命のつながり、人のつながり【教材・道徳】(ヌチヌグスージ――命の祭り)

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命のつながり、人のつながりを考える授業を提案します・・・。
※この記事は2017年に書かれたものですが、2022年現在の光村道徳教科書3年生版の「ヌチヌグスージ――命の祭り」という教材は、ここに書かれている内容に近いお話になっています。

無縁社会と個人主義

「無縁社会」という番組が2010年にNHKで放映されました。その番組では主に孤独死(老人世代)を取り扱っていましたが、「無縁」の状態・感覚は若い世代にも広がっていると思います。

縁故関係が強く、しがらみの多かった昔の日本社会はいつの間にか、個人で生きていくのに都合の良い社会へと変化してゆきました。核家族化、冠婚葬祭の儀式の簡略化、少子化、インターネット、お一人様用カラオケボックス・・・しがらみから解放されたことは気が楽でいい面もあったかもしれません。その一方で、他を思いやることや社会全体の都合を考えることがないという生き方が現代社会に浸透しているように思えます。また、孤独や孤立が人の心を不安にさせている面もあると思います。
子供にも保護者にも個人主義が蔓延して、自分勝手な言動に学校現場は年々混乱が深まってきている気がしています。(「自立した強い個人」であれば“よい意味の個人主義”なのかもしれませんが、そんなふうにはなっていません)

学校は集団生活の機会

個人主義が蔓延した社会に適応するかのように、「個別指導」を謳う塾が多くなってきています。そうでなくてはやっていけなくなってきているのでしょう。しかし、学校はいまだに最大40人の児童生徒を抱えながら授業や学級経営を切り盛りしていかねばなりません。良きにつけ悪しきにつけ、学校は子供たちが「集団」や「社会」を意識して生きる機会が設けられている「場」なのだと思います。学校以外でそんな「場」は本当に少なくなってしまっていると思います。

他人に対する思いやり

「人は兄弟だ」「袖振り合うも多生の縁」と言いますが、そうした感覚が実感としてどれだけ私たち現代人の中に備わっているでしょう?こうした感覚がなければ、学校という集団生活を要求するベタな組織はなかなか上手く回るものではありません。いや、学校が上手く回るためにというのではありません。社会が上手く回るためにはどうしても、「他人に対して思いやる」「集団を意識する」という感覚が当たり前に働く必要があります。そうでないと未来は暗いものになってしまいます。

命(人)の「つながり」を考える教材

さてそこで、「自分」と「他人」をどう考えるかの「発端となる考え」を示す教材を作ってみました。「命のつながり」シリーズとして4つのプレゼンからなります。先祖や子孫の事を考えると人間がどのようにつながっているかを学習します。小学校4年~中学校3年ぐらいまで適用できる教材だと思います。実感するにはなかなか難しいところもあるでしょうが、4年生ぐらいならこの話の意味が分かると思います。

プリントを作ってみましたので、書き込みをしながら考えさせてみてください。
【プリント教材】

先祖・子孫.xls

プリントでは、樹状に分かれていく先祖や子孫を実際に書き込ませます。最初は棒人間でもいいですが、4世代目ぐらいになると棒人間でもたいへんな時間がかかりますので、〇で表わせばいいと思います。これに5~10分程度費やします。その後、〇でも描くのは無理だと分かるので、実際に計算させてみてください。

【パワーポイント教材】
ご自由に改変して使っていただいて結構です。

命のつながり1-2017.ppt
命のつながり2-2017.ppt
命のつながり3-2017.ppt
命のつながり4-2017.zip

命のつながり4-2017-2.zip(図のみ)


※「命のつながり4-2017」だけファイルサイズが大きいので圧縮しました。
※パワーポイントは「エクスポート」→「ファイル種類の変更」→「JPEGファイル交換形式」でJPEGファイルに変換できます。

