの発展を目指してー」の内容を編集して記事化しています。京都大学教授を務められていた時のご自身の経験も踏まえた、外化を通したフレームの発展という視点からのお話をご紹介します。アクティブラーニングに必要な「視点」を理論と実践の双方の観点から述べられています。
 こちらのフォーラムで行われた他の基調講演の内容も記事化をしています。こちらの記事もぜひ合わせてご覧ください。
「予測不能な社会で教育改革をどうデザインするか(石川一郎先生講演)」(準備中)

2 日本の大学教育の現状 

 現在の日本の高校や大学では、一方通行的に、受け身で先生の話を聞く場面が多いです。大学では、座って話を聞く「講義」が4年間の中で6割も7割もあって、1,2年生は圧倒的にそういう授業ばかりです。そこで倒れていった学生が3,4年生になっても復活してきません。これが日本の大学が伸びない1つの理由でもあります。海外で、講義だけで1,2年生が終わるなんてことはありません。日本は、戦後、世界の先進国の仲間入りをしていくために、高等教育が発展してきましたが、その教育フレーム自体が既に「旧フレーム」なのです。21世紀になり世界はどんどん次の教育のステージに入っていますが、日本はなかなか変わろうとしません。しかし、今は既にそういうところに入っていくフェーズだと私は思っています。
 私の主張の最も大きなポイントは、仕事社会の中で、自分の言葉で何かを伝えたり、他者との関わり、みんなとの思考の中で自分の頭を作っていくといったことがとても求められているということです。イチかゼロかではありませんが、それが出来ない人が結構います。学校教育と社会の接続、あるいはトランジションといった言葉でつないでいくのが肝なのです。個と協働のバランスを何度も何度も確認していく必要があるのです。

3 アクティブラーニング型授業

アクティブラーニングでの「外化」

 アクティブラーニングで一番のポイントになるのは協働と対話です。絶対に外してはいけないのは「対話的な学び」あるいは「外化」です。「外化」とは、頭の中にある自分の考えや理解を外に出していくことです。
 新しい時代に向けて、外化、その中でも特に「書く・話す・発表する」が必要だと言い続けてきました。「書く」は個の作業としても必須です。しかし「話す・発表する」に関しては、中学・高校の教科科目、あるいは大学の講義科目の中で、たとえば90分授業をするとしたら、60分は普通の講義でいいので、残りの20~30分を、「今聞いたことを隣の人に自分の言葉で言ってみよう」など、簡単なことから、話す・発表するといった時間に当ててみてはどうでしょうか。しかし、たいていの場合ほとんどの生徒は言えません。出させてみて初めて、自分の言葉で言えない、理解が十分でないことが分かってきます。これは一番プリミティブなところで、実際には理解するための練習問題のようなものを、小さいものを1つでも2つでもいいので入れて90分を過ごすと、頭の中でいろいろとつながって、「ああ、これはこういうことだったのか」「ここが分からないな」となるわけです。

海外での実践

 右の写真は海外の授業での協働・対話の場面です。これだけで授業が成り立っているわけではなく、共同・対話の場面は90分のうちせいぜい20分くらいです。こういう授業場面だけではないのですが、同じ授業の中で演習室に行ってまた戻ってくるというわけです。結局講義と演習のコンビネーションなんです。岸和田高校の授業では、講義の場面でICTを使ったり、ディスカッションをしたり、このような取り組みを組み合わせながら50分の授業を行うことで、生徒たちの理解を深めていきます。
 これは海外の大学では普通に見られる光景なんですね。大体100人くらいで授業を週2~3回やるわけですけど、そのうちの1回は例えば20人×5のクラスに分けて、演習をすることが多くあります。このような取り組みは90年代くらいからずっと行われてきました。内化したら外化するというコンビネーションをそこそこ作って4年間育てるわけです。日本は「講義科目」「演習科目」という風に分けてますが、そんな国ほとんどありません。そういう状況で日本は転換を進めていかなくてはいけないと思います。

