中学歴史〜サンフランシスコ平和条約〜(自主学習用教材「こころの窓」第70回)

1
目次

1 はじめに

本記事は、東近江市の元中学校校長で現在は小学校講師を務める雁瀬徳彦さんが作成した「こころの窓」の内容を引用・加筆させていただいたものです。「こころの窓」は中学生向けの日本史教材で、不登校の生徒や、学校に登校できても教室に居られず別室で過ごす生徒が一人で勉強できるように作られています。雁瀬さんの取り組みに関しては、こちらの記事もご参照ください。

本記事では、第70回「サンフランシスコ平和条約」の内容について紹介しています(教材の本文は編集せずに掲載しております)。ほかの単元の記事をご覧になりたい方はこちら

2 「こころの窓」について

教材の一枚目を見ていただくと分かりますが、教材の文章を読むと歴史の流れがよく分かります。現在使用されている学校の教科書は写真も多くとても見やすいように思いますが、初めて歴史を学ぶ子どもたちにとって、とても難しい写真や資料です。また、教科書の文章には事実が羅列されているだけなので、歴史の事象がドラマティックであることや、当時の武将がどんな思いで戦いや政治を行っていたかという感動が伝わってきません。だから、不登校の子どもたちが学校の教科書だけを使って一人で勉強しようと思ってもなかなか続かないのです。

そこで、子どもたちが一人で楽しく歴史の勉強ができるようにプリントを作成しました。また、次のページには復習問題があります。ほかの教材だと、「794年に何がありましたか」という語句を答えさせる問題が主流です。このプリントには語句を答えさせる問題ではなく、「なぜ、都を奈良から京都に移したのですか」という問題が載っており、起こった事実に対して、その原因や結果について子どもたちに考えさせる問いになっています。

解説編

こんにちは。今日もがんばりましょう。

今日のお題は、「サンフランシスコ平和条約」です。

戦後、6年も過ぎた1951(昭和26)年にようやく、太平洋戦争の講和会議がアメリカで開かれ、サンフランシスコ平和条約が結ばれました。この条約の会議に参加したのが当時の総理大臣であった吉田茂です。戦争に負けた日本を見事立ち直らせた昭和の大首相です。この条約により日本は独立を認められると同時に、今まで日本が奪ってきた朝鮮や台湾や千島列島などの領土を相手の国に返しました。また、日本の沖縄と小笠原諸島(おがさわらしょとう)はアメリカの管理下に置かれました。しかし、今までなら、戦争に敗れると必ず取られていた莫大な賠償金は、かつてドイツがベルサイユ条約で取られた賠償金に苦しみ、再び戦争への道を歩んだことを反省し、日本は取られずにすんだのです。

ただ、この条約は、資本主義のアメリカが中心になって進められ、日本に米軍基地がつくられることもわかっていたので、これに反対した社会主義のソ連は調印しませんでした。さらに、中国は、国民党と中国共産党が内戦中であったために講和会議に招かれもせず、調印はしませんでした。

また、この会議の後、日本はアメリカと単独で日米安全保障条約を結びました。この条約は、日本が外国から攻撃された時は、アメリカが日本を守るという理由から、日本にアメリカの軍事基地が置かれたのです。今まで不思議に思っている人がいたかもしれませんが、こんな理由から沖縄や日本のいろんなところに米軍基地があるのですよ。

サンフランシスコ平和条約は、資本主義の国を中心に結ばれてしまいましたが、こののち、1956(昭和31)年には、ソ連と日ソ共同宣言(にっそきょうどうせんげん)が調印され、ソ連と仲直りをしました。また、中国とは長い間対立していましたが、戦後27年が過ぎた1972(昭和47)年に、日中共同声明(にっちゅうきょうどうせいめい)が調印され、ようやく仲直りをしました。

また、これとは別に、長い間イギリスの植民地として苦しんできたインドのネール首相は、植民地からの独立を訴えると同時に、新しく独立した国々は資本主義や社会主義のなどの同盟に入らないで、非同盟主義国(ひどうめいしゅぎこく)として、平和を守っていく動きが生まれていきました。そして、1955年にインドネシアのバンドンで、アジア・アフリカ会議が開かれ、植民地支配からの独立が訴えられ、アジアやアフリカの植民地の国々が次々と独立していきました。

余談(よだん・・・余計な話し)ですが、この時のインドネシアの首相はスカルノ大統領で、このスカルノ大統領の第3夫人が、テレビなどで有名なデビ夫人なんですヨ。

いかがでしたか。では、復習問題に挑戦してください。

復習問題

1.サンフランシスコ平和条約の内容についてまとめてください。

この条約により日本の独立が認められました。また、この条約で今まで日本が奪ってきた朝鮮や台湾や千島列島などの領土を放棄し、沖縄と小笠原諸島がアメリカの管理下に置かれました。しかし、今までなら、戦争に敗れると必ず取られていた莫大な賠償金は、かつてドイツがベルサイユ条約で取られた賠償金に苦しみ、再び戦争への道を歩んだことを反省し、日本は取られずにすんだのです。

2.なぜ、サンフランシスコ平和条約に、ソ連や中国は調印しなかったのですか。理由をまとめてください。

この条約は、アメリカが中心になって進められ、日本に米軍基地がつくられることもわかっていたので、これに反対したソ連は調印しませんでした。さらに、中国は、国民党と中国共産党が内戦中であったために講和会議に招かれもせず、調印はしませんでした。

3.なぜ日本にアメリカの基地があるのですか。理由をまとめてください。

日本はアメリカと単独で日米安全保障条約を結びました。この条約は、日本がすでに軍隊を解散させられていたので、外国から日本が攻められたときは、アメリカが日本を守るという理由から、    日本にアメリカの軍事基地が置かれたのです。

3 ダウンロードはこちらから

こころの窓 第70回「サンフランシスコ平和条約」

ほかの単元の記事もご覧になりたい方はこちら

4 おわりに

不登校の子どもたちにとって一番大切なことは、何が何でも学校に登校させることではなく、家であろうが別室であろうが自立の力をつけてあげることだと考えます。誰かに言われて取り組む学習を重ねるのではなく、自分で考えて自分で学習できる力をつけることが大切です。その上で、学力をつけていくことが「生きる力」につながっていくと思います。

この「こころの窓」は、一人で勉強するために作ったプリントです。閉ざした『こころの窓』を開けて、社会に出て行くための勉強をがんばってほしいと考えてこの題名をつけました。

不登校に悩む子ども達の力になることを祈っております。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次