命のつながりⅠ

人には親が2人いますので、親子の年齢差を25歳と仮定して単純に計算すると、750年前で先祖の数が2の30乗となり、10億人を超えてしまいます。1人あたりにこんなに先祖がいるわけがないことを考えれば、人と人とは相当に先祖が重なっていると考えられるでしょう。つまり、「何の関わりもない他人」と思っているクラスの隣の席の人、電車やバスで乗り合わせただけの人であっても、血のつながっている遠い親戚である可能性があります。

命のつながりⅡ

先祖から自分へと延々とつながれてきた命ですが、もしも「たくさんいると考えられる先祖」の中の誰か一人が子孫を残す前に死んでしまっていたら、自分は生まれていないことになります。また、先祖の中の夫婦がもしも出会っていなくても、自分は生まれてこないことになります。自分がいかに奇跡的な存在であるかを考えてみるきっかけになるといいですね。

命のつながりⅢ

先祖の事を考えるのとは反対に、子孫の事も考えてみます。1人の人間から2人ずつ子孫が生まれていくとすると、先祖の時と同様に750年後に子孫の数は2の30乗となり、10億人を超えてしまいます。子孫同士の結婚というのもかなりあるのでしょうから、10億人というのはないかもしれませんが、子孫がかなりの人と交わっていくことは確かです。子孫を残すことを通じて人と人はつながっていきます。子孫が増えることを考えると、何のかかわりもない他人と思っているクラスの隣の席の人、電車やバスで乗り合わせただけの人とだって血がつながっていく可能性はずいぶんあるのでしょう。
※かしこい子供は、「2人の親から2人の子供が生まれた場合、人口が増えるわけではない」ことに気付いて混乱する場合があるので、スライドの途中で「子孫が増えているのですよ。2人の親から2人の子供が生まれた場合、人口が増えるわけではないですね。」と、付け加えてあげてもいいと思います。


交通手段が発達していなかった近代以前は、村程度の規模の社会で婚姻関係が深まってきており、人のつながりを実感できたのだと思います。交通機関の発達した近代になり、人の行き来が激しくなり、さらにグローバル化した現代社会では人のつながりを実感しにくくなっているのかもしれません。実感は難しくても、計算してみれば、750年後に子孫は10億人で、それこそグローバルに、国境さえ越えて自分のDNAが「多くの人たちと交わっていく未来」となるのかもしれません。

命のつながりⅣ

Ⅳの学習では、「遺伝」について少々の説明がいると思います。親から子供へ特徴が引き継がれるということを理解させるように丁寧に説明しましょう。
子(2分の1)や孫(4分の1)の世代ではまだ自分の持つ遺伝情報がはっきりと伝わっているのですが、世代が進むにつれてだんだんとたくさんの人と交わりながら「自分」は薄れていきます。親族結婚を繰り返さない限り、自分の特徴を表す遺伝情報はどんどん薄れていきます。「750年後に10億人の子孫が生まれて10億分の1」という計算通りにはいかないのでしょうが、自分の特徴が薄れるとともに、たくさんの人と交わることになるのでしょうね。より広い社会への自分が溶け込んでいくようなイメージでしょうか。

また、先祖からしてみれば、現在の自分の中にも、たくさんの人が交わって受けつがれた様々な遺伝子のかけらが存在しているということにも、思いをはせてみましょう。「様々な人種」も「個々人」も、ルーツをたどっていけばかなりの割合で同じ先祖にたどり着く・・・というような研究結果も、最近のヒトゲノムの解析からわかってきているようです。

命のつながりの学習をきっかけにして

命のつながりⅠ~Ⅳは、ただの「知識」です。この知識を得たからと言って急に子供たちが変わるわけではないと思います。しかし、学習は積み重ねです。命のつながりの学習をきっかけにして、「人類」という大きなくくりの中でのつながりを感じて、思いやりの心を持つことができるように育ってくれればと思います。
どれぐらいのつながりが、どこまでの人とあるのか(ないのか)、それは私にもわかりません。「人と人の間」に生まれ、その命(人生)をいかに全うするのかという大きなテーマに、いずれ子供たちは向き合うことになるでしょう。命のつながり、人のつながりの中で、「自分」とは何なのか、「人間」とは何なのかについて考える発端になるといいと思います。

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