深みにはまらないようにするために ~学級経営事例

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教員の教育活動を見ていると、教員自ら、子どもとの関係をおかしくしてしまうような、そんな言動をしていることがある。そんなとき、もっと違った言葉のかけ方があるだろう。そう思う。温かみのある言動、杓子定規でない言動がほしい。みすみす教員の側から深みにはまってしまうことのないように、

ここでは、2つの事例をとり上げる。
ただし、どちらも、このような事例に使わせていただくのは申し訳ないくらい、すばらしい実践力をもった教員だった。その初任者時代の姿である。

目次

1 事例 その1

新学期、まだ学校が始まって3日目。2年生担任のA先生が一日出張ということで、2校時だけB先生が、補欠に入ることになった。まだ赴任して数日。教壇に立つのは初めてだったと思う。かなり緊張していたようだった。放課後、B先生は、思いつめた表情でわたしのところへ来た。
「toshi先生。ちょっと、うかがいたいことがあるのですけれど、いいでしょうか。」
「ええ。どうぞ。何かな。」
「実は、今日、A先生のクラスに補欠に行ったのですけれど・・・、」
「うん。そうだったね。ご苦労様でした。・・・。それで何かあったの。」
「はい。・・・。実は、わたしが渡した消しゴムを投げて返してきた子がいたのでしかったのですが、子どもはよけい態度がひどくなってしまって、どうしたらよかったのかなと思いました。」           話を聞くと、こうだった。

子どもたちは、プリントに向かっていた。全員、黙々とプリントに取り組んでいて、その点はよかったのだが・・・、しかし、1人の腕白そうな子どもが、消しゴムを忘れたようだ。何回も隣りの子の消しゴムをひったくるように取っては使っていた。隣りの子はおとなしそうな子で、されるがままになっていた。そこで、B先生は、自分の消しゴムをその子に貸した。そのとき、『あれっ。』というような顔はしたが、『ありがとう。』の言葉はなかったと言う。それで、 「貸してもらったときは、『ありがとう。』と言うのでしょう。」 しかし、無言だったそうだ。そのときは、それ以上特に言わなかった。

さて、問題は返す段になってからだ。
その子は、B先生の催促の言葉で、B先生に向かってその消しゴムを投げたのだと言う。B先生は、その返し方に驚き、「何で投げるの。ちゃんと、『ありがとうございます。』と言って、手で渡して返すのが当たり前でしょう。もう一度やり直しなさい。」そう言って、その子の手に消しゴムを置いた。そうしたら、さっきよりもっと強く投げ返したのだという。
「わたしの対応は間違っていたのでしょうか。」
そう問いかけてきた。
「いや。間違っていたとは思わないが、もっと上手な対応の仕方はあったと思うよ。」
B先生はけげんそうな表情になった。
「でも、そんなことより、まずは、お礼を言いたい。先生は、今日、初めて教壇に立ったのだろう。緊張しただろうね。ご苦労様でした。そして、そんな状況なのに、先生は、『全員、黙々と、プリントに取り組んでいた。』ということがちゃんと印象として残っている。それはすばらしいことだ。『みんな、静かに勉強ができてえらいね。』などと、声をかけてやることができたかな。」
「いえ。それは言いませんでした。」
「そうか。分かった。まあ、いいだろう。でも、言えるともっとよかったね。」
「はい。」
「次にすばらしかったことは、先生が、その子に消しゴムを貸してあげたことだ。これはもう、ほんとうにすばらしい。
ここからは、先生のすばらしさがいくつも感じ取れる。
その子は、驚いたのだと思うよ。そして、うれしく思ったのではないかな。だって、その子は、返事こそしなかったものの、『あれっ。』というような顔をしたのだろう。だから、少なくとも、先生のやさしさは感じ取ったと思う。次に、されるがままになっていた隣りの子も、ホッとしたのではないかな。もうひったくられることはなくなったのだものね。もっと言えば、先生に感謝したかもしれない。さらにもう一つ。これが一番すばらしい先生の気づきと思うのだが、先ほどの、クラス全体が静かだったことを先生が感じ取っていたと同様、その子が、『あれっ。』という顔をしたことまで感じ取っていることだ。だって、『クラス全体が静か』などということは、誰だって感じ取れるだろうが、『あれっ。』という顔をしたというのは、たった一人のことだし、それに、瞬間的なことで、これは、先生の緊張状態を考えた場合、実にすばらしい気づきだ。それだけに、消しゴムを返させるときのやり方は、ちょっと杓子定規だったのではないかな。先生はすばらしいものをもっている。それは確かだ。

