1 はじめに
本記事は、東近江市の元中学校校長で現在は小学校講師を務める雁瀬徳彦さんが作成した「こころの窓」の内容を引用・加筆させていただいたものです。「こころの窓」は中学生向けの日本史教材で、不登校の生徒や、学校に登校できても教室に居られず別室で過ごす生徒が一人で勉強できるように作られています。雁瀬さんの取り組みに関しては、こちらの記事もご参照ください。
本記事では、第72回「戦後の日本の外交と石油危機」の内容について紹介しています(教材の本文は編集せずに掲載しております)。ほかの単元の記事をご覧になりたい方はこちら。
2 「こころの窓」について
教材の一枚目を見ていただくと分かりますが、教材の文章を読むと歴史の流れがよく分かります。現在使用されている学校の教科書は写真も多くとても見やすいように思いますが、初めて歴史を学ぶ子どもたちにとって、とても難しい写真や資料です。また、教科書の文章には事実が羅列されているだけなので、歴史の事象がドラマティックであることや、当時の武将・リーダーがどんな思いで戦いや政治を行っていたかという感動が伝わってきません。だから、不登校の子どもたちが学校の教科書だけを使って一人で勉強しようと思ってもなかなか続かないのです。
そこで、子どもたちが一人で楽しく歴史の勉強ができるようにプリントを作成しました。また、次のページには復習問題があります。ほかの教材だと、「794年に何がありましたか」という語句を答えさせる問題が主流です。このプリントには語句を答えさせる問題ではなく、「なぜ、都を奈良から京都に移したのですか」という問題が載っており、起こった事実に対して、その原因や結果について子どもたちに考えさせる問いになっています。
解説編
今日も元気にがんばりましょう。
今日のお題は「戦後の日本の外交と石油危機」です。
戦後、日本はアジアの国々と、関係改善に取り組んでいきました。以前にも話しましたが、ソ連とは1956年に日ソ共同宣言を発表し仲直りをしました。さらに、1965年には、大韓民国(韓国)と日韓基本条約を結び仲直りをしました。しかし、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)とは、いまだに正式な仲直りができていません。
それから、中国とは1972年に日中共同声明が調印され、仲直りをしました。そして、1978年には日中平和友好条約が結ばれ、関係がさらによくなりました。この時、仲直りの証として、中国からパンダ(カンカンとランラン)が送られ、東京の上野動物園で大人気となりました。現在はたくさんのパンダが日本にいますが、日本にパンダがやってきたのは、この日中平和友好条約で日本と中国が仲直りした証としてやってきたのが始まりなんですよ。

また、一度はアメリカの支配下に置かれた小笠原諸島は、1968(昭和43)年に、日本に返還されました。そして、沖縄は1972(昭和47)年5月15日に日本に返還されました。しかし、当時はまだ冷戦の最中でしたので、ソ連や中国のような社会主義の国が、アジアに広がることを恐れたアメリカは、沖縄にたくさんのアメリカの軍事基地を残しました。朝鮮戦争の時も、この沖縄のアメリカ軍事基地から兵隊や武器が送り込まれたのです。そのために、日本にあるアメリカの軍事基地の約8割が沖縄に集中しているのです。また、アメリカ軍が保持している核兵器を日本に持ち込まないように、非核三原則(核兵器を沖縄の基地で、①持たない②作らない③持ち込まない)が確認されています。しかし、まだまだ心配なことがたくさん残ってしまったのです。
第二次世界大戦は終わりましたが、それ以後世界の各地で地域ごとの戦争が繰り広げられてきました。なかでも、長く続いているのは西アジアではじまった中東戦争(ちゅうとうせんそう)です。ユダヤ教とイスラム教の宗教対立にはじまったこの戦争は、今だに終わることのない戦争です。
また、日本は中東のサウジアラビアからたくさんの石油を輸入していましたが、この戦争が始まった1973(昭和48)年に石油が輸入されにくくなり、石油の価格が急に値上がりし、日本の経済に大きな打撃を与えたのです。これが石油危機(せきゆきき)というものです。この危機に便乗して日本の石油会社が石油を売り惜しみしたり、買い占めたりしたので、さらに石油の価格が跳ね上がってしまったのです。このために日本は急激な物価高となり経済が大混乱しました。
しばらくして日本はこの石油危機からは抜け出したのですが、それまで続いてきた日本の高度経済成長はここで終わってしまいました。余談ですが、この石油危機の時に、石油から作られていた紙がなくなるというデマが流されたために、トイレットペーパーが品不足となり、日本中が大騒ぎになったことがありました。いつの時代でもデマは怖いですね。
いかがでしたか。では、復習問題にチャレンジしてください。
復習問題と解答
1.戦後、日本がソ連や中国や朝鮮などと、どのようにして関係を築いてきたかについてまとめてください。
戦後、日本はアジアの国々と関係改善に取り組んできました。ソ連とは1956年に日ソ共同宣言を発表し仲直りをしました。さらに、1965年には、大韓民国(韓国)と日韓基本条約を結び、仲直りをしました。しかし、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)とはいまだに正式な仲直りができていません。
それから、中国とは1972年に日中共同声明が調印され仲直りをしました。そして、1978年には日中平和友好条約が結ばれ、関係がさらによくなりました。この時、仲直りの証として、中国からパンダ(カンカンとランラン)が送られ、東京の上野動物園で大人気となりました。現在はたくさんのパンダが日本にいますが、日本にパンダがやってきたのは、この日中平和友好条約で日本と中国が仲直りした証としてやってきたのが始まりなんですよ。
2.日本の石油危機についてまとめてください。
ユダヤ教とイスラム教の宗教対立にはじまった中東戦争は、長い間続けられ、いまだに終わることのない戦争です。この戦争がはじまる前から、日本はサウジアラビアからたくさんの石油を輸入していました。しかし、この戦争が始まった1973(昭和48)年に、石油が輸入されにくくなり、石油の価格が急に値上がりし、日本の経済に大きな打撃を与えたのです。これが石油危機というものです。この危機に便乗して日本の石油会社が石油を売り惜しみしたり、買い占めたりしたので、さらに石油の価格が跳ね上がってしまったのです。このために日本が急激な物価高となり、経済が大混乱しました。
3 ダウンロードはこちらから
ほかの単元の記事もご覧になりたい方はこちら。
4 おわりに
不登校の子どもたちにとって一番大切なことは、何が何でも学校に登校させることではなく、家であろうが別室であろうが自立の力をつけてあげることだと考えます。誰かに言われて取り組む学習を重ねるのではなく、自分で考えて自分で学習できる力をつけることが大切です。その上で、学力をつけていくことが「生きる力」につながっていくと思います。
この「こころの窓」は、一人で勉強するために作ったプリントです。閉ざした『こころの窓』を開けて、社会に出て行くための勉強をがんばってほしいと考えてこの題名をつけました。
不登校に悩む子ども達の力になることを祈っております。

コメント