給食室前での、『いただきまあす。』について

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標題のこと、ほとんどの担任が、子どもにさせているのではないだろうか。給食室前で、給食当番に、一斉に声をそろえて、『いただきまあす。』を言わせる。わたしは、若かったころは別として、これを指導(強制)はしなかった。だいたい、調理員さんは、目の前にいない。誰もいない調理室に向かって、一斉に、『いただきまあす。』と叫ぶのはナンセンスだ。そう思った。

若かったころは、そう思いながらも、仕方なしに(?)やっていた。どの担任もあたりまえのようにやっていたから、一人だけそうしないのはやはり無理があった。先輩教員のなかには、「大きい声で声をそろえて、『いただきまあす。』と言えば、調理員さんはなかの休憩室で食事をしていらっしゃるから、聞こえるよ。」と子どもに言っている人もいた。こういう話をするのはまだ良心的と思ったが、それでも、違和感は否めなかった。

形式主義。空虚な指導。そんな思いがした。

目次

1 調理員さんとのふれ合いを通して

ところが、A小学校に異動となったら、そこでは、調理員さんが子どもの前に立っていらした。「重いわよ。気をつけてね。」「今日はみんなの大好きなスープだから、多めに入っているの。こぼさないようにね。」そのように声をかけてもくださった。わたしはわたしで、「調理員さんは休憩時間でしょうに、いつも、ありがとうございます。」などと、子どもに聞こえるように言っていた。

ところで、この、A小学校においては、調理員さんが目の前にいらっしゃるのだから、一斉の『いただきまあす。』を言わせてもいいように思ったが、でも、あえてそういう指導をしないことにした。ある魂胆があった。それは、『言わせなくったって、目の前に調理員さんはいるのだから、言う子はいるだろう。そういう子をさがしてほめてやろう。』ということだった。

教室へ戻っての食事中、そういう子をほめるようにした。

案の定、そういう子は何人もいた。だから、教室で、それを言う子をほめるのは簡単だった。そうしていると、徐々に、『いただきまあす。』を言う子はふえていった。もちろん、声をそろえて言うことはない。でも、そんなことはいいではないか。その代わりに、すてきな調理員さんとの会話が聞こえるようになった。
「飯田(調理員さんの名前、仮名)さん。今日の給食、わたし大好きなんだ。だから、朝から楽しみにしていたの。」
「汁田(同)さん。今日はカレーだよね。中休み、いいにおいがしていたよ。廊下にいても分かったの。」
そういうやりとりの一つ一つに、感心してやった。
「Bちゃんは、中休みにカレーのにおいがしていたときから、汁田さんに言おうと思っていたのだろうね。だから、汁田さん、とってもうれしそうだった。」
などと言って。

調理員さんをお名前で呼んでいることも、ほめたことがある。
「飯田さんも、汁田さんも、みんなのことで、感心していらした。それはね。お二人とも、もう、何十年も調理員さんの仕事をしているけれど、子どもたちから名前で呼ばれたのは、このクラスの子が初めてなんだって。そう聞いたから、わたしもすごくうれしかったよ。」相変わらず、『いただきまあす。』の声はばらばらだ。しかし、ほとんどの子が言うようになった。それに、ただ、『いただきまあす。』だけでは終わらない。必ず何か言葉がついている。短い短い時間だが、会話をしている。おとなしい一方の子にも、調理員さんの方から声をかけてくださるし、それやこれやで、会話するようになった。

なかには、「飯田さん、汁田さん、昨日の給食、とってもおいしかったよ。わたしね。あまり、お代わりしないんだけど、昨日はしちゃったの。ごちそうさまでした。」『いただきます。』と言うべきときなのに、なんと、『ごちそうさま。』が先にでたから、わたしはもう、おかしくなってしまった。

2 初任者指導では、

わたしは、今、初任者指導に携わっているが、初任者に、「声をそろえての、『いただきます。』は、させない方がいい。」などと言ったことはない。

  • わたしだって、若いときは、違和感を抱きながらも、させていたし、
  • どの学校も、もう、当然のように、全員といっていいくらい、これを言うように指導しているし、
  • だから、初任者に、こんなことを言っても、かえって初任者がかわいそうなことになってしまうだろう。

それに、時代は変わった。ほとんどの学校で、調理員さんは、子どもの前に立つようになった。だから、『いただきまあす。』を、壁に向かって言っているような空虚さは感じない。一斉の『いただきまあす。』も、むかしほどの違和感はないのだ。でも、これだけは初任者に話している。

  • 全員一斉の『いただきまあす。』を言っているから、あいさつの指導ができていると思ってはいけない。
  • それもあっていいが、もっと大事なのは、調理員さんと心を通わせることだ。
  • それには、まず、子どもの前で、担任が調理員さんと楽しく会話をすること。
  • そして、楽しく会話している子どもを、食事中や終わりの会などで、具体的に、会話の内容をとり上げながら、ほめたり感心してやったりすること。
  • そうしたことが自然体で行われて、初めて、心のこもった『あいさつ』をするようになる。

3 学校に勤める人はみな教育者

せっかく休憩時間なのに、子どもの前に立ってくださるのだ。それなら、教育効果を高める役も担っていただかなければ、調理員さんに申し訳ない。
「調理員さんが、~とおっしゃっていたよ。よかったね。」
などと子どもたちに言ったり、
「子どもたちが、とてもおいしかったので、嫌いな野菜だったけれど、みんな食べられたと自慢していました。」などと調理員さんに報告したりする。そうしたことも、学級担任の大事な仕事と思う。

それと、あいさつは、同時進行の指導だろう。また、これはなにも、調理員さんだけではない。用務員さんとだって、事務職員さんとだって、管理職とだって、みんな、おんなじだ。

4 おまけ

こうしていると、子どもたちは、自主的、主体的に、内科検診などのとき、校医さんに、『お願いします。』『ありがとうございました。』を言うようになった。これはほとんどの子が言い始めた。わたしはもちろん、絶賛した。また、賞状授与のとき、校長先生に、『ありがとうございました。』と言う子がいた。校長先生も驚かれたようだった。わたしは、苦笑い。心のなかで、『そこまで言う必要はないよ。』と言いたかったが、言わなくていい理由が思い浮かばない。そこで、『ええい。まあ、そのままでいいだろう。』とばかり、ふれないことにした。

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