1 はじめに
本記事は、現在株式会社LITALICOにて教育に関わる木村彰宏さんへのインタビュー記事です。教育と福祉の視点を持ち、人と人を繋げながら自身も学び続ける木村さんに、教育への思いを熱く語って頂きました。
2 インタビュー
高校時代:教育の道を志す
——木村さんが教育の道を志すきっかけがあれば教えて下さい。
小学・中学と公立学校に通っていましたが、家庭環境や育った背景など様々な子がいました。その中で、楽しく学校に通える子もいれば、学校に来れなくなってしまった子もいました。
また、勉強や運動ができることで、「あの子とは関わる、関わらない」といった見えない線引きも感じていました。その頃から私の中に「人によってこんなに居心地が違うのはどうしてだろう?」という学校に対する違和感が生まれました。
私自身はというと、中学・高校でいろいろな問題を起こし、よく怒られていました。しかし、学校が嫌になることはなく、「いろいろ問題はあったけど、自分が今までまともに生きてこれたのは周りの大人の支えのおかげだ」と思っていました。そして、高校3年生の時に自分が出来る恩返しは何かと考え、教育の道を志すことを決めました。父親が教師だったことも影響しています。
大学時代:ある女の子との出会い
——そこから、大学では教育を学ばれたのですね。
はい、教育の分野に進もうと決めたからには、悔いのないように学びきろうと、大学の外に出て研修会に進んで参加したり、現場の先生を学生が交流できる場を自主的に作ったりしていました。
そんな中、人生の転機が訪れます。大学2年生の保育園実習でのことです。
2歳くらいの女の子が、いつも私のすねの毛を触りながら「ひげ、ひげ」と言って遊んでいました(笑)。私は「本当に先生が好きだね」と言って関わっていましたが、保育園の先生に「実はあの子、お父さんいないんです」と言われ、こんなに小さな子どもが様々な悩みを抱えながら生きていることに衝撃を受けました。
その時「自分に出来ることはなんでもしたい」と強く思いました。しかし、実習生という立場で出来ることが限られていました。何も出来ない自分に葛藤していました。それから、子どもの心の貧困に関心を持ち始めるようになりました。
復興支援ボランティア:ある女の子からの手紙
——それから、さらに子どもと関わるようになったのですか。
教育の分野では、生活保護世帯の子どもの学習支援をしていました。そこでは、様々な家庭背景や課題を抱えた子どもたちと出会いました。
そして、大学3年生の時に東日本大震災が起こり、被災地の復興支援に関わり始めました。その時にも、ある女の子との出会いが忘れられません。
被災当時の支援の場では、『「また会えるから」と言わないでください』と言われていました。また会える根拠がないからです。しかし、私が関わった女の子からもらった手紙には「あっきー(木村さんの愛称)、今度会った時は鬼ごっこしようね」と書いてくれたのです。
その手紙を読んで、「この子はまた会えると思ってくれている。ならばまた会えるように継続的に支援に関わろう」と強く思いました。
それから継続的に復興支援に関わりだし、同時に自分の中に、教育と福祉という2つの軸が生まれました。
——1人の言葉が大きな原体験として今でも残っているのですね。
はい、他にも成人式に中学の同級生から言われた言葉が忘れられません。
「あきだけやった。俺のこと最後まで見捨てなかったのは。」
自分が周りの大人に本気で支えられていたからこそ、自分も友達を誰一人見捨てたくないと思っていたのかもしれません。
——誰かを支えたいと強く思い、その一方で、誰かの言葉に支えられているという関係が素敵です。
ファーストキャリア:復興支援
——その後、どのようにキャリアを選びましたか。
大学4年生の時、キャリアとして教育か福祉か悩んでいましたが、「自分が今一番価値を発揮できる場所はどこか」ということで、岩手県で東日本大震災の復興支援を行うNPO法人で働くことに決めました。
そこでは、地域の関係者と一緒に、東北の子どもたちが放課後や休日に勉強したりホッと落ち着ける「学びの部屋」という居場所つくりを行いました。
