1 はじめに
こちらの記事は、2015年4月より淑徳大学准教授の松浦俊弥先生の体験を基に先生ご自身が書かれた記事です。
特別支援教育に悩みながらもがんばる先生とその支援を誠実に行う松浦先生の特別支援教育に対する姿勢、そして、子どもたち・関係者がどう変わったかをぜひご一読ください。
2 ヨシダ先生の悩み相談
ヨツバ特別支援学校の職員室から遠くに見える稲田で、いよいよ刈り取りが始まりました。茜色の夕空の下、黄金の波をかき分けながら進む稲刈り機を、何羽もの白鷺が老賢人のように腰を落として後を追っています。むき出しになった泥田から驚いて顔を出す虫や蛙を狙っているのでしょう。「あーあ、災難だったねえ・・・」。カゲウラ先生は思わず、白鷺のエサになってしまった小動物の気持ちに共感し、心の中で手を合わせました。「でも白鷺だって生きていくために必死なんだよね」。そんな思いも込めて。
感傷に浸っていたそのとき、机上の電話がけたたましく鳴り出しました。「はい、コーディネーターのカゲウラです」。椅子に座りなおし、いつものように左手で受話器を握り、右手にメモを引き寄せました。
「すいません・・・、個人的な相談なんですが、いいですか?」。初めて聞く声です。保護者かな?「大丈夫ですよ。どのようなお話でもお伺いします」。「わたし・・・、そちらの隣町にある赤松台小学校のコーディネーターで、ヨシダといいます」。おやおや、先生でした!カゲウラ先生は気を取り直し「ヨシダ先生、お電話ありがとうございます。それでどのようなご相談ですか?」
ヨシダ先生は教員経験10年目になる中堅の女性でした。今年からコーディネーターに指名された、とのこと。でもこれまでヨツバ特別支援学校に何か相談支援を求めてきたことはなかったようです。赤松台小学校には特別支援学級がなく、彼女は5年生の担任をしながらコーディネーターを兼任していました。
「本当にこんな相談でごめんなさい。先生、あくまでも個人的な悩みなんです。誰にも言わないでくださいますか?」「もちろんですよ、先生。ご存知のように公務員には守秘義務があります。先生がお望みであれば秘密は100%守りますよ」。おっと、かなり深刻な悩みかな?カゲウラ先生は時折、職場での人間関係やプライベートな悩みに関する相談を受けることがあります。
「ウチの校長先生が・・・、認めてくれないんです」「何をですか?」「それがーそのー・・・」「先生、大丈夫ですよ。何でもおっしゃってください」「はい、あのー。ヨツバ特別支援学校に相談しちゃあいけない、って」「えっ、どういうことでしょう?」「はい、ウチの学校の子どもの相談を、ほかの学校に話すなって、そういうんです」。なあるほど。そういうことか。カゲウラ先生はヨシダ先生の心情を慮りました。結構、よくある(?)相談です。
「2年生のタカノリ君は多動傾向があって、また衝動性も強くて、授業中立ち歩いてしまったりすぐに友だちを叩いてしまったりするんです。それで担任から相談を受け、まだ自分自身が勉強し始めたばかりなんですが、ひょっとしたら特別な支援が必要なのかな、と思って。保護者と面談したり教材を工夫したりしてみたのですが、授業で具体的にどういう対応をしたらよいのかがわからず、特別支援学校に相談しようと思って校長先生に報告したんです。そうしたら・・・」。
赤松台小学校の校長先生は顔を真っ赤にしてヨシダ先生を怒鳴りつけたそうです。「自分の学校の問題は自分で解決しろ。身内の恥を他校にさらす必要などない。それともあなたが力不足だから人を頼りにするのか?」。そういわれて彼女は返す言葉がなかったようです。「だから・・・、この電話も子どものための相談じゃなくて、私自身の悩み相談なんです。どうしたらいいのかわからなくて」。ヨシダ先生は電話の向こうで大きなため息をつきました。
「ヨシダ先生、お悩みの件、よくわかりました。実はね、そういう相談をくれる方は少なくないんですよ。先生だけじゃありません。悩んでる方は。2,3日、時間をいただけますか?必ずまた電話しますから。そうそう、先生の携帯電話に連絡していい時間帯を教えてください」。ちょっと安心したのでしょう、ヨシダ先生はカゲウラ先生に携帯の番号を教えてくれました。