4 外化

続いてアクティブラーニングの重要な要素である「外化」について、子どもの認知プロセスを用いて説明します。

外化の説明①

 「外化」とは頭の中からいろいろ出して自分で筋を作ることです。外化といっても、記述式で「これは何ですか」といって単語を書くようなものでは人の頭は育ちません。この図の説明をします。先生がある内容、例えば「フレームとは何か」を説明するとします。説明の間にいくつか筋を作っていくプロットというものがあって、それを繋げていって最後「フレームとはこういうものです」というように落ちていく先がある。この間のステップをちゃんと踏んで、最後きれいに落ちて、その論理が成り立っていて、みんなが最後「フレームとはこういうものだったんですね」と言えれば、とてもいい説明ができたことになります。大体の教師は予習をしているし、その分野の専門家であるので、短い時間の中で必要最低限の事象をプロットしていって子どもたちに説明します。説明とは言ってみれば「筋を作ること」あるいは「物語を作る」ということでもあるかもしれません。次に、これを生徒が聞いて先生と同じように最短のコースで説明できるかといったら、できるわけがありません。ロボットじゃないので先生の話を聞いて先生とまったく同じように説明することは不可能です。ここで必要なのが外化です。先生の説明を聞いている時と、自分で出力するときの違いを自覚していきます。

京大での実践 

 こういうのを京大生にやらせます。50枚くらいポストイットを出させ、それを使って片っ端から事象を出させる。授業の中で「自己形成とは何か」とか比較的大きなテーマを与えてそれに関連する思い浮かぶことを片っ端からポストイットに挙げていく。説明するときには、書いた付箋の中から必要なものを抽出し、それを並び替え、間に線を引きながら構造化していって、1枚のコンセプトマップを作る。大体コンセプトマップを作っていく過程で、自分が何を知っていて、それをどうつないで説明するかが出来上がってきます。あとは文章にするだけで、レポート2枚くらいでまとめさせます。
 こういう作業をやってくと学生は2極化します。復習をしてきて15~20分くらいの中で思い浮かぶこと・関連することを全部出します。できるだけ言葉で、文章なら短文で。半分の学生はどんどん思い浮かんできて手が止まりません。認知心理学の言葉ではスキーマと言いますが、1つの概念にたくさんくっついているスキーマを挙げていきます。そのスキーマ同士で、概念とある別の概念がつながったりするので、そこでジャンプして「こういうのもあるな」「こっちの角度から見てみよう」等つながるものが次々出てきます。後は限られた時間と限られた資源で、必要なものを抜き出していって、構造化する。全部使ってもいいのだけど、制限を設けて必要なものを選ばせます。他方で、1/3くらいは全然アイデアを出せません。復習はしているのだろうけど、自分の中でつながって出てくるものがない。教科書とかノートとか見ても構造化する時間がないので最後まで終わらない。
 そういう作業をやっていくと、結局頭の中から出す外化というのが、その人が持ってる理解を見ていくのにすごく有益なことが分かります。基本は、話す・発表するということを含む外化ということの中で、子どもたちの理解をみたり、分かっていないことを分からせます。いくらその人の中で筋が通っていても大間違いの時もありますが、それは出させてから初めて分かるんです。
 したがって、外化がすべて大事といっているわけではなく、外化させてその後に中身をアセスメントしていくことが大事です。現状の位置から、正解の方へ促していきます。こういうことが全ての学校で求められます。出させたらどれくらいのもの持ってるのか分かるので、そこから一歩二歩そのレベルに合わせて促していけばよいです。

