東京大学 市川伸一教授に聞く 学習指導要領の改訂と学習意欲の向上

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目次

1 はじめに

今回は東京大学教授で心理学的な視点から学習過程の分析と教育方法の開発の研究をなさっている市川伸一先生にお話を伺ってきました。

学習指導要領改訂の影響、学習意欲の低下、学校教育における職業教育の是非など、これからの学校教育を考えていく中で重要な話題について分かりやすく解説していただきました。

2 「生きる力」について

「生きる力」を学校で育成するべき能力として設定する動きについての評価

学習内容を日常生活に結び付けようという考え方は大事ですが、学校においてそれだけが重要なわけではありません。学校の教科というものは、それぞれ大学で研究されているような学問をベースに作られています。(親学問といわれるものです)小学校、中学校、高校と教育を受けていく中で、大学での学問に取り組める基礎が身につく、つまり大学の学問への接続を考えてカリキュラムが組まれていると言えます。教科、学問を究めた人をモデルに学校教育のシステムが作られてきたわけです。

そのような学校教育のとらえ方を見直し、一般的な社会人モデルに、これからの社会で生きていくうえで必要な力を学校教育で育成しよう、という考え方が学習指導要領に反映されました。この学校教育のとらえ方の転換は評価できます。私が座長を務めた「人間力戦略研究会」では、2003年に「社会を構成し運営するとともに、自立した一人の人間として力強く生きていくための総合的な力」を、育成すべき人間力として定義しました。
人間力戦略研究会については、詳しくは こちらをご覧ください

基礎学力を軽視し過ぎでは、という批判に対して

学問だけをベースにした教科教育は、すでに立ち行かなくなった経緯があります。
1990年代に受験競争が激しくなり、学歴社会の傾向が強まる中で、校内暴力や不登校の増加などの歪みが学校のなかに生まれました。その後少子化が進行し、大学全入時代になる中で、受験を学びへの意欲の源泉として頼るにも限界がきています。
学校の生徒の中には、学問に相性が必ずしも良くないような子供もたくさんいます。そのような子どもたちに対しては、学問の基礎の学習に対してやる気が出るように、授業のやり方を工夫する必要があります。生きる力と基礎学力は対立する概念ではありません。両者が相乗効果を生み出せるような工夫は十分可能です。

基礎基本の習得と、そこで得た知識を生活の文脈の中で活かすというのは、現行の指導要領でも目指されていました。全国学力・学習状況調査でもB問題という活用問題が出されています。PISA調査の結果も、OECD加盟国の中で一位に返り咲きましたし、近年は学習意欲にも改善の動きが見られます。これは現在ある程度上手く進んでいると言って良いと思います。

「生きる力」の育成が目指されたいわゆる「ゆとり教育」についての評価

ゆとり教育については、良かった面と悪かった面に分けてとらえる必要があると思います。

悪かった面

端的に言うと「ゆとり」という言葉に引きずられすぎた、というところです。つらい勉強から解放するのがいいこと、というような価値観のもと、学習内容や時間を減らせば教育課題が解決されるというような考え方まで出てきました。また、小学校ではとくに、自力解決、協働解決型の教育に極端にふれすぎたと思います。本来ならすべての児童生徒に習得させたい基礎基本を、自力解決型のやり方で獲得させようとしすぎたことは非常に問題です。

良かった面

まず、学校の勉強が生活と結びついておらず、ただただ生徒がやらされている感じを持ってしまっていた、という現状を変えようとしたこと。また、学校が地域や保護者の要望などで、多岐にわたる業務を強いられる状況を脱するために、週五日制を導入し、学校が地域や家庭と連携して教育を担っていくという方向性を打ち出した点は評価できます。また、生徒にかかる入試への過剰なプレッシャーを軽減しようとした点もよかったと思います。

