子どもに寄り添うということは

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 子どもに寄り添うって、どういうことだろう。

 子どもの側にたって考えてみよう。

 「先生といると、なんか、安心できる。」

 「先生は、ぼく、わたしの強い味方。」

 「先生は、ぼく、わたしのことを、よく分かってくれる。」

 どの先生も、子どものためによかれと思って日々学級経営をしている。それは間違いない。

 しかし、どうだろう。

 『どの学級も子どもとの信頼関係で結ばれている。』とは限らない。

 子どもの幸せを願い、日々努力していながら、子どもときずなで結ばれないとすれば、それはどこに原因があるのだろう。

 その一つに、次のようなことがあげられるのではないか。

 指導する側の気持ち、願い、期待が優先し、それに子どもを合わせようとしてしまう。子どもに寄り添うというよりも、子どもを寄り添わせようとしてしまう。そこに、子どもとすき間ができてしまう原因がありそうだ。

 

—-

 初任のA先生は3年生の担任だ。

 日々の努力により、すばらしい学級をつくりつつある。

 しかし、そんな学級経営でも・・・、

 ある日のこと。下校完了時刻を30分過ぎても、A先生は職員室に戻らない。初任者と話す時間がどんどんなくなっていく。しびれをきらしたわたしは、『どうしたのだろう。何かあったのかな。』と不安な思いを抱き、教室に向かった。

 すると、A先生とBさんが、こちらへ向かってきた。教室にいたのは2人だけだったようだ。Bさんは、涙ぐんでいるように見えた。

 それを見て、『ああ。そう言えば、・・・。』と思うことがあった。

 この日、Bさんは、算数の文章題が解けないと言って、泣いたのである。

 でも、それだけのことで、こんな、30分以上も話し込むというのは変だ。『また、それとは別に、何か泣くようなことがあったのかな。』そう思いながら、2人を迎えた。

 わたしは、ことさら快活を装い、Bさんにほほえみかけた。

Bさんを2人で昇降口まで見送り、それから職員室へ戻った。

「すごく時間をかけて話していたようだけれど、何か問題になるようなことでもあったの。」

「あっ。いいえ。今日は、Bさん、朝からなんか変で、よく泣いていた2年生のときに戻ってしまったような気がしたものですから、ちょっと励ましてやろうと思って、話していました。」

「ふうん。どのようなことがあったの。」

「はい。今日は、朝、友達に心ない言葉をかけられて・・・、

 でも、そんなことは、子どもだったらよくあることで、特別ひどい言葉でもなかったのです。

 それで、泣き、次は、算数の授業で問題が解けないと言って泣き・・・、」

「ああ。それはわたしも教室にいたときだったから、知っている。・・・。そうだね。『簡単なことで泣いちゃうんだ。』って、あらためて思ったよ。・・・。でも、2年生のときよりは、こういうこと、ずいぶん減ったって言っていたよね。」

「はい。2年生のときは、もう、毎日のようでしたから。」

「そうだね。そう言っていたね。・・・。ああ。ごめん。まだ、あったのかな。」

「はい。終わりの会でも、友達から、『もっと大きな声で言わないと何言っているのか、分からないよ。』と言われただけで泣いちゃったのです。」

 わたしは、以前、Bさんのことで、A先生から聞いたことを思い出した。

@<color>{#ff00ff,・子どもの世界ならふつうにある、ちょっとしたことで、すぐ涙ぐんでしまうこと。}

@<color>{#ff00ff, ・いったん泣くと、なかなか泣きやむことができないこと。}

@<color>{#ff00ff, ・それでも、2年生のときにくらべれば、ものすごく泣くことが減って、快活に過ごせるようになったこと。}

(ああ。ちょっと説明がいりますね。A先生は初任者だが、昨年度、臨任教諭としてこの学校に勤め、2年生を担任していた。だから、子どもや保護者から見れば、もち上がりの先生ということになる。)

 「そうか。分かった。

 まず、Bさんに対応したことはよかった。3回も泣いたのに、知らぬ顔をして帰してしまうのはよくない。・・・。

 それは、よかったのだが、・・・、でも、こんな、30分以上もかけて話すほど、重大なことかな。その程度のことなら、こんなに時間をかける必要はなかったのではないかな。・・・。」

「・・・。」

 A先生は、一瞬、きつねにつままれたような表情になった。『そのようなことを言われるのは、心外。』といった感じだった。

「だって、帰るとき、まだ、泣いているように見えたよ。・・・。明るく、うれしいといった表情になって帰らせることができたのなら、『ああ。よかったね。』と言えるが、30分以上もかけて、相変わらず泣いたままっていうのは、やはり、どのような声かけをしたのか、気になってしまう。・・・。

 Bさんのようなタイプの子は、『いろいろ問いただそう、事情を聞こう、励ましてやろう。』とすればするほど、かえって泣きやむことができなくなってしまうのではないかな。

 むしろ、逆に、あっさりと、ほめるところはほめてやって、明るい気持ちで家に帰れるようにしてやりたいものだ。」

「それでは、toshi先生だったら、どうなさったのですか。」

 A先生の、ちょっとムッとした感じが見てとれた。(A先生。ごめんなさいね。こんなことまで書いてしまって。)

