阪神大震災から40日後に神戸市立志里池小学校から届いた手紙と、10ヶ月後に送ったドングリ(学校間交流)

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はじめに

もうすぐ9月1日「防災の日」です。1995年(平成7年)1月17日(火)は、兵庫県南部で「阪神・淡路大震災」が起こった日です。死者・行方不明者が6000名を超え、全半壊家屋も約25万棟・・特に神戸市長田区を中心に、木造住宅密集地の火災被害が甚大で、全焼軒数だけでも7000棟を超えたのではないでしょうか。

その頃の学級通信集を読み返すと、当時の記憶がよみがえってきます。

当時の学級通信より

震災の数日後、私はインフルエンザで寝込んでしまい、テレビで、多くのボランティアの人たちの姿を見て、高熱で動けない自分を歯がゆく思ったのを覚えています。私の周囲でも、どんどん被災地へ支援に入っていました。けっきょく、3週間以上たった2月12日(日)に、やっと神戸市社会福祉協議会へ行きました。自転車でゴム手袋を配る役をさせてもらいました。被災者の方々は、給水車からもらった水を使って、食事づくりや皿洗いを、真冬の屋外でなさっておられたからです。ゴム手袋なしでは、避難所の屋外での水仕事は手がこごえます。長田区に入った所あたりで、箱いっぱいのゴム手袋を配り終えてしまいました。

たった一日だけなので、お恥ずかしい限りですが、翌日、クラス(5年)の子どもたちに、自分の目で見た被災地の人々の懸命な姿をありのまま話しました。子どもたちは、「私らも役に立ちたい」「ぼくらも、何かさせて」と言ってくれました。運動場や体育館は避難所になっているから、教室でも身体を動かして遊べる物ということで、図工で作った経験のある「紙ブーメラン」88個と「紙トンボ」80個をクラス全員で作りました。手紙や、遊び方の説明書も書いてくれました。私は、それらを2月26日(日)に、神戸市立志里池小学校へ届けただけです。復興は、まだこれからという状況でした。

しばらくすると、その志里池小学校の子どもたちから、手紙が届きました。被災地はまだまだ大変なので、子どもたちも私も、まさかお礼の手紙がいただけるなんて、全く思ってもいませんでした。ほんと、驚きました。かえって申し訳ない気持ちでした。子どもたちも、

なんか、ぼくらのほうが、励まされているみたいやん

私らが応援してもらって、勇気づけられている感じやな

と、志里池小の各学年代表35名のお手紙を、みんなで読み返しました。

被災地:神戸の小学生からいただいたお手紙

この年は日本における「ボランティア元年」と言われ、1月17日は「防災とボランティアの日」になって18年たちます。当時の学級通信「タカラモノ」に載せさせてもらった志里池小の各学年代表35名のお手紙の中から1人、6年生(女の子)のお手紙を紹介させてください。

私たち兵庫県神戸市長田区の志里池小学校では、すごい被害にあいました。私の家はもう住めない状態だけど、みなさんのお気持ちで立ち直れました。本当にありがとう。私は本棚の下じきになっちゃいました。その本棚には、とても重くて大きい図鑑が50冊ぐらい入ってて、開く所は全部ガラスなのでとても重くて、でも、そんな時、お父さんの声が聞こえました。
「大丈夫か~」
と言いました。
「すぐ行くから、待っとけよ~」
と言ったけど、2回目の地震が来て、15分ぐらい私は本棚の下じきでした。無理して動いたら、よけいに息が苦しくて、あまり動かないほうがいいなと思いました。そして、お父さんが来て、100kgをこえているのに、必死で持ち上げてくれた。お父さんは、16日の夜、スキーから帰ってきたばかりで、もし、帰って来てなかったら、私や、おじいちゃん、おばあちゃんは、助け出せなかったかもしれません。私は、精神的にショックを受けていたかもしれない。でも、みなさんのお気持ちで立ち直れました。本当にありがとうございました。神戸市立志里池小学校6年(お名前)

感謝の気持ちをドングリに託して

クラスの子どもたちも私も、被災地である志里池小の子どもたちから、やさしさと温かさをいっぱいもらいました。「ありがとうと言わなければいけないのは、滋賀県に住む私たちのほうでした。ですから、当時5年生だった子どもたちが6年生になると「滋賀県のドングリを拾って、神戸に贈ろう」と、今度は全校みんなでドングリを集める活動をしてくれました。「ドングリネット神戸ドングリ銀行神戸)」(苗木育成・植樹活動)が発足していたからです。

各自が近所の神社の森などで拾ったドングリを、登校してきた時に特製ボックスに入れて集めるのを、2~3週間ほど続けたでしょうか。震災から10ヶ月後、全校児童で7477個集めて、「ドングリネット神戸」に送りました。

苗木74本が被災地に植えられる・・・・志里池小の子どもたちへの、ささやかなお礼でした。

震災の3年後、志里池小は神楽小と統合され、志里池小の跡地は志里池公園になっているそうです。気丈で健気だった、当時の志里池小のみなさん、どうか、今も、お元気でいてくださることを、心から願ってやみません。

おわりに(新たな始まりのために)

同時に、東日本大震災の被災地のみなさんのこと、気になりつつ、多少の支援物資と募金以外に何もしていない自分自身をふり返ると、複雑な心境でもあります。でも、先日、県内の幼稚園の子どもたちが、収穫したじゃがいも5kgとお手紙を被災地の保育園に送る様子や、被災地の子どもたちを招いて、県内の小学生たちが一緒に楽しく活動をする様子が、それぞれニュースで移っていました。これらを見て、やっぱり大事なのは、

ささやかでいいから、自分にできる気持ちを届けること

ピンポイントでいいから、支え合って、つながること

そして

何もできなくても、被災地の復興が終わるまで、決して忘れないこと

なのかなと思いました。今、何もしていない私が言うのは、はなはだ心苦しいのですが・・・。

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