カゲウラ先生は受話器を置いて少し考えた後、隣町の教育委員会に勤める友人の指導主事、フルヤ先生に電話を入れ、ある打ち合わせをしました。2日後に改めてヨシダ先生に約束どおり電話を入れ、「作戦」を指示しました。そして1ヵ月後・・・。
3 カゲウラ先生の「秘密作戦」!−管理職の理解を求めて−
10月のある日、赤松台小学校にフルヤ先生を含む2名の指導主事が訪問しました。この町の教育委員会では定例の「学校訪問」を実施していて、すべての学校に月に1度、指導主事が訪問し学校運営について管理職に指導助言をすることになっています。しかし、この日はさらにもう一人、訪問に参加した先生がいました。迎えに出た校長、教頭先生がいぶかしげに彼を見たとき、笑顔の自己紹介がありました。「ヨツバ特別支援学校のコーディネーター、カゲウラといいます」。
フルヤ先生が同行のいきさつを説明しました。学校訪問では最近、管理職の先生方から特別支援教育に関する相談を受けることが増えている。そこでより専門的な視点から対応できるよう、教育委員会から特にお願いしてカゲウラ先生に同行してもらった、と。校長先生はしぶしぶ、といった感じでカゲウラ先生も招きいれ、校内を案内し始めました。ちょうど5時間目の授業が始まったところでした。
2年生の教室に入ったところ、タカノリ君らしい男の子が、算数の計算問題に一生懸命取り組んでいるクラスメートの周りを走り回っている様子が目に入りました。校長先生は「お恥ずかしい限りで・・・」とすぐにその場を去ろうとしたのですが、カゲウラ先生は「少しだけお時間をいただけますか?」と告げ、カバンの中からなにやら取り出し、担任の先生に耳打ちしながら渡しました。
担任のまだ若い男の先生は、タカノリ君の座席を教室の前の方に移動させ、机の上にはカゲウラ先生から預かった「まんてんキャラシール表」を置きました。友だちと同じ計算式を1問解いたら先生からいろいろな形のシールをもらい、それを20枚貼るとある人気キャラクターが出来上がる、というカゲウラ先生自作の教材です。
タカノリ君は途端にこのシステムにはまり、わき目もふらず問題に取り組み始めました。そして1問解けると先生に自ら声をかけ、シールをもらってはまた次の問題にチャレンジしました。カゲウラ先生が担任に耳打ちをしてからわずか5分での出来事です。そして、タカノリ君の秘密の教材を見た周囲の友だちからは「ボクも!」「私も!」という声が飛び始め、カゲウラ先生は大げさに「ではでは!」とカバンの中から何十枚ものシール表をとりだしました。シールで作られるキャラクターの種類も豊富で、子どもたちはお気に入りのシール表を奪い合うようにしてもらい、ものすごい勢いで問題を解き始めたのです。
カゲウラ先生は、驚いて目を見開いたままの校長先生に「すいません・・・、いつもこんなものを持って歩いているんです」と謝り、「では次の教室へ案内していただけますか」とそっとささやきました。
4 特別支援学校との連携
その日の午後、ヨシダ先生から電話がありました。「先生、本当にありがとうございます!子どもたちが帰ってから校長室に呼ばれたんです。そしてね、校長先生が私に謝ってくれたんです。申し訳なかったって。特別支援教育の威力を目の当たりにしたって。タカノリ君だけでなくほかの子どもたちの学習意欲があっという間に高まった。あのノウハウは普通教育にも絶対に使える。ウチの学校の全体の学力を高めるためにも、これからはどんどんカゲウラ先生に相談しなさいって!」。
「先生、今日はたまたまよい結果が見えただけかもしれません。私に相談したからといって全校児童の学力が急に高まることはないでしょう。でもね、特別支援教育のノウハウが普通教育に生かせることは事実です。また校長先生が他校との連携を認めてくれたのも大きな成果でしょう。これもみんなヨシダ先生が私の『作戦』どおり校内を調整してくれたからですよ」。そう、カゲウラ先生はヨシダ先生に学校訪問の際の「作戦」を伝え、ヨシダ先生はフルヤ先生やタカノリ君の担任と細かな打ち合わせをし、今日の日を迎えたのでした。まさにコーディネーターの仕事ぶりです。彼女は照れくさそうに「そういっていただけると・・・。なんだかちょっとうれしいです」と答え、フフッと笑いました。