外化の説明②

 こういうポストイットのような作業をさせると学生は遠近様々な関連の事象を出さざるを得なくなります。先生が出したもの以外にも、自分の頭の中から関係すると思うものをいろいろ出していきます。それが大事で、頭の中を整理して頭の中にあるものを可視化していく作業になります。それを最後つないで構造化していく。先生のようにまっすぐにはいかず、あっちにいったりこっちにいったりしながら、でも必要な事象を通って、最後先生が期待するとこに行けば、「この学生は分かっているな」となります。
 また、あちこち飛んでいく中で、この説明には関係ないけれども「こういうこともあるな」とか「これおもしろいな」といった「発見」とか「創造」とか「気づき」っていうものが生まれることがあります。それがものすごく大事で、頭の中からいろいろ生み出していくことになります。
 しかし、そっちを通って説明したらおもしろいんだけどちょっと冗長になるからやめようといったこともまた大切になります。高次の認知機能を使ってメタ的に、ある事象を外して説明をする。思っていること全部言えば良いわけではなく、取捨選択をする必要があります。
 こういう風に頭の中では必ずしもつながっていない事象を1回バラバラと出させて、そのバラバラな事象同士を筋をもってつないでいくときに、思考というものがあるんです。思考というのは、事象をつないでいくときの論理とか適切さのことです。「論理的思考」とはこのつなぎ型のことで、つなぐ順番を間違えれば「論理が破綻している」ことになります。また創造的思考の原理、基本的な意味は、新しいことを生み出すことで、「気づき」とか「発見」などと言います。
 また、自分の頭の中だけで気づいたものは黒い部分だけで、点線部分は他者との議論の中で出てくるものです。議論して同じ課題をみんなで出して並べてみると、「こんなものもある」と気づいてきます。私たちの理解の発展は、常に「ずれ」あるいは「差異」によります。差異を作り出すことが学習の究極の機能です。差異をどう作り出すかというと、いい問題いい課題を与えるということもありますが、もっと簡単なのは、同じ問いを解いた横の生徒同士で答案・考えを見せあうことです。そこでお互いのずれを見つけます。子どもたちに、形式的な作業ではなく、心からそのずれに向かい合っていけるような学びの状況・空間を作れたとしたら子どもは伸びます。

5 フレーム

 フレームとは、心理学的には「内的準拠枠」「inner frame of reference」「枠組み」「色眼鏡」と言います。学習に関して言うと、勉強ができることが人を動機づけるのではなく、勉強ができることを自分で認識・イメージすることが動機になります。自分の客観的な点数と動機づけが関係しているのではなくて、その点数を自分がどう見ているのかという部分が動機づけなのです。そのことを「view」またはそれを見る「フレーム」と言い、これを自分のことで言えば「自己観」とか「自己概念」と言います。子どもたち・来談者の枠組みを変えていくということが、その人の日常生活への不適応から適応への行動を作り出していくということがロジャースの心理学のポイントです。「見方」が大事なのです。
 ですから、自分の頭の中で「こうだ」と理解したりイメージしたりすることが人の行動を動かしていくのです。フレームとはこういうもので、結局人は頭の中で思い浮かべたことでしか行動できないし、感じられません。逆に、いろいろと見えるものを挙げていっても気づいてないものはあるのです。

6 教育コーチング

 対話を通して自己と他者の「ずれ」が分かり、それが世界観を広げ、人を動かしていきます。その差異を作っていくのが対話です。でも最後にはその差異を自分の中に回収して、構造・秩序を作っていかなければなりません。
 教育コーチングはそういう性質を持っています。「educere=引き出す」ということで、引き出すには本人がそれを持っていることが大前提ですが、すでに存在しているものを引き出すということだけではeducationの語源は説明できないと思います。creationと一緒で、もともと無かったが他者との対峙を通して生み出されていくことも併せて「引き出す」という風に考えていかなければならないと思います。

教育コーチング=コミュニケーションを通して人が①本来持っている意欲と能力を引き出し、②目標達成と、③その先にある「個」としての自立を支援する教育メソッド。 

 教育コーチングとは、「コミュニケーションを通して人が本来持っている意欲と能力を引き出す」ことです。この「本来持っている」の意味は、本来持ってるものと何かがぶつかって何かが生まれてくるという意味もあると思います。クライエントを「持たないもの・できないもの」として見て、「与える・させる」のではなく、「持っているもの・できるもの」と見て「引き出す」ことが大切です。
 結局、対話によっていろいろなずれとか考えが生まれてきます。しかし出てくるだけでは引き出されたことにはなりません。引き出されてその人の行動や感情につなげて、促していく、動機づけていくためには、ちゃんと頭の中でフレームにならなければなりません。見方が自分の中で秩序だって、「こうだ」とならなければならなくて、そういう秩序作りをするのが対話です。

