中学歴史〜ベルサイユ条約と三・一独立運動、五・四運動〜(自主学習用教材「こころの窓」第58回)

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目次

1 はじめに

本記事は、東近江市の元中学校校長で現在は小学校講師を務める雁瀬徳彦さんが作成した「こころの窓」の内容を引用・加筆させていただいたものです。「こころの窓」は中学生向けの日本史教材で、不登校の生徒や、学校に登校できても教室に居られず別室で過ごす生徒が一人で勉強できるように作られています。雁瀬さんの取り組みに関しては、こちらの記事もご参照ください。

本記事では、第58回「ベルサイユ条約と三・一独立運動、五・四運動」の内容について紹介しています(教材の本文は編集せずに掲載しております)。ほかの単元の記事をご覧になりたい方はこちら

2 「こころの窓」について

教材の一枚目を見ていただくと分かりますが、教材の文章を読むと歴史の流れがよく分かります。現在使用されている学校の教科書は写真も多くとても見やすいように思いますが、初めて歴史を学ぶ子どもたちにとって、とても難しい写真や資料です。また、教科書の文章には事実が羅列されているだけなので、歴史の事象がドラマティックであることや、当時の武将・リーダーがどんな思いで戦いや政治を行っていたかという感動が伝わってきません。だから、不登校の子どもたちが学校の教科書だけを使って一人で勉強しようと思ってもなかなか続かないのです。

そこで、子どもたちが一人で楽しく歴史の勉強ができるようにプリントを作成しました。また、次のページには復習問題があります。ほかの教材だと、「794年に何がありましたか」という語句を答えさせる問題が主流です。このプリントには語句を答えさせる問題ではなく、「なぜ、都を奈良から京都に移したのですか」という問題が載っており、起こった事実に対して、その原因や結果について子どもたちに考えさせる問いになっています。

解説編

こんにちは。今日も一緒にがんばろう。

今日のお題は「ベルサイユ条約と三・一独立運動、五・四運動(ごしうんどう)」です。

第一次世界大戦が終わり、1919(大正8)年にフランスのパリで、敗れたドイツの処分を話し合う講和会議が開かれました。この時、アメリカのウィルソン大統領は、戦争が終わるたびに勝った国が負けた国からたくさんの賠償金や土地を取ると、必ずまた戦争が起こることになるので、今回はドイツから無賠償ということで賠償金を取らないでおこうと提案されました。しかし、戦争で巨額なお金やたくさんの命を奪われたイギリスやフランスは、これを受け入れませんでした。結局、ドイツはすべての植民地を取り上げられ、たくさんの賠償金を払わされることになったのです。この時に結ばれた条約はフランスのベルサイユ宮殿で話し合われ結ばれたので、ベルサイユ条約といいます。

しかし、ウィルソン大統領は、ベルサイユ条約でもう一つの提案をしました。それは、世界が二度と戦争をしないために、国際連合をつくって世界の平和を守っていこうというものです。すると、この提案は認められ、国際連盟が設立されたのです。ただ、当時、他の国に干渉しないという考えが強かったアメリカは、この組織に入りませんでした。また、ドイツやロシアも参加しなかったので、現在の国際連合のような強い力を発揮することはできませんでしたが、世界がはじめて平和を願ってつくられた組織なのです。

さらに、各国はお互いに軍備を縮小するために、ワシントン会議を開いて、海軍が持っている主力艦の保有を制限したのです。つまり、軍備を縮小することで、戦争が起こらないようにしようという考え方が生まれてきたのです。また、ウィルソンは、民族自決(みんぞくじけつ)の考えを提案しました。これは、植民地にされてきた国々がそれぞれ独立していこうという考え方です。この考えにもとづいて東ヨーロッパのポーランドやハンガリーなどの国々が、次々に独立を認められていきました。

しかし、日本の植民地であった朝鮮や、日本の支配を受けていた中国では、これらの提案が認められず、日本の支配から逃れることができなかったのです。そのために、1919(大正8)年に、朝鮮では日本からの独立を願って、三・一独立運動が全国に広がっていきました。

また、中国では日本が突きつけた二十一か条の要求の取り消しを求めて、北京で大抗議集会が開かれました。この運動を五・四運動(ごしうんどう)といいます。このように朝鮮や中国では、日本からの独立を求める声が大きくなっていったのです。

いかがでしたか。
では、復習問題へ進んでください!

復習問題と解答

1.なぜ、ウィルソン大統領は、ベルサイユ条約でドイツの無賠償を提案したのですか。その理由をまとめてください。

第一次世界大戦が終わり、1919(大正8)年にフランスのパリで、敗れたドイツの処分を話し合う講和会議が開かれました。この時アメリカのウィルソン大統領は、戦争が終わるたびに勝った国が負けた国から、たくさんの賠償金や土地を取ると、必ずまた戦争が起こることになるので、今回はドイツから無賠償ということで賠償金を取らないでおこうと提案されました。

2.国際連盟の設立やワシントン会議の目的とその内容についてまとめてください。

世界が二度と戦争をしないために、国際連合をつくって世界の平和を守っていこうというものです。すると、この提案は認められ、国際連盟が設立されたのです。ただ、当時、他の国に干渉しないという考えが強かったアメリカはこの組織に入りませんでした。また、ドイツやロシアも参加しなかったため、現在の国際連合のような強い力を発揮することはできませんでした。
さらに、各国はお互いに軍備を縮小するために、ワシントン会議が開き、海軍が持っている主力艦の保有を制限したのです。つまり、軍備を縮小することで、戦争が起こらないようにという考え方が生まれてきたのです。

3.三・一独立運動と五・四運動についてまとめてください。

日本の植民地であった朝鮮や、日本の支配を受けていた中国では、ウィルソンの提案が認められず、日本の支配から逃れることができなかったのです。そのために、1919(大正8)年に、朝鮮では日本からの独立を願って、三・一独立運動が全国に広がっていきました。また、中国では日本が突きつけた二十一か条の要求の取り消しを求めて、北京で大抗議集会が開かれました。この運動を五・四運動といいます。

3 ダウンロードはこちらから

歴史No.58.docx

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4 おわりに

不登校の子どもたちにとって一番大切なことは、何が何でも学校に登校させることではなく、家であろうが別室であろうが自立の力をつけてあげることだと考えます。誰かに言われて取り組む学習を重ねるのではなく、自分で考えて自分で学習できる力をつけることが大切です。その上で、学力をつけていくことが「生きる力」につながっていくと思います。

この「こころの窓」は、一人で勉強するために作ったプリントです。閉ざした『こころの窓』を開けて、社会に出て行くための勉強をがんばってほしいと考えてこの題名をつけました。

不登校に悩む子ども達の力になることを祈っております。

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