ヨシダ先生は、その後も必要に応じてカゲウラ先生に相談をするようになりました。そして今では校長先生自らがカゲウラ先生に電話し「校内研修会の講師をお願いしたい」と言ってくるまでになりました。依頼された校内研修会のテーマは「特別支援学校との連携について」でした。人は変われば変わるものです。
子どもたちの笑顔あふれる赤松台小学校になることをお手伝いしていこう。そう誓って職員室から窓の外を見ると、ヨツバ特別支援学校の初冬の上空を、白鷺の群れが夕日に向かって羽ばたいて行きました。まるで新しい明日を迎えに行くかのように・・・。
作者から
今回から、小中学校等の現場にいるコーディネーターの先生方が直面している現実的な問題についてエピソードを中心に切り込んで行きたいと思います。医療機関との付き合い方、「障害がある子」へのいじめの問題、不登校との関係などなど。今回は「管理職の理解」に関する問題です。
今は特別支援教育に関する管理職研修も充実し、ほとんどの校長先生、副校長先生、教頭先生が理解を示してくれています。しかし、ほんの一部だとは思いますが「自分の学校の問題は自分たちで解決するもの」と信じ、特別支援教育に関する他機関との連携に消極的な方もいるようです。数年前には実際にエピソードのような相談を何件も受けたことがありました。
その人が長年の経験から有してきた信念を「話し合い」や「説得」で変えることは困難です。並大抵のことではありません。数十年来のタイガースファンに、ジャイアンツのよさをいくら説明しても「では今日からジャイアンツファンになろう!」とはいかないですよね。
でも、だいぶ古い話題で恐縮ですが、ある高齢のタイガースファンの方が言ってました。「実際に球場で長島選手や王選手の華麗なホームランを見せ付けられると、彼らがホームランを打ってタイガースが勝った、という阪神巨人戦が理想、と思うようになった」と。
それが妥当な例かどうかはわかりませんが、中には自分の目で見ないとその魅力が理解できない、信用できない、というタイプの方がいるでしょう。百聞は一見にしかず。そんな校長先生の下で働いているコーディネーターの先生。子どもってホンの少しの工夫で大きく変わることがあります。ヨシダ先生のようにお近くの特別支援学校にナイショで相談したり、それが難しければご自分でいろいろ勉強されたりして、一人でも良いですから特別な支援を進めてみてください。その変化を、管理職の先生方に見ていただければ、と思います。
また、ときにそのような管理職の先生を「理解がない」と批判し、あきらめてしまう例があるかもしれませんが、この問題に限らず「北風と太陽」の話を思い出してください。人の気持ちを変えることができるのは「北風」ではなく暖かい「太陽」です。批判したり、戦ったり、争ったりすることが必要なときも無論あるでしょうが、教育に携わる私たちはできる限り、すべての人が笑顔になれるような変化を追い続けて行きませんか。いろいろな方法を工夫して。
5 講師プロフィール
松浦俊弥 現職:淑徳大学 社会福祉学部 准教授(教員養成課程)
松浦先生の著作の近刊をご紹介致します。
『エピソードで学ぶ 知的障害教育』北樹出版社
http://www.hokuju.jp/books/view.cgi?cmd=dp&num=925&Tfile=Data
記事のような松浦先生の特別支援教育のエピソードを本にまとめられています。ですが記事とは内容はすべて違うエピソードが書かれており、学校や地域、教員に求められていることなど様々な見方で特別支援の様子が載っています。
(主な経歴)
・浦安市中学校教諭(進路指導主任ほか)
・県立知的障害特別支援学校教諭(生徒指導主任・特別支援教育コーディネーターほか)
・県立病弱特別支援学校教諭(特別支援教育コーディネーター・教務主任ほか)
・県立知的障害特別支援学校教頭
・東京福祉大学 社会福祉学部 准教授(教員養成課程)
・元 NPO法人あかとんぼ福祉会理事長(障害児放課後クラブ)
・元 四街道市特別支援教育連携協議会専門家チーム座長
・元 四街道市障害区分判定審査委員
・元 富里市・八街市特別支援連携協議会専門家チーム委員
・現在、八街市子ども・子育て会議座長