7 「顕在化→物語」の流れ

 まとめると、①経験や考え、信念の「顕在化」。これは先の例ではポストイットに書き出し、可視化することです。次に②物語形式での表現。ポストイットでは筋を作って並べることです。「narrative form」とも言います。図にすると、無意識・前意識にある感情や理屈とかを顕在化して、意識層に上げていく。意識層に上げるとそれはコントロール可能なものになり、学習のプロットのように筋を作る。そうすると、筋によって感情に従った行動ができるようになり、理性的になります。それが人から与えられた筋では他律で自律的ではありません。「自分がなぜこれをするのか」「自分は何を頑張りたいのか」「それをどこにつなげていきたいのか」、自分の物語をつくることがコーチングの1つの構造だと思います。
 まとめると、筋を作るというのは先生の観点でなく自分の観点=フレームから筋を作ることです。深い学びとは、1つ1つの棒暗記した事象がバラバラに浮かんでいるのではだめで、頭の中にあるものを徹底的に出してつないでいくことです。つなぐときの「適切さ」「論理」が思考の定義の1番基本です。そういったことによって自分の論理を作って、自分の筋を自分の観点で作っていくことを徹底的にやることが、コーチングの目的であり、アクティブラーニングや外化が徹底的に目指してることです。そして、記述問題はこの作業を必要とするので有用なのです。
 意味を取って筋を作っていくときに、「本当はこっちに行って話を膨らましたい」、「こういう風に言いたい」などと思うのが人です。しかし「そこをつながない」という選択ができるのも、外化といった自分で筋を作るという活動があるからです。また、私たちは語ったものでしかアセスメントできませんし、それだけで満足してしまいますが、語られないものをどんどん見ていくことは、物語論ではよく言われる代表的な1つの観点です。場合によっては、語られなかった、その人が気づいていない世界もたくさんあるかもしれません。様々な他者とのぶつかり合い、あるいはずれ・差異をもっともっと作っていく必要があります。

8 OutputとOutcomesのバランス

 私たちは自分の物語あるいは自分のフレームを作って頑張っていくわけですが、世の中で生きていくには自分の物語を作れればそれでいいというものではありません。まず、今までの話はoutputに関してです。自分のフレームで自分の物語を作って、自分の考えをどんどん出していく。合ってるかどうか、面白いかどうか分からないが、頭の中で考えていることは分かる。それがとても大事です。
 しかし、それが正解とは限りません。outputも大事ですが、世の中で教育をおこなう意義には、世の中が期待しているある程度の答えとか、この問題に関しては最低限この理解をして欲しいというものに向かわせるということがあります。これを学習目標とかoutcomesと言います。outputがキャッチャーもおらず一方的に放り投げるのに対し、outcomesはキャッチャーのミットに投げられなければいけないという感じです。そして、outputとoutcomesの両方が大事なんです。今の教育・学校・受験はoutcomesばかりですが、それだけでは育ちません。両者のバランスが大事です。「学びに向かう力」と聞いて、いい言葉だと思うと思いますが、とんでもない学びに向かう人もいます。それを一方では「君良いね」といいながら、他方で「バカヤロー」と思ってしまうのです。outputは評価するけどoutcomesとしてはダメということです。こういう教育の両面性も理解して、output・外化あるいは共通で「引き出されること」を意識、捉えなおしていくことが大事だと思います。

9 プロフィール

溝上 慎一(みぞかみ しんいち)先生
学校法人桐蔭学園理事長代理 / 桐蔭学園トランジションセンター所長・教授
1970年生まれ。大阪府立茨木高校卒業。神戸大学教育学部卒業、1996年京都大学高等教育教授システム開発センター助手、2000年講師、2003年京都大学高等教育研究開発推進センター准教授。2014年教授を経て、2018年9月より現在に至る。京都大学博士(教育学)。専門は、心理学(現代青年期、自己・アイデンティティ形成、自己の分権化)と教育実践研究(学習と成長パラダイム、アクティブラーニング、学校から仕事・社会へのトランジションなど)。今回の話に出てくる用語や概念の詳細を知りたい方はウェブサイト「溝上慎一の教育論」をお読みください。
(2018年10月7日時点)

10 編集後記

 アクティブラーニングの重要な視点を認知プロセスモデルとともに科学的な視点から説明してくださり、外化やフレームなどの重要な概念について深く学ぶことができました。また、理論だけでなく先生ご自身が京大で教えていた時の実際の実践例を通して説明してくださったので、理論と実践が繋がり理解が深まっただけでなく、より現場の実際の授業を想定しやすく、すぐに導入できるのではないでしょうか。子どもたちの持っているものを対話や協同による外化を通して引き出すこと、またアクティブラーニングにおける様々な問題において適切なバランスを取ることが重要だと思いました。
(編集・文責:EDUPEDIA編集部 風間志門)

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