探究型の学習の評価の難しさについて

現時点では、課題発見、課題解決能力といった、探究型学習で育成したい力は適切に評価できていません。しかし、このような評価は容易ではありません。今までこのような評価をしてこなかったのですから、現場の教師の方々が対応に苦しむのも無理はありません。まずは、今まで探究型の学習自体も、その評価もやらなさ過ぎたことを認識すべきでしょう。
発表やスピーチ、プレゼンやレポートで評価するという形を少しずつ導入していくことが大事になってきます。音楽における歌や楽器のテストと同じように捉えればいいでしょう。美術なら作品評価です。学習内容が変わるわけですから、それに合わせて評価の仕方も変えていかなければなりません。結局はペーパーテストでしか評価されないとなったら、子どももそれに適合した学習しかしなくなってしまいます。
将来的には、このような力を入学者選抜でも一定の形で評価していければと考えています。そうすることで、習得型と同じように探究型の学びが重要であると生徒に実感させることができるでしょう。

3 学習意欲の低下について

学習意欲の低下の根源とは

やはり、学問のみをベースに学校教育をとらえていたところに起因するものが大きいでしょう。学問に相性が良くない子、将来学問を究めたいとは特に思わない子どもたちに対して、どのように対応するかが問題です。彼らが「なぜこんな勉強をしているのか」という疑問を持つのは当然ですが、そのような疑問に教師が明確な解答をすることは非常に難しいでしょう。教師は学問を自分でツールとして使っているわけではないですから。

考えられる対応策とは

一つは、教科教育における学習内容は直接には役立たないものの、学習過程で身につく資質・能力は間接的に将来役立つ、という論理です。具体的には、数学を学ぶことで論理的思考力が身につく、というような論です。
二つ目は、教える教科の内容自体が将来役立つ部分を生徒に明確に示したり、役立つものに変更したりしていくことです。これを重視するなら、学校の学習に社会生活の中で必要となる内容を部分的に取り入れていくことになります。
どちらの論にしても、教師が学習内容と社会生活との橋渡しをしっかり行う必要があります。いくら、学習内容を社会生活に関連させたからといって、教科で単に扱っただけでは、生徒に「学校の中だけのこと」として処理されてしまいます。教科と社会生活、教科と教科の橋渡しをするのが、教師の重要な役割になってくるでしょう。

4 学校の役割について

現代の日本では、子どもたちが自分の適性を探りながら、「なりたい自分」、「なれる自分」を広げていくことができます。このような場を提供するのが学校の役割です。
将来においては、「なりたい自分」と「なれる自分」の重なる範囲からしか進路を選ぶことはできないわけです。その選択肢を早々と閉じてしまうことはとてももったいないことです。少なくとも義務教育の間は、その可能性を広げることと、自分の適性を探ることをしてほしいです。

学校において「なりたい自分」を広げていくという要素に関しては、学問分野ではある程度やっているのですが、社会生活の方向にはなかなか広げられていないのは確かですね。この事態を改善するためには、子ども達に地域とのかかわりをもっと持たせることが重要です。NPO、地域の施設、大学、民間企業などが主催する地域を巻き込んだプログラムに子どもの参加を促すのも有効です。学校の先生や保護者には、あまり知られていないようですが、こうしたプログラムは大都市だけではなく、すでに地方でも数多く存在しています。その広報や参加を促すしくみが必要なのです。

5 市川教授プロフィール

1953年生まれ。東京大学文学部卒業。文学博士。埼玉大学、東京工業大学を経て、現在、東京大学大学院教育学研究科教育心理学コース教授。中央教育審議会教育課程部会委員。認知心理学を基盤にした教育のあり方を研究している。内閣府「人間力戦略研究会」主査、日本教育心理学会理事長、日本心理学諸学会連合理事長等を歴任。最近は、学校や地域における個別学習相談、「教えて考えさせる授業」に基づく授業づくり、「学びのポイントラリー」による地域教育の活性化、などの実践活動に携わっている。

 研究室ホームページ

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