中学歴史〜日中戦争と国家総動員法〜(自主学習用教材「こころの窓」第63回)

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目次

1 はじめに

本記事は、東近江市の元中学校校長で現在は小学校講師を務める雁瀬徳彦さんが作成した「こころの窓」の内容を引用・加筆させていただいたものです。「こころの窓」は中学生向けの日本史教材で、不登校の生徒や、学校に登校できても教室に居られず別室で過ごす生徒が一人で勉強できるように作られています。雁瀬さんの取り組みに関しては、こちらの記事もご参照ください。

本記事では、第63回「日中戦争と国家総動員法」の内容について紹介しています(教材の本文は編集せずに掲載しております)。ほかの単元の記事をご覧になりたい方はこちら

2 「こころの窓」について

教材の一枚目を見ていただくと分かりますが、教材の文章を読むと歴史の流れがよく分かります。現在使用されている学校の教科書は写真も多くとても見やすいように思いますが、初めて歴史を学ぶ子どもたちにとって、とても難しい写真や資料です。また、教科書の文章には事実が羅列されているだけなので、歴史の事象がドラマティックであることや、当時の武将・リーダーがどんな思いで戦いや政治を行っていたかという感動が伝わってきません。だから、不登校の子どもたちが学校の教科書だけを使って一人で勉強しようと思ってもなかなか続かないのです。

そこで、子どもたちが一人で楽しく歴史の勉強ができるようにプリントを作成しました。また、次のページには復習問題があります。ほかの教材だと、「794年に何がありましたか」という語句を答えさせる問題が主流です。このプリントには語句を答えさせる問題ではなく、「なぜ、都を奈良から京都に移したのですか」という問題が載っており、起こった事実に対して、その原因や結果について子どもたちに考えさせる問いになっています。

解説編

お元気ですか。一緒にがんばりましょう。

今日のお題は「日中戦争(にっちゅうせんそう)と国家総動員法」です。

日本軍は、満州の支配だけにとどまらず、中国の資源を求めて中国の北部に軍隊を送り込んでいきました。そうしたなかで、1937(昭和12)年7月に、中国の北京(ペキン)の近くの盧溝橋(ろこうきょう)で、日本軍と中国軍が衝突する事件が起き、これをきっかけに日中戦争が始まったのです。当初日本軍はこの戦争を短期間に終わらせて、中国を支配しようと考えていました。

しかし、中国軍や民衆の強い抵抗に合い、戦争は長引いていきました。また、中国国内で対立していた中国国民党の蒋介石(しょうかいせき)と、中国共産党の毛沢東(もうたくとう)が、対立を一時やめて抗日民族統一戦線(こうじつみんぞくとういつせんせん)をつくって、共同して日本軍と戦いはじめたために、いつ終わるとも分からない戦争へと進んでいったのです。さらに、日本軍が南京(ナンキン)を占領したときに、兵士以外の女性や子どもたちまでも、たくさん虐殺するという痛ましい事件(南京大虐殺・なんきんだいぎゃくさつ)まで起こってしまったのです。

また、日中戦争が長引いていたので、日本政府はすべての国民を戦争にかり出し、国のお金もすべて戦争に使えるようにするために、国家総動員法(こっかそうどういんほう)という法律をつくりました。そのために、この法律で、国民を強制的に軍需工場で働かせたのです。

さらに、近衛文麿(このえふみまろ)内閣は、大政翼賛会(たいせいよくさんか)という組織を作り、すべての政党をはじめ、あらゆる団体を解散させ、この大政翼賛会の傘下(さんか)に組み入れてしまったのです。この会は、政府や軍部の指導のもとに、都道府県や市町村はもとより、町内会をも支配下に置いたのです。そして、全国民を強制的に戦争へ突き進ませていくことになったのです。つまり、ドイツのヒトラー率いるナチス党のように、独裁政治がスタートしてしまったのです。

こうなると、新聞や雑誌やラジオなどのマスコミも、戦争を反対する声は上げられなくなり、逆に、戦争をあおるような報道がされるようになり、また、戦争に関する正確な情報も伝えられなくなっていったのです。

ちなみに、日中戦争が始まった時の内閣総理大臣は近衛文麿(このえふみまろ)という人です。彼が総理大臣になって内閣を組織したときに、日独伊三国軍事同盟が結ばれ、国家総動員法が制定され、大政翼賛会が組織されたのです。この大政翼賛会の初代の総裁はもちろんこの近衛文麿さんです。そして、1941年の10月まで、第2次と第3次近衛文麿内閣が組織されていたのですが、10月にアメリカとの戦争回避(かいひ・戦争を避けること)がうまくいかず、内閣を総辞職してしまったのです。そのために次に総理大臣に選ばれたのが、現役の陸軍大臣であった東條英機(とうじょうひでき)という人です。かれもまた、軍人でしたが、アメリカとの戦争を何とか回避するようにがんばったのですが、アメリカとの交渉がうまくいかずに、その年の12月8日に太平洋戦争が始まってしまったのです。

いかがでしたか。では、復習問題をがんばってください。

復習問題と解答

1.日中戦争が起こった原因とその内容についてまとめてください。

日本軍は、満州の支配だけにとどまらず、中国の資源を求めて中国の北部に軍隊を送り込んでいきました。そうしたなかで、1937(昭和12)年7月に、中国の北京(ペキン)の近くの盧溝橋(ろこうきょう)で、日本軍と中国軍が衝突する事件が起き、これをきっかけに日中戦争が始まったのです。当初日本軍はこの戦争を短期間に終わらせて、中国を支配しようと考えていました。しかし、中国軍や民衆の強い抵抗に合い、戦争は長引いていきました。

2.何のために、国家総動員法はつくられたのですか。あなたの考えをまとめてください。

日中戦争が長引いていたので、日本政府はすべての国民を戦争にかり出し、国のお金もすべて戦争に使えるようにするために、国家総動員法という法律をつくりました。また、この法律で、国民を強制的に軍需工場で働かせたのです。

3.なぜ日本のメディア(新聞・雑誌・ラジオなど)は、戦争反対の声を上げなかったと思いますか。あなたの考えをまとめてください。

内閣は、大政翼賛会という組織を作り、すべての政党をはじめ、あらゆる団体を解散させ、この大政翼賛会の傘下に組み入れてしまったのです。この会は、政府や軍部の指導の下に、都道府県や市町村はもとより、町内会も支配下に置いたのです。もじどうり全国民を強制的に戦争へ突き進ませていくことになったのです。こうなると、新聞や雑誌やラジオなどのマスコミも、戦争を反対する声は上げられなくなり、逆に、戦争をあおるような報道がされるようになり、また、戦争に関する正確な情報も伝えられなくなっていったのです。

3 ダウンロードはこちらから

歴史No.63.docx

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4 おわりに

不登校の子どもたちにとって一番大切なことは、何が何でも学校に登校させることではなく、家であろうが別室であろうが自立の力をつけてあげることだと考えます。誰かに言われて取り組む学習を重ねるのではなく、自分で考えて自分で学習できる力をつけることが大切です。その上で、学力をつけていくことが「生きる力」につながっていくと思います。

この「こころの窓」は、一人で勉強するために作ったプリントです。閉ざした『こころの窓』を開けて、社会に出て行くための勉強をがんばってほしいと考えてこの題名をつけました。

不登校に悩む子ども達の力になることを祈っております。

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