1 はじめに
この記事は、2016年8月5日~6日に行われた第9回「教えて考えさせる授業」セミナーの内容と、「教えて考えさせる授業」の提唱者である東京大学教授の市川伸一先生の著書の内容を合わせて、「教えて考えさせる授業」の概要を紹介するものです。
「教えて考えさせる授業」の公開研究会に関しては、こちらをご覧ください
2 教えて考えさせる授業の概要
教えて考えさせる授業は、生徒が「わかる授業」「充実感を感じられる授業」を目指すための手法の提案です。教師が生徒に教え込みすぎるわけでもなく、また教えずにひたすら生徒に考えさせるわけでもなく、両者をバランス良く行おうという意図です。
基本事項は教師から共通に教えて、思考の土台を作ります。その上で教えあい活動などを通じて理解の確認を図り、さらに理解を深化させるような課題を与えることで、意味理解を伴った習得を図っていきます。そして、最後に生徒にわかったことを自己評価させる、というのが基本的な流れです。
どのような経緯でこの考え方が生まれたのか、何を目指して、何を根拠にしてこのような型、流れを市川先生は提案していらっしゃるのかについて、以下に詳しく説明していきます。
3 成立の経緯
日本の教育において長い間問題点として指摘されているのが、生徒の学習意欲の低さです。その主な原因の一つとして考えられるのが、そもそも授業の内容が理解できていない生徒が多い、ということです。実際に市川先生を中心に長年行われてきた「認知カウンセリング」という個別学習指導の実践でも、小学校高学年くらいの子どもから、授業の内容が分からないという悩みの相談が急増するといいます。
生徒にとってわかりにくい授業と聞いて、皆さんはどのような授業を想像するでしょうか。きっと、教師が一方的に知識を教え込み、生徒の理解度を全く見ていないような授業かと思います。しかし、1990年代のいわゆる「ゆとり教育」の時代において、新たなタイプの分かりにくい授業が出現しました。それは、先生が生徒に教えずに、単元の導入部分から生徒に考えさせるような授業です。生徒がほとんど基本的な知識を持っていない状態で、生徒に自力解決、協同解決を促すような授業が数多く行われるようになりました。
このような2つのタイプの形態の授業のバランスを取り、生徒を理解へと導けるような授業を提案しようということで、この教えて考えさせる授業がという考え方が生まれました。
4 具体的な内容
「教える」段階
ここでは、教師から情報(説明、図表、演示などを含む)を与えることを「教える」と定義します。
授業の導入部
授業の導入部では、新たな内容や概念を扱うことが多いため、教師から教わって理解する学習が適していると考えられます。まず、教師が教科書はもとより、工夫した教材を用いながら、生徒に扱う内容のポイントやコツを伝え、知識をインプットしていきます。ここで重要なのが、生徒がどれくらい教師の説明を理解したのかを診断、把握する場面を設けることです。生徒を指名して答えさせていく方法や、発問に対して生徒に挙手をさせて全体の理解を確認する方法など、様々な方法が考えられます。いずれの方法でも、生徒との対話、コミュニケーションによって生徒の理解状況を把握していくことが肝要です。これによって、生徒の理解状況に応じて教師が説明手法を変えていくことが可能になります。
予習について
生徒に予習を促すことで、教師からの説明でポイントを絞り時間短縮を図ることが可能になります。生徒が予習によって学習事項の概略を把握し、疑問点を明確にして、いわば「生わかり」状態で授業に臨むことは非常に有効です。どこが分からないのかがわかる程度の、短時間の予習が適切で、生徒にとって苦痛になるほど予習課題出してしまっては逆効果にもなりかねないので、注意が必要です。
「考えさせる」段階
「考えさせる」とは、「教える」段階で身に付けた知識を用いて学習者に何らかの処理(理解状態の表現や応用的課題への適用など)を求めることと定義します。この段階が存在することは、裏を返せば、教師の説明を受けたり、教科書を読んだりするだけでは分からない生徒が多いことを、前提にしていることを示しています。これも「教えて考えさせる授業」の大きな特徴です。
理解確認
教師が教えたことの理解がなければできないような活動を生徒に行わせ、生徒が自分で理解を確認できる状況を作り出していきます。代表的な方法としては、生徒にペアやグループを組ませて、ほかの生徒に対して教師から教わった内容を説明させるという方法があります。わかった気になっていても、いざ自分で教わった内容を説明しようとすると、ほとんどできない、という生徒はたくさんいるはずです。
このような活動を通じて、生徒に自分の理解の甘さに気づかせ、何が不十分だったのか自覚させていくことが狙いです。他にも、準備として生徒に「教える」の段階でわからなかったところに付箋などでチェックをいれさせておくことも有効です。よくわからなかったところは、生徒自身に友だちの説明を聞いたり、教師を呼んで質問したりするのを促すことが必要です。
理解深化
子どもが誤解しがちな問題、習ったことを応用・発展させる問題などを扱い、生徒の理解をより深めていくことを狙います。教える段階で扱った内容に近すぎず遠すぎず、多様な考えを誘発するものを目指します。単なるドリルではなく、生徒から「なるほど、そういうことだったのか」という言葉が出てくるような課題が望ましいのです。
教科書の発展問題や教育雑誌などを活用し、課題のレパートリーを広げておくといいでしょう。具体的には、情報過多の問題や条件の少し異なった問題、より一般的な法則へと習得内容を拡張できるような問題などが挙げられます。
自己評価