「そうだな・・・。

 今日は、久しぶりに涙もろくなってしまったのだろう。

 それなら、その、『久しぶり』ということをクローズアップさせて、うんとほめてやればよかった。
 わたしだったら、こう言う。

 『うわあ。Bちゃん。すごいよ。わたしはとってもうれしい。

 今日は、めずらしく泣いちゃったけれど、でも、3年生になってから、今日のようなことは、ほんとうに少なくなったね。わたしは、Bちゃんがむかし泣き虫だったっていうことを、忘れていたよ。そのくらい心が強くなったのだね。だから、すごくうれしかった。

 今日は泣いちゃったけれどな。

 でも、たまには、いいよ。いくら心が強くなったって言ったって、我慢できなくなっちゃうときもあるよな。悲しくなっちゃうことだってある。そういうときは、遠慮しないで泣いていいよ。泣いたからって、『ああ。2年生のときと同じで心が弱くなったなんて、わたしは、絶対そんなふうには思わない。』

 そのように言うかな。」

「ああ。そうですね。・・・。そんなふうに言われたら、Bさんもうれしいでしょうね。」

「そうだよ。明るい気持ち、うれしい気持ちになって、家に帰れるだろう。そうすれば、今ごろは、もう、学校で泣いたことなど忘れて、家で元気にとび回っているかもしれない。」

「ああ。わたしは、逆の対応をしてしまいました。励ましたつもりだったのですが、『もっと強くなろうね。』って言ってしまったのです。・・・。それじゃあ、『Bちゃんは弱いよ。』って言っているのと同じですね。」 

「うん。そうだね。弱いって言われるよりは強いって言われた方がうれしいだろう。

 でも、むずかしいよ。

 あまり、『強くなった。強くなった。』って言うのも、本人の負担になってしまったらかわいそうだ。だから、『泣いたっていいよ。』と言ってやるのも大切なのではないかな。」

「はい。分かりました。それじゃあ、明日の朝の会で、みんなの前で、そう言ってほめてやります。」

「そうか。それはいい。ぜひそうしてやりなよ。・・・。学級のみんなも、『そうだ。ほんとうだ。Bちゃんはものすごく泣く回数が減った。強くなった。』そう思うだろう。

 でも、あっさりやることが大事だよ。こういうことは、時間をかけてはダメだ。おおごとになっちゃうからね。

 それから、『ついでに、』と言っちゃあ何だが、Cさんの成長も喜んであげなさい。

 2年生のときは、すぐいじけてしまったのだろう。いったんいじけると給食も食べなかったって言っていたじゃないか。今、Cさんは、まったくそういうことがなくなったのではないかな。なんか、学級生活が、楽しくって仕方ないっていう感じだ。

 これも、いいチャンスだから、Bさんと同じように喜んでやればいい。

 いろいろ、言いたいことを言ってごめんな。

 でも、Bさんにしろ、Cさんにしろ、3年生になってすごく成長したことは間違いない。これはもう、A先生の学級経営がすばらしいことの証拠だ。

 だから、その点は自信をもってやりなさい。今日の話は、お料理にすれば、ちょっとした味付けの問題と思えばいい。」

 
—-

〇Bさんは、さびしかったのかもしれない。あるいは、泣かなくなった自分に疲れてしまったのかもしれない。

 そんなわけで、たまたまA先生に甘えたくなったのかもしれない。

 そんな自分の気持ちを、A先生に受け止めてもらいたかったのではないか。

 A先生がそうだというわけではないが、

 こういうとき、理屈で攻めてもダメだ。

『なぜ、泣いてしまったの。3年生になってから強くなっていたのに。』
『~のようになれば、強くなれるよ。』

 こういう言い方では、子どもの心に寄り添っているとはいえない。

 情には、情で応えよう。

 子どもが明るく、うきうきした気持ちになるような言葉かけができたらすばらしい。

@<color>{#0000ff,〇車のハンドルに、『あそび』があるように、子どもへの言葉かけにも、『あそび』が必要だ。理づめに話しかけると心の余裕がなくなり、自信喪失にもつながりかねない。}

 『泣かないで、強くなろう。』 と言うのと、

 『いいよ。たまには泣いても。』 と言うのでは、心の余裕度がまったく違ってくるのではないか。

 そして、安心感をもつことができるから、結果的には、それが自信につながる。

〇物事はタイミングも大事だ。

 ほめるにしても、喜ぶにしても、  「なんで、先生は急にそんな話をしだしたのだろう。」 と思わせてしまったのでは、効果は薄い。

 その点、本記事の、Cさんの例は、『3年生になってからの成長』という意味で、Bさんと共通しており、違和感を抱かせることなく、喜び合うことができるのではないか。

〇子どもに寄り添うとは、

・子どもの気持ちが分かってあげられること。

・子どもにとって居心地のよい空間をつくって上げられること。

 それを、『子どもを甘やかすこと』と混同してはならない。

 子どもが自立し、成長しようとする心を支えるものなのである。  
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