(資格)
・臨床発達心理士
・自閉症スペクトラム支援士エキスパート
(主な受賞歴)
・読売教育賞最優秀賞(平成16年)
・NHK障害福祉賞(平成21年)
(所属学会)
・日本特殊教育学会
・自閉症スペクトラム学会
・日本育療学会
(主な著作・執筆)
・「病気の子どもの理解のために」(国立特別支援教育総合研究所・全国特別支援学校病弱教育校長会編)
・「自閉症スペクトラム児・者の理解と支援」(教育出版)
・「自閉症スペクトラム辞典」(教育出版)
・「生きる力と福祉教育・ボランティア学習」(万葉舎)
1985年、浦安市の中学校に英語科教諭として着任。生徒の英語への関心を高めるため、屋上で「英単語巨大カルタ大会」を開催したり英語劇を演じさせたりするなど授業に工夫を凝らしていた。生徒指導副主任、進路指導主任、学年主任などを歴任。
生徒指導にも追われる中、社会性は高くても学習に課題がある生徒の存在に気づき、その背景を探ろうと特殊教育(現在の特別支援教育)を学び始める。1990年、知的障害教育の養護学校(現在の特別支援学校)に異動、自閉症児やダウン症児、重複障害児たちと出会い、その教育の奥深さに惹かれる。生徒指導主事などを歴任。
97年、担任する子どもたちの保護者の悩みから障害児の家庭生活、地域生活の貧しさに課題を感じ、志を同じくする同僚、保護者とともに障害児が通う養護学校のための学童保育(障害児学童保育)設置運動を開始。98年に千葉県初の障害児放課後クラブ(現行の放課後等デイサービス事業)「あかとんぼ」を開設。その後も教員業の傍ら、ボランティアで運営を支える。99年にNPO法人化し初代理事長に就任。
99年、多数のメディアで「あかとんぼ」の活動が紹介されたことに影響を受け、県内にその後続々と作られた障害児放課後クラブのネットワークとして千葉県障害児の放課後休日活動を保障する連絡協議会(千葉放課後連)を設立。事務局長として千葉県知事などと面談を重ね、自治体からの補助制度が実現する。その後、2003年には全国の有志と同活動の全国団体、障害児の放課後休日活動を保障する全国連絡会(全国放課後連)を設立、事務局次長として厚生労働省と話し合い、現行の放課後等デイサービス事業の礎を作る。
現職の教育公務員としてボランティアで携わり続けた障害児放課後クラブ推進に関する一連の活動に対しては、読売教育賞最優秀賞、NHK障害福祉賞、ワンバイワンアワードなど多数の受賞を通じて社会的に高く評価される。
2002年、病弱教育の養護学校に異動。2004年から特別支援教育コーディネーターとして地域全体の特別支援教育推進に尽力。小中学校、高校等の依頼に応じ、主に発達障害児、病弱児等に関する相談支援を行なう。2006年から4年間、教務主任を兼任、教育課程の編纂などを担当。
また病弱教育特別支援学校全国校長会(全病長)、国立特別支援教育総合研究所(特総研)が企画した通常学校教員向けガイドブック「病気の子どもの理解のために」(全編を特総研ウエブサイトから無料ダウンロード可)の編集に参加、「心の病編」など執筆も担当する。
2010年、知的障害特別支援学校へ異動、教務副主任、特別支援教育コーディネーターとして地域の特別支援教育推進に尽力。
2012年、千葉県立特別支援学校の教頭職に就く。しかし教頭になっても地域からの相談依頼が重なり、幼稚園・保育園、小中学校や高校などではまだまだ特別支援教育の普及が進んでいないことを実感。また特別支援学校についても社会的な理解が不足している現状を憂い、2013年、大学教員に転身。現在に至る。
現在は大学での教員養成の傍ら、主に千葉県内を中心として小中学校、高校や市町村教育委員会等の依頼に応じて年間50箇所以上で研修会の講師などを務める。また要請があれば個別相談、保護者面談、校内委員会への参加などもいとわない。
特別支援教育の社会的な理解推進のためメディアでの発信を続け、10月には初の単行本(「エピソードで綴る知的障害教育」 北樹出版)を出版。臨床発達心理士、自閉症スペクトラム支援士の資格を有する。
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