授業の最後に、自分が授業を通して身につけられたことは何か、逆に分からなかったことは何か、を記述させます。自分の理解を文章化することで、学習内容の整理を促していきます。また質問カードを提出させることで、生徒と教師のコミュニケーションを図るのもいいでしょう。このような方法でメタ認知(自分が見たり考えたりしたことを自分自身が客観的に把握すること)を促すことにより、一層の理解の深化、定着を促していきます。
5 授業を作るうえでのポイント
この枠組みが持つ意味
前述の4つに分かれた枠組みは、授業を組み立てていくうえで大きな助けになっていくはずです。授業のなかで、学習内容を進んだところまでやっている子どもが退屈そうにしていたり、逆に全くついて来れずつまらなそうにしている子どもがいたり、ということはないでしょうか。進んで学習している子どもたちも、実は基礎事項の理解が深められていないまま通り過ぎてしまっている子どもが多いですし、逆について来れていない子どもも、自分がつまずいている場所と理由が分かれば、理解への道筋が見えることも多くあります。学習内容を進めている子どもと、なかなかついて来れない子どもが一緒にいるという、学校の教室の特徴を生かせられる授業こそ、この枠組みで目指しうる授業といえます。
形式的にこの枠組みに沿ったものが教えて考えさせる授業であり、日常的に継続している学校では、1年ほどで大きな成果が現れてきます。重要なのは、生徒の理解を促すために教師からの説明をどのように工夫するのか、理解診断の場面をどのように設けていくか、そして生徒の学習方法がうまくほかの場面の学習にも広がっていくか、にあります。
困難度査定
授業を設計していくうえで、まず授業が終了した後に目指す子どもの姿を具体的に想定することもまた重要です。(例えば~~について正確に説明できるようになる、など)そのうえで、そこに至る授業の展開の中で、生徒のつまずきが想定されるのは一体どこの部分なのか、それに対する有効な手立ては一体何なのかを、授業案の中に明示して意識しておくことが有用です。
自らの学習体験や指導経験をベースに、教育書の記述や、自らが子どもの立場だったらという想定などを組み合わせながら、子どもがつまずきやすい箇所と対策を考えていきましょう。その想定が実際にどうだったのかを授業後に振り返ることで、困難度査定の精度は上がっていきます。それは、教師の授業力が上がることに直結します。
6 実際に導入校で起こっている変化
児童、生徒の変化
実践校では、授業の枠組みが決まっているので、生徒が授業の進行について明確な見通しを持てるようになりました。例えば、「次は自分が説明しなければいけないから、先生の質問をしっかり聞いておかなくては」、といった意識を生徒が持てるようになったということです。
また、生徒が協働学習の形態に慣れていくことで、学習内容について友達と話す、友達にわからないところを聞く、といった行動が以前よりもずっと起きやすくなっていきました。
さらに、予習の有用性が生徒に理解されるようになっていきました。予習していったときと、そうでない時では授業の理解度が全く異なるということが徐々に生徒に実感されていきました。すると、授業で学習内容を理解することへの期待、意欲が生徒の中で高まっていきます。
自分がどこでつまづいているのかを自分で判断していく力も向上し、学習方法の改善も見られました。このような様々な要素の総合的な結果として、学力の上昇、そして教室内の学力差の減少が、全国の多くの学校で見られています。
教員の変化
まず、授業を学校全体としてよりよくしていこうという意識が高まり、授業についての話題を日常的に共有していくような習慣、風土が学校の中に生まれてきたといいます。教科の枠を越えて授業について協議する場を設ける中学校も出てきています。
このような変化の結果として、教員の授業力が向上したといいます。困難度査定を必ず記述し、「教えて考えさせる授業」の枠組みに則って授業を組み立てようとすると、否応なく、どこが子どもにとってつまずきやすいのか、何を教えたうえで何を考えさせるべきなのか、などを明確化しなくてはならなくなります。このことも教師の授業力の向上に大きく作用したと考えられます。
7 実践者プロフィール
1953年生まれ。東京大学文学部卒業。文学博士。埼玉大学、東京工業大学を経て、現在、東京大学大学院教育学研究科教育心理学コース教授。中央教育審議会教育課程部会委員。認知心理学を基盤にした教育のあり方を研究している。内閣府「人間力戦略研究会」主査、日本教育心理学会理事長、日本心理学諸学会連合理事長等を歴任。最近は、学校や地域における個別学習相談、「教えて考えさせる授業」に基づく授業づくり、「学びのポイントラリー」による地域教育の活性化、などの実践活動に携わっている。
8 参考資料
- 市川伸一著 考えることの科学−推論の認知心理学への招待−. (中公新書、1997年)
- 市川伸一著 勉強法が変わる本−心理学からのアドバイス−.(岩波ジュニア新書、2000年)
- 市川伸一著 学ぶ意欲の心理学.(PHP新書、2001年)
- 市川伸一著 開かれた学びへの出発—-21世紀の学校の役割. (金子書房、1998年)
- 市川伸一著 学ぶ意欲とスキルを育てる (小学館、2004年)
- 市川伸一著 「教えて考えさせる授業」を創る (図書文化、2008年)
- 市川伸一編著 「教えて考えさせる授業」の挑戦 (明治図書、2013年)
- 市川伸一著 勉強法の科学−心理学から学習を探る−. (岩波書店、2013年)
- 市川伸一著 教えて考えさせる算数・数学 (図書文化、2015年)
- 市川伸一・植阪友理編著 教えて考えさせる授業 小学校 (図書文化, 2016年)
コメント