これからの英語教育を考えるうえで必要なこととは?

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目次

1 はじめに

 平成29年3月に学習指導要領が改訂・告示され、小学校英語の教科化や、中学校・高等学校での英語教育についての関心が高まっています。今回は、学習院大学文学部英語英米文化学科の冨田祐一先生に英語教育の意義や今後の在り方についてお話を伺いました。

2 インタビュー

今の時代で英語を教えることの意味とは?

 今の日本では、ほとんど全ての中学校と高校で英語という教科が必修化されていて、たとえば大学入試センター試験では約95%の受験生が英語を選択しています。
 本来、学校教育の中で学習される外国語については、学習者が自分の意志や目的に基づいて、複数の外国語から選択すべきものですが、残念ながら、今の日本の教育制度の中では、学習者に「外国語を選ぶ権利」が与えられていません。つまり、英語以外の外国語を選択する余地がないわけです。
学習者は、自分の意志や目的によって「自分が学びたい内容」を選択できてこそ、「自分が選んだ内容」を学ぶ「動機」や「やる気」が強くなると考えるのが自然なため、現在の「学びたい外国語を選択できない制度」はあまり好ましいものとは言えません。
 特に、外国語の学習の場合には、一定の困難が伴うことも事実なので、ある外国語を「学びたい」と思うようになる「強い動機」がとても重要な意味をもっています。しかし、今の制度の中では、学習者は「どの外国語を学習したいの?」とか「なぜ英語を学びたいの?」といったことを全く問われぬまま、「英語を学ぶのが当然」という状態に置かれているため、「動機」と「英語学習」がリンクしていません

たとえば、「英語を学ぶのが当然」の教育制度の中で英語を学習してきた新任の先生方の中には、子供たちが「なんで英語やるの?」と質問してきた時に、答えに窮してしまう方がいます。なぜなら、先生方自身がそのような問いについて、それまであまり考えずに英語の先生になった方も少なくないからです。しかし、私は、外国語を教える立場にある教師であれば、そうした子供たちからの素朴な質問を、しっかりと正面から受け止め、自分の考えるところを、明確に伝えてあげるべきだと思っています。
 たとえば「英語をしっかり勉強しないとX高校に入れないぞ。」とか「なまけていると成績が1になっちゃうぞ。」といったネガティブなメッセージだけを伝えることは、あまり好ましくありません。できることであれば、そんな時にこそ「絶好のチャンス」とばかりに「英語を使えると、こんなに面白い世界を見ることができるよ。」といったポジティブなメッセージを伝えてあげてほしいのです。
 一人一人の先生方は、それぞれ様々な考え方や人生観をお持ちなので、この答えに対する唯一絶対的な正解があるわけではないと思います。時代や場面や状況によって、その答えが変化することもあるでしょう。もしかすると、英語教師とは、教師人生が終わるまで、その答えを考え続ける仕事なのかもしれません。しかし、英語教師には、その答えを真剣に粘り強く追及し続ける責任があるように思えるのです。

英語を教えるときに重要だと思われていることは年齢によってどう違うのでしょうか?

小学校・中学校・高校の、それぞれの年齢で目指すべき英語のスキルは、次のように考えることを提案します。
小学校水遊び(決して水を怖がらせてはダメな段階です。「楽しくない」と感じたらやる気を失ってしまうので、あくまで楽しませることが大切です。)
中学校足のつく深さのプールでの水遊びと練習(怖がらせることがないように注意しつつ、少しずつ訓練的な要素も取り入れていくことが可能になります。そして「自分で泳げたぞ!」といった成功体験もさせてあげたいですね。)
高校足のつかないところがあるプールでの水遊びと練習(ここでも楽しませることは大切ですが、徐々に自分から進んで、さらに高いレベルの泳ぐ力をつけることにも挑戦する意欲が身につくと理想的です。また、自分がどうやったら泳ぐ力を伸ばせるようになるかを考えられるようになると素晴らしいですね)

 外国語学習も水遊びと同じように、恐怖感はできるだけ与えないことが大切です。外国語を学習するうえで最も重要なことは、「学んでみたい!」「使ってみたい!」という意欲を教育の中で育てることです。小さい時にそういった意欲を育てるうえで一番基本となるものは「やることが楽しい」という気持ちです。挑んでみよう、もっとやってみよう、そういった気持ちを一番引き出してくれるのは「楽しい」という気持ちだからです。したがって、楽しませること、恐怖感を与えないことは、特に小さいときには本当に大切です。
 もちろん文法はしっかり身につけるべきだと思います。文法の身につけ方は2つあります。1つは受験勉強のように知識を獲得すること、もう1つは、英語で話したり歌を歌ったりして、正しいか間違っているかをあまり意識せず、実際に使ってみることです。
この2つのルートの内で、小さい子どもたちにとってはどちらのルートが効果的なのかというと、当然「楽しい」ほうだと思います。使っているときはよく分からなくても「通じた!」という成功体験や「こんな歌はこんな風に歌うんだ」などというように、少しずつ体験を積んでいきます。これは、ある種の言語的なインプットを増やすことにもつながるので、言語習得にとって非常に大事です。インプットをたくさん与えてあげることで、だんだんと脳が言語についての一定の規則を身につけるようになります。

