中学歴史〜二十一か条の要求と米騒動〜(自主学習用教材「こころの窓」第57回)

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目次

1 はじめに

本記事は、東近江市の元中学校校長で現在は小学校講師を務める雁瀬徳彦さんが作成した「こころの窓」の内容を引用・加筆させていただいたものです。「こころの窓」は中学生向けの日本史教材で、不登校の生徒や、学校に登校できても教室に居られず別室で過ごす生徒が一人で勉強できるように作られています。雁瀬さんの取り組みに関しては、こちらの記事もご参照ください。

本記事では、第57回「二十一か条の要求と米騒動」の内容について紹介しています(教材の本文は編集せずに掲載しております)。ほかの単元の記事をご覧になりたい方はこちら

2 「こころの窓」について

教材の一枚目を見ていただくと分かりますが、教材の文章を読むと歴史の流れがよく分かります。現在使用されている学校の教科書は写真も多くとても見やすいように思いますが、初めて歴史を学ぶ子どもたちにとって、とても難しい写真や資料です。また、教科書の文章には事実が羅列されているだけなので、歴史の事象がドラマティックであることや、当時の武将・リーダーがどんな思いで戦いや政治を行っていたかという感動が伝わってきません。だから、不登校の子どもたちが学校の教科書だけを使って一人で勉強しようと思ってもなかなか続かないのです。

そこで、子どもたちが一人で楽しく歴史の勉強ができるようにプリントを作成しました。また、次のページには復習問題があります。ほかの教材だと、「794年に何がありましたか」という語句を答えさせる問題が主流です。このプリントには語句を答えさせる問題ではなく、「なぜ、都を奈良から京都に移したのですか」という問題が載っており、起こった事実に対して、その原因や結果について子どもたちに考えさせる問いになっています。

解説編

こんにちは。今日も一緒にがんばろう。

今日のお題は「二十一か条の要求と米騒動(こめそうどう)」です。

日本は第一次世界大戦に日英同盟を理由に、イギリス側についてドイツに宣戦しました。しかし、日本の本当のねらいはヨーロッパではなく、中国へ勢力を広げることでした。そこで日本は、1915(大正4)年に中国に二十一か条の要求つきつけ、ドイツが中国に持っていた権利を日本に譲ることや、鉄鉱石などの採掘する権利を日本に譲ることを要求し、これを認めさせました。

二十一か条の要求(要約)
一、ドイツが中国に持っている権利を日本に譲れ。
二、関東州と南満州鉄道の借りる権利を、99年間延長しなさい。等々。

また、第一次世界大戦は、日本とアメリカに好景気(こうけいき・・国がたくさんお金儲けし、景気が良くなること)をもたらしました。それは、ヨーロッパで戦争が行われている間、ヨーロッパの国々へ戦争に必要なものをたくさん輸出したのです。そのため、大戦中にものすごく好景気になったのです。この時に日本では、三井・三菱・住友・安田などの財閥(ざいばつ)といわれる巨大な会社が、さらに大きくなっていったのです。

しかし、第一次世界大戦中に起こったロシア革命で、ロシアが社会主義の国になったので、日本やアメリカは、この革命が自分の国にも悪い影響が及ぶことを恐れて、ロシアの革命を失敗させるために、ロシアへ兵隊を送り込みました。これをシベリア出兵といいます。この出兵が始まるとたくさんの米が必要になると考えた日本の大商人たちは、一時的に米を買い占め、高くなるのを待ってお金儲けをしようと考えました。そのために、米の値段が急に高くなり、人々の生活が苦しくなったのです。

そこで、1918(明治7)年に、富山県の漁村の主婦たちが、米を安く売るように米屋に要求しました。するとこのニュースが全国に流されたために、全国で米屋が襲われる事件がたくさん起こりました。これを米騒動(こめそうどう)といいます。この騒動を鎮めるために政府は、警察だけでなく軍隊まで出動させましたが、なかなか鎮めることができず、騒動は約50日間にも及んだのでした。この騒動で、当時の寺内内閣が倒れるという騒ぎになりましたが、結局、シベリア出兵そのものも失敗に終わり、日本にとって何もいいことはありませんでした。

どうでしたか。

では、復習問題へ行ってください!

復習問題と解答

1.中国に突きつけた二十一か条の要求の内容について、まとめてください。

日本は大戦中に中国へさらに勢力を広げるため、1915(大正4)年に二十一か条の要求つきつけ、ドイツが中国に持っていた権利を日本に譲ることや、中国の鉄鉱石などの採掘する権利を日本に譲ることを要求し、これを認めさせました。

2.第一次世界大戦は、日本にどんな影響を与えましたか。まとめてください。

第一次世界大戦は、日本とアメリカに好景気をもたらしました。それは、ヨーロッパで戦争が行われている間、ヨーロッパの国々へ戦争に必要なものをたくさん輸出したのです。そのため、大戦中にものすごく好景気になったのです。
また、この時に日本では、三井・三菱・住友・安田などの財閥といわれる巨大な会社がさらに大きくなっていったのです。

3.米騒動が起こった原因とその結果についてまとめてください。

ロシアが社会主義の国になったことで日本やアメリカは、この革命が自分の国にも起こることを恐れて、革命を失敗させるためにロシアに兵隊を送り込みました。これをシベリア出兵といいます。この出兵が始まるとたくさんの米が必要になると考えた大商人たちは、一時的に米を買い占めてお金儲けをしようと考えました。そのために、米の値段が急に高くなり、人々の生活が苦しくなりました。そこで、1918(明治7)年に、富山県の漁村の主婦たちが、米を安く売るように米屋に要求しました。するとこのニュースが全国に流されたために、全国で米屋が襲われる事件がたくさん起こりました。これを米騒動といいます。政府は騒動を鎮めるために軍隊まで出動させましたが、なかなか鎮めることができず、約50日間に及びました。この騒動で、当時の寺内内閣が倒れるという騒ぎになりましたが、結局、シベリア出兵そのものも失敗に終わり、日本にとって何もいいことはありませんでした。

3 教材ダウンロードはこちらから

歴史No.57.docx

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4 おわりに

不登校の子どもたちにとって一番大切なことは、何が何でも学校に登校させることではなく、家であろうが別室であろうが自立の力をつけてあげることだと考えます。誰かに言われて取り組む学習を重ねるのではなく、自分で考えて自分で学習できる力をつけることが大切です。その上で、学力をつけていくことが「生きる力」につながっていくと思います。

この「こころの窓」は、一人で勉強するために作ったプリントです。閉ざした『こころの窓』を開けて、社会に出て行くための勉強をがんばってほしいと考えてこの題名をつけました。

不登校に悩む子ども達の力になることを祈っております。

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