「この夏休み、きみの作文が大変身!」宮川俊彦先生

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レポーター:佐藤孝弘

【講師プロフィール】

宮川 俊彦 先生

国語作文教育研究所所長。この研究所は日本の作文・表現教育の奥の院と評されており、実践の場として展開。

http://www.miyagawa.tv/

小中学生を中心に100万人におよぶ作文を分析し指導、学校教育における文章力向上「作文教育」を提唱。更に、イベントなどを通して、30年にわたり計170万人以上の子どもたちに国語の面白さを伝えている。一方で、教育評論家としても活躍。テレビなどのコメンテーターとしても定評がある。また、大手上場企業など500社を超す企業昇進昇格論文や入社試験の作文などを開発、分析。日本で唯一の文章分析のスペシャリストとして多岐にわたり活躍。

作文する中で、子どもが自分なりに世界を捉えて考え、どう生きようかと思っていることに向き合い、子ども自身も自分と向き合い、それに先生が立ち会うことで、また自分自身とも向き合う。

【講座の概要】

作文表現教育の第一人者として、35年間、青少年の作文・表現活動を実践してきた宮川俊彦先生が、昨今の作文指導方法に対しての疑問や意見、ひいては作文指導の目的・本質とは何かについて熱く語られました。

今回の授業は、受講者の多くが教育関係者であったためか、高度な内容で、かつ、教える側へのメッセージ性が強い授業となりました。

【授業内容】

(1) 今日の読書・作文の指導に対する懐疑

今日の教育現場では、「1日1冊」や「1か月30冊」というように、生徒たちに多くの本を効率的に読むように指導がされている。
そのため、一読して理解しやすく内容が軽い文章、いわゆる“ライトノベル”が好まれる傾向にあり、出版社は利益のために“ライトノベル”をたくさん生み出す。
このような、大衆が一読して理解でき消費される本でなければ出版されない状況では、学問・追求の対象となるような後世に残る作品は登場しない。

また、読書感想文も“自由”に書くよう指導しているが、あらすじと感想だけしか書かない生徒がほとんどである。もはや、要領重視のやっつけ仕事になっている。
そのような読書感想文は、はたして書く意義があるのだろうか。

(2) 本来あるべき探究としての読書・感想文とは

読書、読解と分析・解析をすることである。

読解とは、文章を何度も読んで、作者の問題意識や本当に主張したいことを探る作業である。文豪たちは、とても賢く、言葉で表現できない本当に思っていることを文章に潜ませている。そのため、深く作品を読み込むことによって、文化や価値観、作者の考えがわかる。

分析・解析では、作品を色々な観点・側面から読み、自分なりの問題意識を持つことである。読書感想文における“自由”とは、どの観点から読むか、どのような問題意識を持つかという意味であるべき。たとえば、H.G.ウェルズの『透明人間』を読んで人権問題について考えることができる。

その読書を踏まえて、自分なりに設定した問題、それに対する意見を書くのが、読書感想文であるべき。その結果として、作者に対して意見・赤入れするような感想文があってもいい。

(3) 例として童話『泣いた赤おに』(浜田廣介作)を読む

この作品は、一読すると、赤おにと青おにの友情に感動させられる物語だと思われます。
しかし、宮川先生は、内容の細部に注目し、自分なりの問題を提起することで読解・分析を実践してくださいました。

人間は、自分とはまるで姿形のちがう赤おにをこわがって、友達になるのはおろか、話さえ聞いてはくれない

⇒人間社会はものごとのうわべだけにとらわれる表層社会なのか。

赤おに:人間と友達になりたい…青おにだけでは満足できない

青おに:赤おにの一番の親友…赤おにだけで満足している

⇒二人の価値観が違うことに注目する。

青おには赤おにに立て札を残して去り、赤おには悲しむ

⇒なぜ青おにはこのような行動をしたのか。

去る者は往々にして残る者を傷付けていくが、その必要はなく、嘘をついて去ればいいはず。

しかし、人はなぜこのような行動をとってしまうことがあるのか。

(4) 探究としての読書の対象とは

名著といわれるものには古典が多く、難解な言い廻しや現代とは違う時代背景のせいもあってか、読書の対象として敬遠されがちである。
しかし、古典とは、名立たる歴史的賢者たちによって生み出され、時代を超えて読み継がれ、生き残っている作品である。すなわち、古典は、読み継がれるほどの価値があるものであり、民族の言語遺産・アートとして、今日においても苦悩しながら読む価値が十分にある。

 【当日の教室の様子・参加者の反応・感想】

受講者のみなさんは先生の情熱的な授業に聞き入り、終始真剣な雰囲気でした。

参加者の感想:

教育関係の仕事をしているが、先生の考えは、現在行われている指導の当たり前を覆すような刺激的でためになる話でした。これまでは、とにかくたくさんの本を読むように教育してきたが、これからは作者や作品のテーマなどをじっくり考える読解指導をしていきたいです。

【講師インタビュー】

この記事を読む教育者へのメッセージ

宮川先生:1か月に30冊読ませるという教育はやめて、1冊を30回読ませるような指導してほしい。

本さえ読んだら読解力・国語力がつくという考えは幻想であり、あり得ない。そこで、1冊の本を精読・熟読・深読することを習わせなければならない。娯楽本と考えるために読む本とを区分けしなければいけない。娯楽本は娯楽であって否定する必要はないが、娯楽本について思考して感想文を書くことには無理がある。考えるべき本を生徒たちが自分で見つけられるように指導していくべき。まず、教師が古今の名著を読むべき。それができなければ教師失格である。

どのような本を読んでほしいか

宮川先生:社会科学・人文科学・自然科学という分野の壁にとらわれず、古今の名著を読み、その中で自分の問題意識を追求してほしい。パスカル、モンテスキュー、ニーチェ、ハイデガーなどの本を真剣に読んでほしい。好き嫌いで選ぶのではなく、読まなければならない作品がある。受験や社会が必要としていなくとも、人間として考えるべきテーマが存在しているはずなので、考えるべき本・名著を読んでほしい。

【編集後記】

宮川先生は意見を情熱的・論理的に話してくださり、とても痛快な授業でした。
読書に対する先生の考えは、国語・文学や読書感想文という枠を超えた、学問や教育の理想を見据えた達見だと思いました。
先生の提唱する読書によって一人一人が独自に問題意識を持ち思索することで、学力・思考力の養成、ひいては、個人の人格を形成し、社会で有意義な人生を送ることが可能になるのではないでしょうか。

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