この活動を通しても、様々な課題を抱える子どもたちに出会いました。そこで感じたことは、被災地の教育・福祉が抱える課題は日本全国に共通するものであり、私たちがつくった居場所に来れるのは、本人に前を向きたいという意思がある子であり、そのような意思を持てない子は、そもそも学びの部屋に来れないのではないか、ということです。
——また葛藤が訪れたのですね。
そうですね。そういった本当にしんどい子にアプローチできるのは、毎日一番長く子どもと接することができる学校の先生ではないか。
そう思っていたところ、教育の課題を格差や貧困といった福祉的な視点でも捉えるNPO法人Teach For Japanのプログラムと出会いました。せっかくやるなら社会に大きなインパクトをもたらしたいと思い、プログラムに応募し、2年間奈良県の公立小学校へ赴任することになりました。
小学校の先生へ
——学校の先生として、どのような教育を目指していましたか。
学校でも多様な課題を抱えた子どもたちに出会いました。しかし、多様な子どもたちが居心地の良い教室をつくりたいと思いながらも、学校という枠組みの中で全てのニーズに応えることは、とても難しく、不可能にすら感じました。そこで、教室で出来る自分なりのインクルーシブ教育を追求し始めました。
多様な学習とチャレンジ
——具体的にどのような実践をしたのか教えてもらえますか。
多様な学び方を支援する方法として感覚統合の視点を取り入れました。
人の「感覚欲求」は生理的欲求レベルのものであるそうです。つまり、子どもが立ち歩いたり、机を叩いて音を鳴らしたりするのは、トイレに行きたいということと同じ欲求であることでもある、ということです。
また、感覚の感じ方と脳の動きは繋がっているため、感覚を刺激してあげることで集中力があがるのです。さらに、触覚や姿勢維持、手指の運動、自分の身体イメージなど、様々な感覚やスキルが積み重なって、学習に繋がるのです。人の感覚は学びの土台なのです。
もちろん、けじめをつけることは大切ですが、子どもの感覚を大切にしながら、一人一人の学びをよりよいものにできるよう工夫しました。
次に、誰もがチャレンジできる環境づくりに努めました。人が生活する中で、3つのゾーンがあると言われています。コンフォートゾーンにいる子どもたちを、いかにストレッチゾーンへ進め、パニックゾーンに入った子を安心の場へ戻ってきてもらうか。
「コンフォートゾーンが確実にある」 「自由に出入りできる」 その時に、人はチャレンジするのです。普段から、子どもたちをエンパワメントする際にこのような視点を持って関わっていました。
子どもだけでなく、保護者との関わり大事にしていました。家の方々に先生の通知簿を書いてもらっていました。
多様な生き方と自己選択
他には、子どもたちに多様な生き方を知ってもらいたいという思いから始めた「100人の大人プロジェクト」があります。社会の様々なフィールドで活躍している私の知人に、自分がどんな職業(学業)をしているのかを中心に話したビデオメッセージを送ってもらい、それを子どもたちに見せるという実践です。
これは、東北の支援に関わっている中で、「人には死ぬまで出会わない職業がある。生まれ育った場所で、出会う大人の数に差がある」と感じたことがきっかけで始めた実践です。
今でも、学校には多様な人材が入ってほしいと思っています。社会と学校の流動性が、先生を勇気づけ、子どもの視野を広げることができると考えているからです。
——このような取組で子どもたちの様子はどのように変わっていきましたか。
これらの活動は、子どもが自ら選択・決定することに繋がっています。自分はどのように学ぶのか、目標達成のためにどう向かっていくのか。方法やツールはこちらが渡しますが、それをどう活用するか、またはしないかは子どもに委ねます。どんな環境にいても、自分で考え、振り返り、学びに向かう力を付けてほしい。それが私の願いでした。
——先生になって、今までの経験が存分に発揮されていますね。
はい、試行錯誤しながら楽しくやっていました。
そして、先生1年目の二学期に、今私が勤めているLITALICOの方が私の学級に見学に来られました。そこで、先生が子どもを信頼しきっている姿、子どもが自分たちで考え動いている姿を見て、「一緒に教師研修をしよう」と声をかけて頂き、先生向けの研修を一緒にさせて頂くようになりました。