ただし、このインプットを受け取ってから、その内容をアウトプットできるようになるまでには時間がかかるので、小学校の先生にとっては「待ちの姿勢」がとても大切になります。インプットを与え続けることで、やがて子どもたちの中からgrowする(育ってくる)ような言語能力を待つことが必要です。子どもたちが発音を間違えたり、非文法的なことを言ったときに、つい直してあげたくなりますが、頻繁に直すのではなく、まずは我慢することが大切です。そうしているうちに子どもたちは、教えている先生の側の予測を超えて、今まで教えたことのない、驚くようなことを言うようになります。時間はかかりますが、それを待つことは、もしかすると一番大切なことかもしれませんね。中学生くらいになると、ピアジェの操作期を越えて、自分で理屈が分からないと納得できない時期を迎えます。そうなったら、正しい知識を教えてあげればよいのです。そんな風にして段々と楽しみながら、理屈(文法的知識)も分かってくると順調な発達に繋がってくると思います。

児童・生徒が英語を学ぶ意味とは?

大きく分けて、経済効率的なものと、世界を広げることの2つが挙げられます。経済効率的なものというのは大学に入りやすくなる、職に就きやすくなるといった「利益」を生み出す効果のことで、これを道具的動機付け(※注1)といいます。
もう一つは世界を理解することです。日本のことだけを知っているのと、そうでないのとでは随分違います。外国語を勉強すると、その国の文化や歴史に興味を持ち、実際に知るようになります。そうすると外国のことだけでなく、日本のことを客観的に見ることができるようになります。こういったことは人間の成長にとって、とても大切です。今の世界の中では多様な考え方があり、それを知るということは教育的に凄く意味があることだと思います。

※注1 学習動機の一種で、「試験に合格したい」「社会的な地位を得たい」などといったことばで表現できる「動機づけ」のこと。この場合、英語は何かの目的を達成するための「道具」となるため「道具的動機づけ」と呼ばれる。

生徒に統合的動機づけ(※注2)を与えるために先生は授業中にどんなきっかけを与えることができるのでしょうか?

今と昔で違うのは、色々な外国の情報があふれているということです。今までの中学・高校の先生は、自分が作った教材を与えていたので、教材提示能力のようなものが問われていました。しかし今はインターネットを使えば、子どもたちが自分で情報を得られる時代になっているので、それをフルに活用することがとても大事になってくると思います。例えば、野球がすごく好きな子どもがいれば、その子は野球の情報については先生よりも情報収集能力に長けているかもしれません。今はそういったカルチュラルな部分の情報を、子どもたち自身が集められる時代になってきています。
 あるいは、「外国の生徒はどんなふうに勉強しているだろう」「今どんな制服を着ているんだろう」「夏休みはどのくらいあるんだろう」といったことについて、先生が調べて全てを提示しなくても、子どもたち自身が自分で調べることができる時代です。こうしたことについては、先生が少し手助けをしてあげれば、自分で情報にアクセスすることができます。このように、子どもたちが外国の文化などについて調べたいと思ったら、昔とは比べ物にならないくらい便利がツールがあるわけですから、それを使わない手はありませんよね。
 また、アクティブ・ラーニングやICT教育の重要性が叫ばれていますが、まさに英語教育はそういう時代の中で行われる教育としてしっかり位置づけられる必要がありますね。アクティブ・ラーニングの基本は「子どもたちや生徒たちが自ら考え、自ら進んで動くこと」で、先生が情報を与えるのではなく、子どもたちが自分で情報を獲得していくことです。そして、まさに21世紀の英語教育についても、そうした視点や考え方を採り入れた新しい形を求めていくべき時代に入ってきていると思います。

※注2 学習動機の一種で、「その言葉を使う人々の文化や価値観を理解したい」「実際にその国の言葉で現地の人とコミュニケーションをとってみたい」といったことばで表現できる「動機づけ」のこと。この「動機づけ」によって外国語を学習する人は、学習している外国語が使われている地域の人々に親近感をもち、その文化にあこがれ、その地域の文化に溶け込むこと(=統合されること)を望むことから「統合的動機づけ」と呼ばれる。

外国語学習の理想形は?英語のみ?英語と英語以外の言語??