しかし、まだ着任したばかりだし、まして、自分のクラスではないのだから、一人ひとりの子どもの家庭環境を含め、気心はまったく分からないはず。さらに言えば、どの子がどのような問題性を抱えているのかは、なおさら分からないわけだ。
そういう状況だったら、わたしなら、違う対応をする。」
「どうされるのですか。」
「そうだなあ。黙ってひったくるようにして取っていたということから、少し問題性を抱えた子ということは分かる。
だから、わたしなら、消しゴムをその子に戻すことなく、『ああ。投げてよこすとは残念だなあ。こうして手渡しで返してくれたら、うれしかったんだけどなあ。』そう言って済ませるだろう。つまり、独り言を言うようにして済ませるわけだ。」
そうしたら、B先生は、ハッとしたような表情をして、そのまま泣きくずれてしまった。
今度は、わたしの方が驚いた。
緊張していたのだろう。緊張の糸が一気に切れてしまうとともに、自責の念に襲われたとみえる。
感受性の豊かな先生だ。そう思った。
しばらくして、泣きやんだB先生は、
「ありがとうございました。わたし、あのとき、かなりムキになっていたと思います。それではいけないのですね。」
「そうだね。それは、先生の話の中で感じたよ。貸したときのいきさつから判断させてもらうと、たぶん、先生には、その子に対し、ストレスが残っていただろう。」
「はい。そうだったと思います。」
「貸したとき、『ありがとう。』と言わなくても、先生は、『ありがとう。』を言わせるためのやり直しはさせなかった。それは、よかったのだ。
だったら、返してもらうときも、そのやり方を貫けばよかったのだね。
それでも、ちゃんと指導はしたことになっているよ。まったく何も言わないで、ほったらかしたわけではないのだからね。」
B先生は泣いてしまったから、このとき、これ以上は言わなかったが、ほんとうなら、消しゴムを貸したときのことも、つけ足して言いたかった。

先ほどは、B先生のこのときの対応をさんざんほめておきながら、ごめんなさいね。本人に確認したわけではないから分からないのだが、B先生は無言のまま貸した可能性がある。「これ、わたしのだけれど、使いなさい。使い終わったら返してね。」

 そのようなことを言って貸せば、子どもも、『ありがとう。』が言いやすい状況になる。また、返し方も違ったかもしれない。どちらにしても、あくまで可能性の問題だけれどね。
でも、B先生は着任したばかり。この日もどっと疲労感がただよったに違いない。この記事からも分かるように、B先生は、すばらしい観察力と感受性をもっていた。だから、指導というよりも、称賛と励ましの言葉を多くして、話し終えた。その後すばらしい成長をみせたことはいうまでもない。

2 事例 その2

音楽の時間である。
最初から学級全体に、なにかけじめのつかない雰囲気がただよい、ふざけている子もいた。そんなとき、みんなで笛の演奏をして、一曲吹き終わった。しかし、意味もなくダラダラと、ピーピー吹き続けている子が数人いる。
それで、担任のC先生は、
「誰。いつまでも吹いている子は。もう、演奏は終わったでしょう。」
それでも、そんな状態が続くことにしびれをきらし、
「いいかげんにしなさい。今度吹いていけないときに吹いたら、笛を取り上げるわよ。」
と言った。 それで大半の子はちゃんとしたが、しばらくすると、やはり一人吹いた子がいた。

言ってしまった手前、取り上げないわけにはいかない。その子は、悪びれることなく、自ら笛を差し出した。ここで、C先生の方がこまる事態となってしまった。もうすぐ、校内音楽発表会が予定されている。練習してもらわないわけにはいかないのだ。

C先生は何とか返そうとして言う。「もう、関係ないときは吹かないって約束しなさい。そうすれば返してあげる。」しかし、その子は、
「いいもん。笛なんかいらないもん。」
「笛がなかったらこまるでしょう。もうすぐ音楽会じゃない。出られなくなっちゃうよ。」
「出られなくったっていいもん。笛なんか嫌いだ。出たくないよ。」
こうなるともう、お手上げである。結局、ねを上げた担任の方から、なんだかんだ理屈を付けて、返さざるをえなくなった。その子の練習への意欲がますます減退してしまったことは言うまでもない。

どうしたらよかったか。ここにも深みにはまらない対応の仕方があっただろう。

やはり、注意されて、関係ないとき吹かなくなった子が大半だったのだから、その子たちをほめればよかった。
「うわあ、気持ちよく演奏できた。最後もしっかり指揮に合わせることができたね。みんなそろって演奏が終わったから見事だったわ。」
あるいは、
「あらあ。残念。一人だけ、吹いちゃった。でも、さっきのようにピーピーやってはいなかったね。」
などという対応をしたい。それでいて、ちゃんと押さえどころは押さえていると言えるのではないか。

—-

子どもへの愛情のない先生はいない。ただし、その愛情は、子どもが感じ取れるものでなければいけない。そして、それが、教員自ら深みにはまってしまうことを、防ぐことにもなる。子どもの内面にある、『善』の心を引き出す対応を心がけたい。少しでも、温かみのある接し方をしたいものである。

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