そのような出会いもあり、自分の中で「多様な子どもたちが一人一人学びやすい・生きやすい学校や社会って何だろう?」と考えを深めていきました。
LITALICOへ
——Teach For Japanのプログラムとしての先生は2年間で終わりますが、その後どのような経緯で今に至るのですか。
2年間のプログラムが終わる頃、このまま現場で先生を続けるか悩みましたが、LITALICOの「障害のない社会をつくる」というビジョンに共感し、LITALICOを志望しました。
(LITALICO HPより)
私は学校で「多様な子どもが生きやすい学校・学び」を追究しながらも、『生まれ育った家庭、地域、国、学級、災害』といった様々な環境によって人生が左右される事実を目の前にして葛藤していましたが、これらの環境はLITALICOの言う「障害」に含まれると考えています。
ですから、「障害のない社会をつくる」ということは、自分が先生をしながら目指していたものと強く重なりました。
——LITALICOでは、どのようなことをされているのですか。
今は、発話のない子への支援や大人のソーシャルスキルトレーニングなど、本人の発達や自己実現・自己変容に関わることができる仕事をしています。これは、広く「教育」に携わっていることでもあると感じています。
インクルーシブな学習:学びの特性と自己決定
——学習教室「LITALICOジュニア」にはどのような特徴があるのですか。
教室で大事にしているのは、ユニバーサルデザインの視点です。例えば、「先生の伝え方」「子どもの取り組み方」「子どもの答え方」、これら3つを工夫して組み合わせることで、誰もが学びやすい環境に近づけることができます。
誰もが安心して学べるために、次の2つの視点も重要です。
「学びの特性に応じたアプローチ」
「自己決定・自己選択」
先ほどの小学校での実践とも重なる部分もありますが、順にお話しますね。
まず、個々に学びの特性に応じたアプローチとは、視覚で捉えやすい、聴覚で捉えやすい、体験が学びやすい、処理の仕方が違うなど、人が持つ様々な特性に合わせて支援していくことです。
また、みんなが学べるようにするのか、個々に異なるアプローチをとるのか、といった発想の違いもあります。
そして、「自己決定・自己選択」です。いろいろな学び方はこちらが提供しますが、自分がそれを取り入れるのか、どの学び方で学ぶのかは自分で決めてもらうことを大事にしています。
そうすることで、子どもたちは自分から「書くよりも、パソコンを使っていいですか?」「静かな環境でいたいので、耳栓を使っていいですか?」と言うようになります。自分の特性に合わせて自己決定していくことが、その子の自立に繋がるのです。
——LITALICOジュニアの取組について、8月末に行われる「未来の先生展」でワークショップをされるということですが、どのような内容でしょうか。
プログラムでは、参加者の方に「子どもになる体験」をしてもらいたいと考えています。子どもが抱える学びの困り感や感じ方の違いを体験し、それを参加者同士で対話し深めます。「障害のない社会」というビジョンは綺麗な言葉ですが、それを実現するには、まずは知ることから始まると思います。
自分では想像もし得ない感覚を体験し、異なる世界を知ること。そこから相手のことを考える余裕が生まれるのだと思います。だから、まずは子どもになって体験して知ってもらいたいです。
——子どもの特性に合わせた指導と一斉指導の学習では、どのような違いが生まれると思いますか。
一斉指導自体が悪いとは思いませんが、機械的な一斉指導や決まった答えを当てるだけの学習では、個々が考える裁量がなく、それが続くと思考停止の状態を生んでしまう怖れがあると思います。
人が純粋に感じる「それっておかしいんじゃない?」「もっとこうしたい」という思いを表現する機会を奪ってしまうように感じます。
——まさに「自ら考える力」に繋がるのですね。
木村さんのビジョン
——これからの木村さんのビジョンを教えて下さい。
今の私のビジョンは2つあります。
1、生まれ育った環境で人生が左右されない社会を作りたい