主たる外国語のほかにもう一つ別の外国語を学習することが理想的だと思っています。ヨーロッパでは母語に加えて2つ外国語を勉強することを推奨する「トライリンガル政策」が行われていて、そうすることで若者の世界観を広げたり、彼・彼女たちの視野やものの見方に幅をもたせようとしています。
このような考え方を日本にあてはめるとすれば、母語としての「日本語」、1つ目の外国語としての「英語」、もう1つの外国語としての「中国語」を学ぶことで、言語や文化に関するより客観的なものの見方ができるようにすることを目指すことになります。そのため、仮に英語により多くの時間を割いたとしても、何か1つ、別の言語を学べるといいと思います。こうしたことを言うと、必ず「今の日本の制度では難しい」「経済的効率が悪い」とよく言われます。しかしそれはやる気になれば必ずしも不可能なことではなく、近所のいくつかの学校が月に1度1つの学校に集まって中国語の授業をしたり、実際に集まることができなくても、Skypeなどのネットワークを使う方法もあります。国の政策もそういった方向に向かうことが理想だと思います。

ゴールが入試である限り暗記型の知識詰込みは仕方のないこと?

大学が入試制度を変えてきていますが、世間一般に認識されているかと問われると、必ずしもそうではない部分があります。一時代前の大学入試問題のための受験勉強が、いまだに高校で行われている傾向があると私は思っています。大学の先生たちも、昔のような文法に偏りがちな入試問題を変えていきたいと思っています。そのような動きを無駄にしないために必要なことは高校の先生と大学の先生の協力関係だと思います。相互に話し合いや情報交換をして、大学がどんな問題を作りたいと思っているか、どういった意図で出題しているのかをもっと知ってもらうことが、今後はますます重要になってくると思います。
 また、いわゆる「昔ながらの受験勉強」が一朝一夕ですぐに変わるかという問題があり、これはなかなか難しいと思います。もしそういったものを根本的に変える必要があると思うのであれば、入試の問題の内容を変えるしかありません。ゴールが「解けるようになること」であれば、受験勉強をやらざるを得ないというのは当然の帰結であるので、それは仕方がないことです。
 私は、よく言われる「受験英語向けの勉強」を全面的に否定したりはしません。日本のような「英語が生活の中でほとんど使われていない環境」では、とても有効な学習方法だと思っているからです。実際、大学時代までに基礎的な英語能力をつけて留学した人は、そうでない人に比べると、より高い英語能力を身につけるということが分かっています。今の日本人の英語能力は、受験勉強レベルまでを考えるとものすごく高いところまで来ていると思います。
問題は、そこから先で、せっかく学んだ英語を使う機会が非常に少ないことこそが問題です。したがって、今重要なことは、高校教育までの英語教育を否定したり批判したりすることではなく、そこから先にどのくらい英語を使う場を与えることが可能かを検討することだと思います。たとえば、国が政策として海外留学のための支援を大幅に増やし、政策的に奨学金を充実させて、アメリカやイギリスだけでなく様々な国に積極的に留学生を送り出したらいいと思います。そのようにして、英語を使う場を提供してあげれば、高校までに培った英語の文法能力を生かす機会が増え、それまでに使った膨大な国家予算と学習者の労力が無駄にならなくなります。

3 先生へのメッセージ

教師は自分の仕事にプライドを持っていてほしいです。プライドというものは人によって様々ですが、ポイントは『自分のやっていることは価値がある』と思えるかどうかだと思います。もちろん、受験のための勉強をしっかり教えて、生徒を志望校に合格させることで得られるプライドもとても価値のあるプライドだと思いますが、それだけではなく、英語という外国語を教えることを通じて児童・生徒の世界を大きく広げ、彼・彼女たちの人生をより豊かなものにすることで得られるプライドもとても大切だと思います。もしも、そうした2つの側面に関するプライドをもつことができたら、きっとさらに充実した教師生活を送れるようになるのではないでしょうか。学習者の英語力を鍛えることで「学習者に利益をもたらすこと」と、英語を教えることによって「学習者の人生を豊かなものにすること」は、どちらもとても大切なことであり、車の両輪のようなものだと思います。そして、若い先生方にはそのどちらも大切にして欲しいなと願っています。

4 冨田先生のプロフィール

早稲田大学教育学部英語英文学科卒業。上越教育大学大学院教科教育言語コース(英語)修了。都立高校教諭、福島大学助教授、大東文化大学教授、英国・マンチェスター大学講師、カザフスタン・ナザルバエフ大学大学院講師を経て現職。著書に『英語教育用語辞典』大修館書店(2009)

5 編集後記

「なぜ英語を勉強しなければならないのか」という問いは、これから英語教育改革が一層進んでいくなかで、教壇に立つひとりひとりが考えていくことの必要性を強く感じました。教育とは、受験勉強で苦しむためのもの、間違えたら怒られるもの、というようなネガティブなインプレッションを与えるためのものではなく、人生を豊かに楽しくイキイキとしたものにしてくれるものであり、そういったことを伝えていくことが大切だと思います。教壇に立った時に目の前の子どもたちに「英語ができるとこんな素晴らしいことがある」といったような夢を伝えていくことができるように、英語教育の意義について改めて考えるきっかけになりました。
最後になりましたが、この記事が英語教育に関わる全ての方にとって有意義な記事となれば幸いです。
  (文責:EDUPEDIA編集部 谷口綾菜)

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