2、大人も子どもも、いつでも学び直せる場を作りたい
その実現のために、誰もがチャレンジができる安心の場、やりたいことができる機会を作り続けたいと思っています。
——活動する上で大事にしていることはありますか。
それぞれが自分の強みを生かして、出来ることをやっていくことが大事だと思います。自分にはよく分からないから出来ない・やらない、はもったいない。
私自身、教育のことを他の人より詳しく知っているとは思っていません。分からないからもっと学びたいという思いで、様々な場を作っているのです。
——木村さんの強みは何でしょうか。
私の強みは、場を作り人を繋げること、大きな声で伝えていくこと、理論と実践のバランスを取ること、の3つです。
——伝えることと、理論と実践のバランスについて、詳しく教えてもらえますか。
自分が何かを伝えるために発信することは、価値があることだと確信を持っています。
それには、大学の恩師の影響があります。私は恩師に「バッシングされることもあるのに、なぜ発信し続けるのですか?」と聞いたことがあります。すると、次のような答えが返ってきました。そこにある恩師の思いと同じように、私も伝えることをやめたくはありません。
「もし誰かが3年かかって得るものがあるとする。しかし、私の話を聞いたことで5分や10分でその3年のステップを飛ばせる可能性があるなら、伝えない理由はない。受け手によって、いろいろな受け止め方をされることは当然だが、誰かにとっては価値があるかもしれない。だから発信し続けるのです。」
理論と実践のバランスについてですが、私は現在LITALICOで日々実践する立場にいます。一方で、先述のTeach For Japanで採用担当をしたり、様々な研究会に参加したりもしています。
そこで、自分の経験や実践を構造化して、理論的に理解しようと努めています。自分の学び方として、まずは経験から入るので、時には物事を俯瞰的にみてじっくり内省する時間をとるように心がけています。
——大きな挑戦には困難もあると思いますが、なぜチャレンジを続けられるのでしょうか。
純粋に自分が楽しいからです。自分の働きかけでその人が少しでも前を向く人が増えることは、とても幸せなことです。
また、誰かのためにしていることが自分に返ってくるからこそ続けられるのです。例えば、人に感謝されたり、評価されたりすること。それも自分のモチベーションになっているということを自覚するのは、とても大事なことだと思いながら活動しています。単純に「人のため」だけではないのです。
何事もやっていて損はないと思っています。何度転んでも、その度に起き上がって、その経験を自分が関わる子どもや大人に還元できると信じているからです。
——真摯な思いを伺いながら胸が熱くなりました。これからも、人と人を繋ぎ、木村さんの考えを発信し続けていって下さい。応援しています!
3 プロフィール紹介
木村彰宏(きむら・あきひろ)さん
大学卒業後、岩手県にて復興支援NPOに就職し、岩手県沿岸の子どもたちの学習・居場所づくり支援を行う。その後、2014年4月からNPO法人 Teach For Japan の第2期フェローとして奈良県内の公立学校に教員として赴任。
2016年3月末のフェロー任期終了を受け、現在は東京にて株式会社LITALICOに勤務しながら、NPO法人Teach For Japanでも採用や研修、学生や社会人の学びの場づくり等活動している。
4 関連資料
未来の先生展
2017年8月26日(土), 27日(日)、武蔵野大学 有明キャンパスで行われる、国内最大級の教育イベント!
領域を越え、国境を越え、校種や業種を越え、日本の教育・学びを彩るプログラムが世界・全国から集まります。
◆ウェブサイトはこちら
木村さんのプログラムは、27日(日)16:20〜17:50
「共生社会のためのインクル—シブ教育実践~LITALICOジュニアの取り組みを中心に~」
誰もが学びやすい学習のために、発達や感覚の視点で子どもの学習を考えます。
◆プログラム詳細はこちら
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